サ カ タ の ブ ロ グ 

やぁ、みんな。サカタだよ。

新宿二丁目

2016年05月22日 | サカタだよ
サミットが5日後に迫ってるからって、あっちこっち2人組の警官がつったってる。三重でやるのに
東京でつったっても仕方ないのでは?


これって意味あるんすかね……

ぼーっとつったってる2人組が、いざというとき何かの役に立つとは思えない。東京がこうなら
三重をはさんで大阪も、三重に近い名古屋もこんな感じなんだろうか。無駄無駄ッと思いつつ
なんとなく新宿をさんぽ。


新宿二丁目は「牛屋が原」だった

大正の初めまで、このへんは「牛屋が原」という地名で、耕牧社という牧場があったという。
お寺の墓地から外人が3人出てきたから、何かあるのかなと思って入ってみる。


子供合埋碑

牧場になるくらいだから、宿場町の外れだったんだろう。内藤新宿の旅籠に年季奉公してた
飯盛女、つまり女郎のことを「子供」と呼んでいたと傍らの看板に書いてあった。年季奉公の
途中で女郎が死ぬと、ここに投げ込むように葬られたとか。哀れ、哀れ。


無縁仏がぎっしり

こないだも渋谷でぎっしり無縁仏がならんでるの見た……というか、うっかりまた墓地にきて
しまった。どうしていつもいつも、こうなっちゃうんだろう?


旭地蔵とかいうの

横にある看板を読むと、地蔵の蓮座と反花の間に18人の戒名が刻まれていて、この人たちは
寛政12年から文化10年までの14年間に内藤新宿の宿場内で不慮の死を遂げた人たちで、
うち7組14名の男女は「なさぬ仲」を悲しんで心中した遊女と客らしい。「なさぬ仲」とは、血の
つながりのない親子のことだと思っていたが、この看板書いた新宿区教育委員会は言葉遣い
まちがってるのでは? 心中するほどの遊女と客が、なさぬわけないし。


恋川春町の墓

隣の墓に葬られた恋川春町という人は、江戸時代の中期に活躍した浮世絵師・狂歌師・戯作者
だと、やはり看板に書いてある。「なさぬ仲」で信用を落とした教育委員会のいうことだけどきっと
本当だろう。


ほとんど読めない

生涯苦楽四十六年
 即今解脱浩然帰天
  我も万た身はなきものとおもひしが
   今ハのきハヽさ比しかり鳧

と記されているらしい。


寺の墓地を出て周辺地図を見る

ここは成覚寺、となりに正受院、ちかくに太宗寺がある。「やばいよ、やばお!」といいながら
きれいなゲイのカップルが通り過ぎた。このへんやっぱり多いんだな。


咳を止める婆の像

正受院の「綿のおばば」は咳止めの霊験あらたかだというので、幕末の嘉永2年ごろ流行り、
江戸中から参詣人が集まって錦絵の題材にもなっている、と教育委員会の看板にある。綿は
咳止めのお礼参りに奉納されたというけれど、それにしてはきれいすぎるから、寺が飾ってる
にちがいない。というのも……


このように覆われているのだから

奪衣婆というのは三途の川で衣を奪う婆だと思ったが、どうして子育老婆尊になるんだろう?
ふしぎだ……そしていま大きな過ちに気づいたけど、そのことは最後に書こう。


やっぱり無縁仏が

ここにもぎっしり。ついでだから太宗寺にも足をのばしてみる。きっと無縁仏がぎっしりある
から。いや、からじゃないけど。


第1のらねこ発見!

太宗寺は成覚寺、正受院にくらべると大きな寺で、新宿のルーツになった内藤新宿の生みの親、
内藤正勝の墓のほかにも文化財がいっぱい。


でっかい銅の地蔵

江戸六地蔵といって、6か所ある江戸の入口にこれと同じような大きさの銅の地蔵が置かれた
という。あとの5か所は、

品川寺 品川区南品川3-5-17

東禅寺 台東区東浅草2-12-13

真性寺 豊島区巣鴨3-21-21

霊巌寺 江東区白河1-3ー31

永代寺 江東区富岡1-15-1

だが、永代寺のものは現存していないと、東京都教育委員会の看板に書いてある。「なさぬ仲」
でケチをつけた新宿区教育委員会よりグレードアップしてる。ちなみに、本体には昔は鍍金が
施されていたそうだから、キンキラキン! やるね江戸の人も。


切支丹灯籠

昭和27年にこの寺の内藤家墓所から出土した灯籠で、隠れキリシタンがひそかに礼拝した
であろうもの。全体が十字架になってるとか。こんなものが内藤家墓所から出てきたのなら、
新宿の生みの親の内藤氏は隠れキリシタンだったのか?


竿部にマリア像

スキャンダルでござる。内藤新宿が吉宗による享保の改革でさびれたのは、女郎がわんさか
いたから風紀が取り締まられたことになってるけどキリシタン弾圧だったりして。


その内藤家の墓所がこちらです

昭和27年に東京都の区画整理事業にともなって、墓地の西北部から現在地に改装されたとき
あの切支丹灯籠が出てきちゃった。昭和だからいいようなものの、江戸時代だったら。


やっぱり無縁仏が

それっぽいのがぎっしり集まっていたので安心した。宿場町の片隅に投げ捨てられた無縁仏
(だろうと思う)。


第2のらねこ発見!

ところで、先ほど気づいた大きな過ちというのは、「新宿二丁目」のこの話を「散歩ブログ」
に書くつもりが、まちがえてこっち(サカタのブログ)に書いてしまったということ。写真とか
アップしなおしたりするのが大変なので、おしまいまでやってしまった。


塩かけ地蔵

関連記事:  神宮前6丁目 (散歩ブログ)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京千葉化計画 | トップ | 美の努力 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サカタだよ」カテゴリの最新記事