サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

サイの奇跡トップ10番外編

2017-07-27 16:00:26 | 日記
昔の人のハートは穏やかで愛に満ちていました。
愛は本来柔らかで慈悲深いのですが、状況によって愛は厳しくなります。
つまり、愛の心から罰を与えることがあるのです。
厳しい言葉も罰も、愛の心から出たものです。2/9/91

ポニョ:以前、サイババさんの奇跡トップ10を発表したけれど、そこに入れようとしたけれど、うっかり入れ忘れていた忘れていた奇跡を今思い出したぜよ。

ヨシオ:ポニョは忘れるのが得意やからな。どんな奇跡を思い出したんや。

ポニョ:このブログを始めた頃に紹介した奇跡で、自分の嫁さんが、家の金を使い込んでいると思い込んでいる御主人の話や。

ヨシオ:あれは面白かったよな。痛快やった。

ポニョ:サイババさんも時々プッツン来られるんや。

ヨシオ:今まで御主人が嫁さんをしばき倒していたから、そのカルマを取られたんやろな。それにしても、そのエピソードを読んだ後はスカッとしたな。ここオーストラリアでも家庭内暴力はとても大きな問題になっていて、酒やドラッグや借金の返済でストレスを溜めたり、牧場や農場、会社、商店の経営者やったら、その月の売り上げが落ちたり、その年の天候不順などで不作になってストレスを溜め、嫁さんに当たり散らすんや。でもオーストラリアの女性って強いやろ。筋肉もあるし口も負けていないで。それで言い返したりするので、御主人は嫁さんに暴力を振るってしまうんや。そんな事例がたくさんあるので、どこに行っても家庭内暴力被害者避難施設があって、嫁さんが子供もそこに一緒に逃げ込めるようになっているんや。

ポニョ:そういうのって良いのか悪いのか分からないけれど、そんな施設が何処にでもあるなんて、世も末って感じやぜよ。

ヨシオ:無いよりマシやろな。カリユガやからな。以前も紹介したけれど、サイババさんもしばきあげる時があるんやで。ある俺の知り合いの日本人帰依者が、ダルシャンで、サイババさんが隣に座っていたインド人女性を何も言わずにいきなり、思いっきりしばかれたんや。周りにバシッと音が聞こえるくらいきつく。それを見ていた周りの人たちは震え上がったんやで。しばらくして、そこにいた日本人帰依者が、ダルシャンでそのインド人女性と隣同士に座る機会があったので、「あなたがサイババさんにしばかれた時に、たまたま私は横にいたけれど、あの時、とても恐ろしかった。」と言うと、そのインド人女性は「恥づかしながら、私は今まで春を売って淫らな生活をしていたけれど、あの時にサイババさんにしばかれて、まともな生活に戻る決心が付いて良かったです。」と言ったんや。サイババさんがされる事やされない事も、全て正当な理由があるんや。誰も神さんにああしろとか、こうしろ、またこうすべきだとか、ああすべきではないとかと言う権利はないんや。彼は全てをご存知やから。俺たちが出来ることは、人生で起こる出来事を全てを受け入れて、いつも幸せでいる事や。

ポニョ:言うは易く行うは難しやぜよ。でもこの世界を見ていたら不合理な事ばかりで、幸せな気持ちで全てを受け入れるのは難しいズラ。

ヨシオ:肉食のせいで、動物か人間か分からんような人間もどきが、この世界に腐るほど生まれ変わっているからな。そういう人間もどきは感情や欲望や五感をコントロール出来ないのが特徴なんや。

ポニョ:おいらも食欲をコントロール出来ないから、人間もどきの部類に入るんやろか?

ヨシオ:多分そうやろな。人間もどきと言うより、話す胃袋って感じかな。

ポニョ:話す胃袋って…それってちょっとひどいと思いますが。

ヨシオ:ちょっと言いすぎたかな。でもポニョは心が綺麗やから、それで救われているよな。サイババさんはハンカチを使って人々に心を綺麗にする事を教えておられるやろ。

ポニョ:心を綺麗にする事だけじゃなくて、ハンカチを心に例えて、心を無くすには、心は思いという糸から織られていて、その糸は綿という欲望から作られているから、欲望を無くしなさいと教えておられるぜよ。また、ハンカチの糸の材料である綿をアートマに例えて、この世のものは全てアートマから出来ているとも言われたよな。

ヨシオ:ハンカチは、サイババさんにとって教えを説かれる小道具やな。サイババさんは「私がラーマとして来た時は、弓矢を使って人々に教えを説きました。私がクリシュナとして来た時はフルートを使って人々に教えを説きました。そしてこのサイアヴァターは、ハンカチを道具として使って人々に教えを説いています。」と言われた事があるんや。

ポニョ:ラーマは弓矢を使って何を教えられたんやろか?そうそう。人は弓矢の矢のように一生涯一人だけの嫁さんと結婚するようにと教えられたよな。そして、一度、自分が信仰する神を決めたら、その神さんだけに集中して信仰するようにとも言われなかったか?でも、たった一人だけの奥さんと結婚するようにと教えられたのに。クリシュナの時は、アルジュナに御自分の妹を第二夫人としてもらうように謀られたぜよ。教えが変わったんや。

ヨシオ:その時のアルジュナの第一夫人ドラウパティは、五人の旦那でシェアしなければいけなかったやろ。状況が違うやないか。

ポニョ:状況が変われば教えが変わるんか?納得出来ないぜよ。そしてクリシュナの時はフルートやけれど、これは簡単や。フルートの中が空洞なように、人の心の中のエゴや欲望を無くしていけば、クリシュナがそのフルートの中に息を吹き込んで、素晴らしい音色を響かせる事ができると教えられたんや。人がエゴや欲望を減らしていけば、神の神聖さがその人の中から顕現して来て、神の如き素晴らしい人になれるという事を教えられたよな。でもラーマが弓矢で、クリシュナがフルート。その両者に比べれば、サイババさんが小道具として使われたハンカチって少し見劣りがするぜよ。もっと、立派な道具がある筈やけど。例えばいつも載っておられるベンツだとか。

ヨシオ:見劣りがするって…、神さんが人に教える為の小道具やから、フルートであろうがハンカチであろうが関係無いやろ。それにベンツみたいな大きな物を小道具というか?ハンカチで充分やないか。ハンカチはいろんな教えを垂れる小道具にピッタリやないか。つまりハンカチって、心と同じで使えば汚れるやろ。でも汚れたハンカチを洗濯屋に出せばまた綺麗にしてくれる。それはまるで洗濯屋がハンカチを真っ白にしたように見えるけれど、洗濯屋はハンカチの汚れを取っただけで、ハンカチは元々真っ白なんや。人の心もこれと一緒で、人は自分の心を使って色んな物を追い求めたりして、心を汚してしまうけれど、その汚れた心を、神という洗濯屋に委ねれば、また真っ白にしてくれるんや。だから全ての行為を神に捧げて、自分がやっているとか、自分のものだと思い込んで、自分というエゴによって心を汚さないように気を付けないといけないんや。そうすれば人生の終わりには素晴らしいことが待っているんや。

ポニョ:人生の終わりに待っている素晴らしい事って何やろか?オクラの天婦羅を死ぬほど食べれるんやろか?楽しみ楽しみ。という事で、今日はサイババさんの奇跡トップ10、番外編をお送りします。

ヨシオ:このエピソードに登場する奥さんはサイの帰依者なんだけれど、旦那さんはサイババさんの事を神さんだと信じていなかったんや。しかも旦那さんは、奥さんが家の金を内緒で使い込んでるって思い込んでいて、奥さんにしょっちゅう暴力を振るうんや。

奥さんは「私は清廉潔白です。そんな内緒でお金を使い込むなんて事はしていません。もしあなたが言うように私が金を使い込んでいるんでしたら、私のグルであるサイババさんがご存知です。
二人でサイババさんのところに行き、サイババさんに、私が家のお金を使い込んだかどうかを聞きに行きましょう。」と言ったんや。旦那はそれに同意して一緒にプッタパルティまで奥さんのあとを着いて行ったんや。

二人はインタビューに呼ばれ、そこでサイババさんは「お前の奥さんは、あのラーマの嫁のシータのように清廉潔白で、お前の金には、びた一文手をつけていないよ。」と言われたんや。

でもその旦那は、奥さんが使い込んでると頭から思い込んでいたので、サイババさんの言葉をまともに受け入れることが出来なかったんや。それで「そんな事があってたまるか!こいつが使い込んだのに決まってるやろ。」と言って、インタビュールームのドアをバタン!と大きな音をさせて閉めて部屋から飛び出して行ったんや。

そして、一人で夜行の汽車に乗って家に帰って行ったんや。

その後、その旦那が乗った汽車の車掌が、突然、客車の通路を顔を押さえたまま、大きな声で泣きながら走って来る乗客を見つけたんや。

何か事故だと思い、急いでその乗客に元に行くと、その男の顔が大きく腫れあがっているんや。そしてその男はとても興奮して、顔を押さえたまま泣いていたんや。

男が泣き止み、少し精神的に落ち着いてから事情を聞くと、その男は、サイババさんが自分の寝ているコンパートメントに突然入って来て、男をたたき起こし、男の頬を思いっきり何発も叩きながら大きな声で怒鳴りつけたんや。

「お前は、お前の嫁さんが金を盗んでいるとまだ思ってるのか。私は、インタビュールームで『お前の嫁さんは無実だ。家の金を一銭も使い込んでいない。』と言っているのに、お前は私の言葉を全く信じようとしない。もう一度お前に言う。お前の嫁さんは、シータのように立派な嫁さんだ。清廉潔白だ。家の金を一銭も使い込んでいない。分かったか。
それと、もう一つお前に言っておくことがある。お前は自分の嫁やと思って、こんな風に好き勝手に嫁をいつもしばき倒しているけれどな、お前の嫁は、実はわしの可愛い娘なんや。わしの娘を二度とこんなふうにしばき倒すな。分かったか!」と言って再び何発かその男をしばき上げたんや。

実はこの車掌は、カスツーリさんの大学の教え子やったんや。それでその車掌が非番の時に、カスツーリさんとバス停で偶然会った時に、この話をカスツーリさんに伝えたんや。

その後、旦那は借りてきた猫みたいに大人しくなって、嫁さんに一切暴力を振るわなくなったそうです。めでたし、めでたし。

神には怒り(アグラハ)も好み(アヌグラハ)もありません。
無慈悲に見える時でも、その無慈悲の中には恩寵が潜んでいるのです。
懲らしめているように見える時でも、その中には慈愛があるのです。
怒っているように見える時でも、その背後には愛があるのです。
神性の本質を理解した人だけが、神のやり方を有り難く思うことができます。
神は信者に正しい道を歩ませるため、そして、信者が理想にかなった生活を送ることを可能にさせるために、ある種の罰を手段として用います。
そうした罰は信者のためなのです。6/3/89