サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

前世物語❺二人のシャーム

2017-06-26 16:00:59 | 日記
あなたの中に愛の川が絶えず流れているようにしなさい。
そうして初めて、あなたは神のヴィジョン〔御姿を見ること〕を得ることができます。
あなたが神を見たいと願っていることは確かですが、あなたは自分の愛を広げる努力をしていません。
もしあなたが興味を持っているのなら、私はあなたに神のヴィジョンを授ける用意があります。
しかし、あなたが神を見ることができるのは、あなたが自分の中に真実で永遠の愛を培ったときに限ります。15/3/04

ポニョ:昨日はあんたが橋の上で寝てしまってバスに乗り遅れた話をしました。

ヨシオ:乗り遅れてないっちゅうに。ちゃんとその日に帰れたわ。

ポニョ:でもハイカーたちがやって来なかったら、バスに乗り遅れていたやろな。

ヨシオ:サイババさんがハイカーになって起こしてくれたんや。

ポニョ:昨日は狭い幅の木の板の上で寝たいというおかしな傾向を持っているって紹介してくれたけれど、他にもシルディサイババと繋がるような話はあるんやろ。

ヨシオ:そうやな。俺がオーストラリアに移住して家を建てようと思ったんや。それであちこのモデルハウスを見に行っていた時期があって、その中の一つの家の玄関に入った途端、目が点になってある物に釘付けになってしまった事があるな。それは部屋と部屋を仕切ったり、区切ったりする為に作られた何の変哲もない高さ五十センチぐらいの木の柵なんやけれど、俺は、この柵をどこかで見た事があると感じて、それをどこで見たのかを思い出そうとして、ボーッと考え事をしてしまったな。すると前世の俺の隣の部屋で聖者が、その木の柵と良く似た柵に寄りかかって、いつも焚き木をしていた事を思い出して、その木の柵が付いているモデルハウスを衝動買いしてしまったな。

ポニョ:木の柵が付いている家やったらなんでも良かったんや。

ヨシオ:そういう事やったんやろな。また、その聖者の隣の部屋で寺小屋教室を運営していたからかもしれないけれど、昔から将来は小学校の先生になろうとして、教育課程に進んだんや。俺は子供達と一緒に遊ぶのが昔から上手くて、よく近所の悪ガキ達を集めていろんな遊びをしてたんや。でも国籍が中国やったから、学校の先生になれないと分かって諦めたけどな。私学の学校か大学の先生やったらなれるので、取り敢えず大学院に進学し、大学の先生になろうとしてたんや。

ポニョ:それであんたの友達は大学の学長や教授が多いんやな。

ヨシオ:また次男が産まれた時に、どういうわけか名前をシャームにしようと決めていたんや。その頃、サイババさんの帰依者になったばかりだったので、シャームの前にサイを付けてサイシャームという名前にしたんや。それから二、三年後、サイババさんが御講話の中で、俺の前世について紹介されたんや。その御講話によると、シルディババの部屋の隣にシャームという先生が小さな寺小屋を運営していて、授業が終わると毎晩のようにシルディサイババのところに来て足をマッサージしに来たと言われたんや。そのシャームという先生は、子供の頃に両親とシルディにやって来て、他の大きな街で先生の資格を取った後、またシルディに戻って来て村の子供たちのためにイスラム寺院の跡で寺小屋を始め、その隣の部屋にシルディババが住んでいたんや。そして昨日俺が紹介したように、シャームは壁の煉瓦が一つ取れたところからいつもシルディサイババの様子を見ていたという話や、シルディサイババは一人でいる時に、大声で笑ったり、天井からロープを二本吊ってそこに幅が狭い板を乗せて寝ていたエピソードを紹介されたんや。しかもシャームはその煉瓦が抜け落ちている穴から、一体どのようにしてシルディババがその木の上に飛び乗っておらえれるのかを見ようとしたけれど、いつ見ても、もう既にシルディサイババは木の上に飛び乗った後やったという事まで講話で言われたんや。もっと詳しい事を講話で言われたけれど、俺はその御講話を読んで、どうして子供の頃から狭い幅の木の板の上で寝たかったのか、どうして小学校の先生になりたかったのか、どうして木の柵に惹かれるのか、どうして次男の名前をシャームにしたのかという事が全部明らかになり、今まで何十年に渡って作り上げて来たジグソーパズルが全てその講話を聞いて完成したなと感じたんや。

ポニョ:ふーん、面白い話やったぜよ。おいらもシルディの話を読んだ事があるけれど、そのシャームという人は、シルディサイババが亡くなる前まで、シルディサイババによく仕えて、シルディサイババが亡くなった後もシルディの教えを人々に伝えられたと書いてあったぜよ。

ヨシオ:多分それは別のシャームやろな。だって今、ポニョが言ったシャームはまだ若くて、シルディサイババが亡くなってからも生きていたんやろ。俺が知っているシャームはシルディサイババが亡くなるに既に亡くなっているんや。

ポニョ:そうなんや。それじゃ二人シャームがいたって事なんや。シャームってクリシュナの別名なので、結構インドではその名前の人たちに出会うぜよ。日本で言えば俊夫とか幸雄とか硬直のような感じなんやろな。

ヨシオ:なんやねん?その最後の硬直という名は?そんな名前を聞いた事がないやろ。

ポニョ:あゝ、その名前はおいらの飼い犬の名前でヤンス。体が固いので硬直という名前にしたんや。

ヨシオ:人の名前と犬の名前を一緒くたにするなっちゅうに。それにしてもなんちゅう可哀想な名前や。

ポニョ:そうかな?でも一度、シルディに行って前世に住んでいたところを見たいとか思わないのか?

ヨシオ:それは全然興味無いな。俺のジャイナ教の友達も一度行けば良いと勧めてくれたんやけれど、本当に自分の前世や前々生などに全く興味が無いんや。

ポニョ:おいらやったら、プッタパルティに行くよりシルディに行って、自分が前世で住んでいた場所や家を覚えているかどうかを確かめに行くけどな。

ヨシオ:そんな事をして何が面白いんや。たとえ前世の自分の家を見つけたり、自分が使っていた物や、自分の乗っていた馬車や、愛用していたものがあったとしても、それらは全てその生を受けた時に神さんにたどり着けなかった時の人生で使っていた物やろ。言い換えればシルディサイババという神の化身にそこまで肉体的に近くに住んでいたのに、神と融合出来なかったという、神のテストに落第した時の証拠品やないか。だから俺は、神様が俺のビジョンに現れて、俺がベールの向こうにおられる神さんの元に行きたかったけれど「お前はもう一度生まれ変わらなければいけない」と言って断られた時に、俺は「前世ではあなたに肉体的にとても近いところにいましたが、次に生まれ変わったら、あなたが取られる肉体と距離的に遠く離れた地球の裏側に生まれ変わっても良いので、次の生の終わりには、必ずあなたの元に行かせて下さい」と頼んだんや。だって神の化身と肉体的に近くにいても、神と融合する事と全然関係無いって事を前の生で学んだんや。神の化身の肉体の近くにいるより、神の化身から遠くにいても、その神の化身の教えを守ってその教え通りに生きて行くことの方が大切なんや。

ポニョ:サイババさんは、ある帰依者が、アシュラムの外で売っているサイババの写真はあなたと全然似ていない写真も混じっているし、醜い写真もあると言った事に対して、「そのような写真であっても、それを神とみなして信仰している帰依者の方が、神の化身の肉体を追い求めている帰依者よりレベルが高い」と言われた事があるぜよ。

ヨシオ:その通りやな。ヒマラヤの洞窟で修行している苦行者は、サイババさんが神の化身だという事に気付いて、ヒマラヤからわざわざやって来てダルシャンに出るけれど、サイババさんは彼らの心の中に既に神が鎮座されているのを知っておられるので、一度も彼らをインタビューに呼ばれないんや。そういう苦行者やヨギにはインタビューの必要もないんや。彼らは、ダルシャンを与えただけで、サイババさんのイメージを自分の心に刻むことが出来るんや。つまり神の御姿の型を心に流し込んで、永遠に、どこにいても、いつでもサイババさんのイメージを思い浮かべることが出来るんや。そして常に自分の心の中のサイババさんに話しかけることが出来て、神さんと二人三脚で人生を歩めるんや。

ポニョ:そうか。彼らは別にインタビューなどを与えなくても、いつも神と一緒なんやな。とても霊的なレベルが高い人たちなんや。そういう人に私はなりたい。宮沢ポニョ吉。

ヨシオ:なんでポニョの名前が宮沢賢治の名前と重なっているんや。宮沢賢治のイメージが狂うやないか。

神の御姿を完全に心の中でイメージしてそこに心をそそぎ込むようにすべきです。
神の御姿が、外界に見られる時、それは条件付き二元論です。
心の中で見れる時、それは条件付き一元論です。
神の御姿が、アートマに吸収された時、それは不二一元論となります。
外界で見れる神の御姿は、まず第一に心に吸収されて、次に魂に吸収されなければなりません。
自分で選んだ神のイメージに集中して、他に心を揺らすべきではありません。
心を御姿の型に流し込むことによって、心が神の御姿になるのです。CWSSBJp117