フフホトの天気予報
10月26日(土)-1℃~9℃
10月27日(日) 0℃~12℃
10月28日(月)-1℃~9℃
10月29日(火) 0℃~11℃
10月30日 (水)-5℃~10℃
10月31日(木)-2℃~10℃
11月1日 (金)-3℃~11℃
夜間の気温が零下になって霜が降り
一晩のうちに庭のダリアがしおれてしまった
全部刈り取って、さみしくなった庭
10月26日(土)-1℃~9℃
10月27日(日) 0℃~12℃
10月28日(月)-1℃~9℃
10月29日(火) 0℃~11℃
10月30日 (水)-5℃~10℃
10月31日(木)-2℃~10℃
11月1日 (金)-3℃~11℃
夜間の気温が零下になって霜が降り
一晩のうちに庭のダリアがしおれてしまった
全部刈り取って、さみしくなった庭
壁の外側に直接発砲スチロールを張り付けて
セメントを塗って
出来上がり
これでけっこう防寒効果が
あがります
通遼にいたときのことをおもいだす
あの時は家の内側から同じように発泡スチロールをはっていたが
それはその1部屋だけの対策でした
「チンダムニ翁自伝」について昨日内モンゴル大学教授に点検してもらったところ、細かい部分での間違いがかなりありましたので、修正しました。
秋に予定されていた出版記念会はまだ開催されていません。訳文は日を見計らってご自宅に届けたいと思っています。
秋に予定されていた出版記念会はまだ開催されていません。訳文は日を見計らってご自宅に届けたいと思っています。
「暖気」は、中国の山東省以北のほとんどの家に備え付けられているらしい。「暖気」の基本的構造は、担当する地域ごとに公共のボイラー室があり、そこでお湯を沸かし、配水管を通して各家庭に配られる。家庭の中ではお湯を通す放熱器からお湯の熱気を放ち、家の中は暖かいというわけだ。燃料切れや暖房による火災の心配もない。
この「暖気」は、家の中のほとんどの部屋にある。通常の生活を送る部屋にあるのは当たり前だが、風呂場、トイレ、台所にもある。家庭だけではなく、職場、学校などでは人のいる部屋はもちろんのことだ。
地域によって供給される期間が異なり、フフホトでは10月15日から4月15日までである。大連では11月15日~3月15日だった
今住んでいる家の暖気は床暖房になっている。足元が暖かいことは冷え性の私にとって何よりうれしい。ただし部屋が乾燥するので肌には悪い。
この暖房が利きが良すぎて、二階の部屋があまりにも暑い。私の部屋はバルブを閉めて温水が流れないようにしていた。でも周りの部屋が暖かいのでちょどよかった。
問題はこのバルブが錆びついて調節ができなくなっていたことだ。そこで暖気が供給される前にバルブを直すことになり、工事の人を呼んで新しいのに取り替えた。
しかし、パイプを接続した金属の部分がしっかりと閉まっていなかったのだ。温水が来る前に地域ごとに点検期間があり、この日は水漏れなどしていないか家を留守にしないで確認するように張り紙がしてあったらしい。このダリマさんの長女がそれを読んで、この日は家にいるようにダリマさんに伝えていたのだが、すっかり忘れていたらしい。
私が一人で部屋にいたとき、突然の大洪水になった。普通は水が漏れても少しづつなのだが、接続が悪い所から水道の蛇口をひねったように水があふれ出した。
幸い私がバルブがある部屋にいたので気が付いたのだが、それでも点検のことを知らなかったので暖気の水だと気が付くまで多少時間がかかり、部屋の中は大洪水。二階の部屋にあふれた水は天井を伝って一階にまで漏れて、階下の天井を塗っていた漆喰が剥がれ落ち悲惨な状態になった。
一階も二階も深いところは3㎝くらい浸水したと思う。床に置いたものを片づけるやら、水を吸い取るやらの作業に孤軍奮闘し、あらかた片付いたところで家の人に電話するまで1時間ぐらいかかったような気がしたが、ほんとは30分間ぐらいだったかもしれない。
次の日に、配管をした人が来てやり直し、その次の日に壁を塗る人が来て修復した。しかし、あまりの重労働に又持病の腰痛が出てしまった。
もし私がいなかったら、家じゅうが水浸しになり、しばらく住めなくなっていただろうと皆さんに労われている。
一週間たち、腰痛も何とかおさまった。やっとブログを更新する気力を取り戻したところです。
内モンゴル病院の北側に立っている碑を見つけた
詳しく言うと
ジョー・オド・ジャム(昭烏達路)= 内モンゴル大学の東側の通り と
ウラーンチャブ・ジューン・ゼール(烏蘭察布東街)= マンドハイ公園の北側の道 の交差点
これまでは工事中でよくわらない所だったが
今は周りが緑化されてよく見える
「中国内蒙古自治区青年聯合会」
「日本国日中青年交流協会」
「1985年8月」
向かって左側の女の子は和服を
右側の少女はチャイナドレスのようなものを
着ている
碑文は墨で塗られている
近寄って読むと
「日中両国の青年は 世界平和のために努力しよう」
中国語と日本語で書かれている
最近よく通る散歩道
ここを通るときは必ず近寄って立ち止まり
しばらく眺めてしまう
いろいろ考えてしまう