今年3月、元人民日報記者チンダムニ氏の論文集が出版されました。
A4版で500頁もある膨大な著作集です。
この自伝はその冒頭に掲載するために本人が執筆されたもので19ページ分を占めています。
全文の翻訳が終わればご本人にお渡しするつもりですが、
今のところまだ本人の了解は取っていません。
でもここは著作権という概念に乏しい中国でもあるし
何よりも、細かいことにこだわらないモンゴル人のおおらかさで
この翻訳を喜んでくださるものと信じています。
噂によれば9月末に出版記念会が開かれるとか。
それまでに翻訳が完成すれば、それを持って私も参加したいのですが
さて間に合うかどうか。
<第1章 少年時代>
私は1924年11月26日ジリム盟フレー・ホショー(庫倫旗・元シンスルグ・ホショー)の貧しい農家に生まれた。自伝を書くのは苦しく、また同じような苦しみを経験したモンゴル人は数えきれない。このようなことを書いて誰が感動するのだと思うと筆を取るのも気が進まない。この度、しかたなく簡単に書くことにする。
私が三歳の冬のことである。見上げれば瓦屋根の穴から空が見えるような家だった。眠りにつくとき、母はいつも私をしっかりと包み込んで言った。
「おしっこがしたくなったら、おかあさんを呼ぶんだよ。」
私は言われたことを守り、ベッドの上で漏らしたことは一度もなかった。
苦しい生活の中で私を育ててくれた父母の恩を思うと、いつも目頭が熱くなる。恩返しの一つもできなかったことは人生の最大の遺憾である。親不孝な人間だったことを今いくら後悔しても遅い。このようなことは言うまい。言っても言い尽くせるものではない。「人は晩年になってやっと悟る」というではないか。
私の故里は近くに学校もない辺鄙なところだった。7歳の冬、運よく叔父が家庭塾を始めることになった。そこで3ヶ月間漢語を教えてもらい、私は学習の第一ページを開いた。