ひとりたび
小野篁、よみ人しらず、伝・柿本人麻呂の歌。孤独な旅の歌に、どのような心情が表わされてあるのでしょう。併せて、篁と人麻呂歌について、公任と俊成の評価を聞きましょう。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
407~409
407
おきのくににながされける時に、ふねにのりていでたつとて、京なる人のもとにつかはしける
小野篁朝臣
わたの原やそしまかけてこぎいでぬと 人にはつげよあまのつり舟
隠岐の国に流された時に、舟に乗って出立すると、京にいる人のもとに遣わした歌
海原を、八十島めざし漕ぎ出たと、京の人には告げてくれ、海人の釣舟……はらのわた、あまた肢間掻きて、こき出でたと、京の人には告げよ、海人の釣舟……わたの腹、あまたの肢間めざし、こぎ出たと、ひとには告げよ、あまの吊りふ根。
奥のせかいで流されたときに、ふ根に告げて、いで立つとて、みやこ成るひとのもとにやった
「ふね…舟…夫根…おとこ」「のる…乗る…宣る…告げる」「京なる人…流罪に追い込んだ男…すでに感の極みにいるひと」「京…頂上…極み…感の極み」。「わたのはら…海原…はらのわた…綿の腹…柔らかい腹」「わた…海神…海…腸…綿…女」「はら…原…腹」「しま…島…肢間…女」「こぎ…漕ぎ…こき…こく…体外に出す」「人…男…女」「あまのつりふね…海人の釣舟…女の吊りふ根」「あま…海人…天…女」。
「あまのつりふね」、この言葉、何を意味するかは言い難い。教えよと強いられれば、このおうな、し井のものがたりしないでもない。「むかし、或るおとこが、大淀の井へに入って流されて、井付きのわらわに、尋ねたと思いたまえ、さおさす感どころを我に教えよ、あまのつりふね、小さくとも同じふ根のよしみでと言った」。わかったかな? あまの吊りふ根とは、井付きのわらわよ。
上一首。わたのはら、あまのつりふねに寄せて、はらわたを、かきだし、こきだし、京の男に投げつけたいほどの、断腸の思いを詠んだ歌。「心におかしきところ」は、おとこのつよがりよ、あわれ。
歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たもの(藤原俊成)と心得給え。
歌の言葉を字義どおり一義に聞いて、この歌の姿から何を感じるというのか、流される瀬戸際で、人はその程度の歌を詠むと思うか。
(公任と俊成の評価)
この歌むかしのよき歌なり(公任・新撰髄脳)。
人には告げよといへる姿・心、たぐひなく侍るなり(俊成・古来風躰抄)。
男どもには告げよ云々と言った歌の姿・心、ひとには告げよ云々と言った歌の情、ともに類いの無いものである、ということでしょう。
408
題しらず
よみ人しらず
宮こいでてけふみかのはらいづみ川 かはかぜさむし衣かせ山
都出て、今日みかの原、泉川、川風寒い衣鹿背山……宮こをい出でて、京見かのはら、出づ身かは、ひとの心風、心にさむい、衣貸せやま。
「みやこ…都…宮こ…極まり至ったところ…感の極み」「けふ…今日…京…絶頂…みやこ」「みかの原…原の名。見かの原」「見…覯…まぐあい」「原…平原…山ばではなくなったところ」「いづみかは…泉川…出づ身かは」「かは…川…だろうか…疑問を表わす」「川風…女心に吹く風」「川…女」「かせやま…山の名。鹿背山、貸せや間」。
上一首。川、風、山の名に寄せて、みやこを出て下ってゆく旅の、男の思いを詠んだ歌。
409
ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに しまがくれゆく舟をしぞ思ふ
この歌、ある人のいはく、柿本人麻呂が歌なり
ほのぼのと、明ける明石の浦の朝霧に、島隠れゆく舟惜しと思う……ほのぼのと明かしのひとの心が、浅きりのために、し間隠れ逝く、ふ根を、死ぞ思う。
この歌は、或る人が言うには、柿本人麻呂の歌である。
「あかし…明石…地名。明かし、朝を迎える、あかし、限りがきておわる」「浦…女…うら…心」「朝霧…浅切り…飽き満ち足りることなく打ち切る」「に…場所・時を表わす…原因・理由を表わす」「しま…島…肢間…女」「ふね…舟…夫根…我・作者自身…おとこ」「をしぞ…惜しぞ…愛しぞ…お死ぞ」「しぞ…前の語を強めることば…士ぞ…肢ぞ…死ぞ」。
上一首。舟に寄せて、男の孤独な旅を詠んだ歌。心におかしきところが添えられてある。篁と同じ境遇にある人の歌と思われる。柿は流れ流れて梨と和泉式部は言う。
(公任と俊成の評価)
これは昔のよき歌なり(藤原公任・新撰髄脳)。
上品上。これは言葉妙にして余りの心さへあるなり(公任・和歌九品)。
歌の言葉は絶妙の用い方で、姿心は勿論、余情さえある、というのでしょう。
柿本朝臣人麿の歌なり。この歌、上古、中古、末代まで相かなへる歌なり(俊成・古来風躰抄)。
風躰抄序文には、柿本人麿について、「ことに歌の聖にはありける。これはいとつねの人にはあらざるけるにや、彼の歌どもは、その時の歌の姿・心にかなへるのみにもあらず」という。
常人ではなく時代を超えた超人。世が様々に改まり、人の心も歌の姿も、折につけて、移り変わるものだけれど、この人の歌は、いつの時代でも歌の鑑である、とも述べている。
公任も俊成も、貫之のいう「歌のさまを知り言の心を心得た人」でしょう。同じ聞き耳をもてば、同じ評価ができる。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
ひとりたび
安倍仲麻呂の孤独な旅の歌。言の心で聞けば、望郷の念のほかに、どのような心にをかしきところが聞こえるでしょう。併せて、「土佐日記」の仲麻呂についての記事を読みましょう。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
406
406
もろこしにて月を見てよみける
安倍仲麿
あまの原ふりさけみればかすがなる みかさの山にいでし月かも
この歌は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへて、えかへりまうでこざりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるに、たぐひてまうできなむとて、いでたちけるに、めいしうといふところのうみべにて、かのくにの人、むまのはなむけしけり。よるになりて、月のいとおもしろくさしいでたりけるをみてよめるとなむ、かたりつたふる。
唐土にて月を見て詠んだ歌
天の原ふり離れ見れば、あれは春日の、三笠の山に出た月かなあ……あまの腹、ふり離れてみれば、かすかである、みかさなる山ばにいでたつき人おとこかあ。
この歌は、昔、仲麿を唐土にもの習わしに遣わしたけれども、長年の時を経ても帰って来れなかったのを、この国より又使節が行き着いた時に、ともに帰って来ようとして、出立しようとした時に、明州という所の海辺にて、彼の国の人、餞別の宴を催したのだった。夜になって、月がとってもおもしろく出たのを見て詠んだと、語り伝える。
「あまのはら…天の原…女の腹…あをうなはら(土佐日記ではこのように表記している、わかりやすくするためよ)…青海原…吾をうな腹…わが女の腹」「かすかなる…春日にある…微かである…わずかである…衰えている」「三笠…三つ重なる…見重なる」「見…覯」「山…山ば」「月…月人壮士(万葉集の表記)…男…おとこ」「月かも…あの月だろうなあ…やつれ衰えた尽きた壮士かあ」「かも…疑い詠嘆する意を表わす…詠嘆し疑う意を表わす」。これらは言の戯れと「言の心」。
上一首。月に寄せて、異国での長い旅の中に在って、祖国を思い、やつれ衰えた男の心情を詠んだ歌。
仲麿は帰国しょうとして、長安を出立して黄河を下って大海原に出だけれど、風と波のために難破して、遥か、上海という所より南方の、明という所に流れ着いた。その明州で行われた餞別の宴は、祖国へではなく長安へ帰る旅立ちだったようだ。帰国する次の機会も失って、終に仲麿は、彼の国の高官として、異国の都で没したと言い伝える。
歌の「清げな姿」に望郷の念がうかがえる。「心におかしきところ」に身も心も憔悴しきった男の心情が表れている。長くむなしい独り旅に出立する男の「深い心」も感じられるでしょう。
うみの中より出でくる月
さて、この和歌は、言葉の異なる唐の国の人に通じたのでしょうか? 古今集編纂から数十年後、貫之は「土佐日記」を書いた。そこでも仲麻呂の歌を思って、一月廿日の記事に、ほぼ次のように記している。
二十日の夜の月がでた。山の端もなくて、海の中より出てくる。むかし、安倍の仲麻呂といった人は、唐に渡って、帰って来るときに、船に乗るべき所にて、彼の国の人、はなむけの宴を設けて、別れ惜しんで、彼の漢詩を作ったりしたのだった。飽きもしなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで、そうしていたという。その月は海より出たのだった。これを見て、仲麻呂の主、「わが国では、このような歌をですね、神世より神もお詠みになられ、今は、上中下の人も、このように、別れを惜しむとき、喜びや悲しみのあるときには詠むのです」といって詠んだ歌、
あをうなはらふりさけみればかすかなる みかさのやまにいでしつきかも
と詠んだのだった。彼の国の人、聞いてもわからないだろうと思ったけれども、言の心を、男文字(漢字)にして、内容を書き出し、わが国の言葉を伝え知った人に言い知らせると、歌の心を聞き得たのだろう。思いのほかに愛でたのだった。唐とわが国とは、言葉は異なるけれども、月の光は同じであろうから、人の心も同じなのだろうか。
言の心を現代の言葉にして、内容を書き出し、日本語を伝え知る現代の人々に知らせると、歌の心を聞き得て、現代の人々も思いのほか愛でることができるはず、古代と現代では言葉は異なるけれども、月の光は同じだろうから、人の心も同じでしょう。
この歌は、「海…女…憂み」「月…ささらえをとこ…月人壮士…男…おとこ」という言の心さえ心得えないまま、「清げな姿」からも感じられる望郷の念の歌とされて、歌の下の心は埋もれてしまったもよう。そうしてしまったのは誰でしょうかなぜでしょうか。
言の心を心得たならば、公任のいう歌の「清げな姿」とともに「心にをかしきところ」や「深い心」が感じられるでしょう。
「これは、むかしのよき歌なり」と公任は「新撰髄脳」に記している。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
よみ人しらず、貫之、友則の歌。飽き足りぬまま別れる思いをどのように表わしたのでしょう。併せて、大和物語の近しき人との永久の別れの歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
403~405
403
題しらず
よみ人しらず
しひて行く人をとゞめむさくら花 いづれをみちとまどふまでちれ
強いて行く人を止めよう、桜花、どこが道かと惑うまで、花散らしてよ……しひて逝く人、を止めたい、さくお花、どこが路かと惑うまで散れ。
「しひて…強いて…肢ひて」「ひる…放つ」「ゆく…行く…逝く」「人…男」「桜花…男花…おとこ花」「道…路…ゆきかようところ…女」「散れ…命令形…散らせ…尽くせ」。女の歌。
上一首。桜花に寄せて、飽き足りない別れを詠んだ歌。
404
しがの山ごえにて、いしゐのもとにて物いひける人の別れけるをりによめる
貫 之
むすぶ手のしづくににごる山の井の あかでも人に別れぬるかな
志賀の山越えにて、石井の清水のもとにて言葉を交わした人が、別れて行ったときに詠んだ歌
掬う手のしずくに濁る、山の井のように、浅くもの足りない思いのまま、人に別れてしまったのだなあ……結ぶてのしずくにみだれる山ばのひとが、飽き足りずも、人に別れてしまったなあ。
至賀の山ば越えにて、きよき井のもとにて、情けを交わした人が、別れていった折に詠んだ
「しが…志賀…滋賀…至賀…至福」「山…山ば」「石、岩…女」「井、水…女」「ものいふ…言葉を交わす…情けを交わす」「人…女…男」。「むすぶ…掬う…結ぶ」「て…手…身の端」「しづく…雫…少し…白つゆ」「にごる…清水が濁る…澄んだ心が濁る…心が淫らとなる」「山の井…あさい…きよい…山ばの女」「人…男」「かな…感嘆・詠嘆を表わす」。
405
道にあヘリける人のくるまにものいひつきて、わかれける所にてよめる
友 則
したおびの道はかたかたわかるとも ゆきめぐりてもあはむとぞ思ふ
道で出会った人の車にもの言いかけ終えて、別れたところにて詠んだ歌
下帯のような道は方々、カタカタと別れても、行き巡りまた逢いたいと思う……下おひのみちは、片方別れても、逝きめぐりまたも、合いたいと思う。
みちで合ったひとが、車中で情けを尽くしおえて、わかれたところにて詠んだ
「した…下…しもの身」「おび…帯…おひ…老い…追い…ものの極み…感の極み」「みち…路…女」「かたかた…牛車の音…方方…あちらこちら…片方…片一方だけ」「逢う…合う…覯」。
上二首。道での人との別れに寄せて、飽き足りぬまま別れるひとの思いを詠んだ歌。
近しき人との永久の別れ
離別歌の巻の最後に、大和物語71の別れ歌を聞きましょう。
故式部卿の宮は、宇多帝の皇子、醍醐天皇の同母弟、「好色無双、美男」だったという。母は三条の右大臣定方の妹。定方と堤の中納言兼輔は従兄弟。
故式部卿の宮うせたまひける時は、きさらぎのつごもり、花のさかりになんありける。つつみの中納言のよみたまひける、
さきにほひかぜまつほどのやまさくら 人のよゝりひさしかりけり
三条の右のおとゞの御かへし、
はるはるの花はちるともさきぬべし またあひがたき人のよぞうき
故式部卿の宮が、なくなられた時は、きさらぎの晦日、花の盛りであったのだ。堤の中納言がお詠みになった。
色美しく咲きほこり風待つほどの山桜、人の世より久しい命だなあ……咲きほこり心風待つほどの山ばのおとこ花、ひとの夜より久しかったそうだなあ
三条の右大臣の御返事、
春毎の花は散るともまた咲くだろう、また逢い難き人の世はつらいなあ……張る春の花は散るともまた咲くのだろう、また合い難きひとの夜は憂きものを。
「花…桜…男花…散りやすいもの」「人…人間…女」「けり…伝聞・詠嘆などを表わす」。「はる…春…張る…春情」「憂き…連体止め…余情をのこす表現」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
わかれうた
よみ人しらずの歌。すべて女の歌として聞く、どのような心にをかしきところが包まれてあるでしょう。併せて、伊勢物語121の歌の思いがどれほどのものか聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
400~402
400
題しらず
よみ人しらず
あかずしてわかるゝ袖のしらたまを きみがかたみとつゝみてぞゆく
なごり尽きずに、別れる袖の涙の玉を、きみの形見と、袖に包んで行くわ……飽き満ち足りずに、別れるそでの白玉を、君の片見の形見だと、筒見て逝くわ。
「そで…袖…衣の袖…はし…身の端」「白玉…涙のつゆ…おとこ白玉」「白…おとこの色」「かたみ…形見…なきものを偲ぶよすがとなる品…片見…不満足な覯」「つつみて…包んで…筒見て…中空の空しきもの見て」「見…覯…まぐあい」「ゆく…別れ行く…逝く」。女の歌。
401
限りなくおもふ涙にそぼちぬる 袖はかわかじあはん日までに
限りなく君を思う涙に濡れた袖は、乾かないでしょう、つぎに逢う日まで……限りなく思うなみだに、しっとり濡れた身の端は、乾かないでしょうまた合う火まで。
「涙…目の涙…ものの涙…おとこ白玉」「そぼつ…ぬれる…ふりそそぐ」「そで…袖…端…身の端」「逢う…合う…覯」「日…火…情熱の火」。女の歌。
402
かきくらしことはふらなん春雨に ぬれぎぬきせて君をとゞめん
かき曇らせて、おなじことなら降ってほしい、春雨に濡衣着せて、ひどい雨ねと、君を留めたい……かきはてて、ものは降って欲しいの、春のお雨に濡衣着せて、ひどい降りねと、君のおは留めておくわ。
「かきくらし…かき暗くし…かき暮らし…掻きつくす」「かき…接頭語…掻き」「春雨…おとこ雨…張るさめ」「春…春情…張る」「濡衣着せて…無実の罪をきせて…ちがうものの所為にして」「君を…別れ行く君を…折れ逝く君のおを」「とどめん…留めん…止めん」「ん…む…意志を表わす」。女の歌。
上三首。涙、春雨に寄せて、女の立場で、ものの果の別れを詠んだ歌。
伊勢物語の歌の色と匂ひ
別れ歌ではないけれど、伊勢物語121の男と女の歌は、どれほどのなまなましさを言の葉に表わしているか聞きましょう。
むかし、をとこ、梅壷より雨にぬれて人のまかりいづるを見て、
うぐひすの花をぬふてふかさもかな ぬるめる人にきせてかへさん
返し、
うぐひすの花をぬふてふかさはいな おもひをつけよほしてかへさん
昔、男、疑花舎より雨に濡れて人が退出するのを見て、
鶯が花を縫って作るという花笠があればなあ、濡れてる人に着せて帰してあげたい……憂くひすひとが、お花を合わせるという嵩があればなあ、緩めるひとにきせて、繰り返したい。
むかし、おとこ、むめ壺より、お雨に濡れて、人の引き下がるのを見て、
返歌
鶯が花を縫うという笠は否、思い火つけて、濡れ衣干して火はかえすわよ……憂くひすひとが、お花を合わせるという嵩はいらない、思火つけてよ、ほして返すわ。
お返し
「梅壺…疑花舎の別名…むめ壺…おとこと女のツボ」「む…武、矛…おとこ」「雨…おとこ雨」。「うくひす…鶯…鳥…女…憂く干す…もの足りず苦しくてかわく…憂く泌す…もの足りず苦しくてぬれる」「ぬふ…縫う…縫製する…合わす」「かさ…笠…嵩」「ぬる…濡る…緩るい…ゆるい」「かへす…帰す…返す」。「おもひ…思ひ…思火」「つけよ…付けよ…着けよ…着火して」「ほす…干す…のみほす…しつくす」。
上のような言の戯れと言の心を心得れば、伊勢物語や古今集の歌の文脈に立ち入ることができる。歌の清げな衣の紐も帯もひとりでに解けるでしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
貫之の別れの歌と兼覧王の返し歌、躬恒の別れの挨拶の歌の心におかしきところを、言の心で聞きましょう。併せて、伊勢物語の業平の別れの挨拶の歌、どのような匂いが残っているのでしょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
397~399
397
かむなりのつぼにめしたりける日、おほみきなどたうべて、あめのいたくふりければ、ゆふさりまで侍りて、まかりいでけるをりに、さか月をとりて、
貫 之
秋はぎの花をば雨にぬらせども 君をばましてをしとこそおもへ
雷の壺にお召しになった日、御酒など与えられ、雨がたいそう降ったので夕方までおそばに控えて居て、退出した折りに、さかづきをとって詠んだ歌
秋萩の花を雨に濡らし惜しいけれども、それにも増して、君をなごり惜しく思います……飽き端木のお花をば、お雨に濡らしても、それでも君を、増して愛しいとさかつきは思う。
かみ泣きのつぼに召された日、おおみきなど飲まれて、なみだ雨などたいそう降ったので、果て方まで侍りて退出する折、逆つきを手にもって
「かむなり…神鳴り…雷…かみ泣き」「たうぶ…与える…飲む」「あめ…雨…涙雨…すっかり涙腺ゆるむ」「さか月…杯…逆つき…女」「つき…月…月人壮士…おとこ」。「秋…飽き」「萩…端木…おとこ」「はな…花…端…おとこ花」「をし…惜しい…愛しい」。
398
とよめりける返し
兼覧王
をしむらん人の心をしらぬまに 秋のしぐれと身ぞふりにける
と詠んだ歌のお返し
惜しむであろう人の心を知らぬ間に、秋の時雨とともに、わが身にも涙降ったなあ……愛しと思うひとの心を知らぬ間に、飽きのしぐれのお雨となって、身ふり果てたよ。
「をしむ…惜しむ…愛しと思う」「らむ…だろう…とかいう…婉曲な表現」「人…男…女」「秋…飽き」「しぐれ…時雨…その時のおとこ雨」「と…とともに…となって」「ふる…古る…盛り過ぎる…降る」。
上二首。雨に寄せて、酒飲み談笑し涙を流し、別れ際に、ひとの立場で君を愛で申し上げた歌と、その返歌。
399
かねみのおほきみにはじめてものがたりして別れける時によめる
躬 恒
わかるれどうれしくもあるかこよひより あひみぬさきになにをこひまし
兼覧王に初めてお話をして、別れたときに詠んだ歌
別れるけれど嬉しくもある、今宵よりお逢いせぬ前に、つぎは何の話を乞おうかなと……別れても嬉しくもあるよ、こ好いにより、合い見ない前に、ひとは何を乞うかなと。
兼覧王におかれては、初めてものの話をされて、別れたときに詠んだ
「に…にたいして…対象を示す…におかれても…主語であることを示す」「ものがたりして…物語して…ものの話をして」。「こよひ…今宵…子好い…子酔い」「こ…子…おとこ」「見ぬ…覯せぬ」「こひ…乞い」「まし…したものだろうか…ためらいの意を表わす…もし何なら何々だろう…事実ではないことを仮想して推量する意を表わす」。
上一首。もの語りに寄せて、兼覧王のお話に唱和した歌。
業平の別れの挨拶の歌
兼覧王は、在原業平や紀有常がお仕えした惟嵩親王の王子。
伊勢物語83によれば、惟嵩親王は、山崎の向こう水無瀬の離宮に、年毎の桜の花ざかりには通って行かれ、交野にて狩もされていたが、あるとき、いつもと様子が違っておられた。歌の返しもされず、眠れないご様子で夜を明かされた。
そうするうちに、思いがけず、御髪をおろされたのだった。
正月に、庵のある小野という所に参上すると、比叡の麓なので雪がとっても高く積もっていた。むかしのことなど思い出しては、お話申し上げ、名残惜しかったけれど公の仕事もあって、夕暮れに帰るということで、
忘れては夢かとぞ思ふおもひきや ゆきふみわけて君を見むとは
と詠んで、泣く泣くさがって来たのだった。
うつつとはふと忘れて、これは夢かと思う、思ったでしょうか雪踏み分けて君にお目にかかろうとは……うつつとはふと忘れて、これは夢かと思う、思ったでしょうか、積もり積もったおとこ白ゆき踏み分けて、君にお目にかかろうとは。
「ゆき…雪…白ゆき…おとこの情念…白逝き…おとこの残念」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
わかれうた
僧正遍照、幽仙法師、兼芸法師の別れ歌。桜や滝に寄せて、何の別れを詠んだのでしょうか。併せて、大和物語の戒仙法師の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
394~396
394
うりむいんのみこの舎利会に山にのぼりてかへりけるに、さくらの花のもとにてよめる
僧正遍照
山かぜにさくら吹きまきみだれなん 花のまぎれに君とまるべく
雲林院の親王が舎利会のために比叡山に登って帰ったときに、桜の花のもとにて詠んだ歌
山風に、桜の花よ、吹き乱れてくれ、花の紛れに君がここに泊まれるように……山ばの嵐にお花よ吹き捲き乱れてくれ、お花の紛れに君断ち止まるでしょうよ。
「雲林院の親王…遍照が出家前にお仕えしていた故仁明天皇の皇子、母は紀氏、皇位継承はないが、俗でいるとその存在は重い」。「山風…山ばで心に吹く風…嵐…荒し」「さくら…桜…咲くら…男花」「花…おとこ花…男の煩悩のしるし」「とまる…留まる…泊まる…立ち止まる…男の諸々の思い断ち止まる」「べく…べし…することができるだろう」。
395
幽仙法師
ことならば君とまるべく匂はなむ かへすは花の憂きにやはあらぬ
できることなら、君留まるよう色美しく咲いてくれ、帰すのは花が気にいらぬのではないのか……できることなら、君止まるよう色こく咲けよ、くり返すのはお花がいやがるのではないのか。
「とまるべく…留まることができるほどに…思ひ止まることができるよう」「君…親王…この君…おとこ」「にほはなむ…色美しく咲いてほしい…おとこ花色濃く咲いてほしい」「かへす…帰す…花がつまらなくて人を帰す…返す…おとこ花咲くをくり返す」「花…桜…木の花…男花…おとこ花…男の煩悩のしるし」「うき…憂し…気に入らない…わずらわしい」。
上二首。桜の花に寄せて、おとこのさがを詠んで、親王の俗世との決別を思った歌。
396
仁和みかど、みこにおはしましける時に、ふるのたき御らんじにおはしまして、かへりたまひけるによめる
兼芸法師
あかずしてわかるゝ涙たきにそふ 水まさるとやしもはみゆらむ
仁和帝、親王であられた時に、布留の滝を御覧じにいらっしゃって、お帰りになられたので詠んだ歌
飽き満ち足りずに別れる我が涙、滝にそそぎ、水かさ増さると下流では見るだろうかな……飽き満ち足りずに別れる涙、多気に添う、ひとの心地の増さるかと、しもは見るでしよう。
「滝…女…多気…多情…女の煩悩のしるし」「そふ…一緒になる…添う…加わる」「水…女」「しも…下…下流…肢も…しもの身…おとこ」「見ゆ…覯す…まぐあう…見える…かんじる」。
上一首。滝に寄せて、ひとの多気なるを詠んだ歌。
戒仙法師の歌
大和物語27の戒仙法師の歌を聞きましょう。
戒仙という人は親兄弟の言うことも聞かず法師になったのだった。父が亡くなられた年の秋、家に貫之や友則ら客人集まってきて、酒飲むうちに、客も主人も亡くなられた父君のことを恋しく思った。朝ぼらけに霧たちこめたとき、客人、
朝霧の中に君ますものならば 晴るるまにまにうれしからまし
と言った。戒仙、
ことならば晴れずもあらなむ 秋霧のまぎれに見ゆる君と思はん
朝霧の中に父君いらっしゃるものならば、晴れるにしたがい嬉しいでしょうな……浅きりの中に、この君増すものならば、張れる間に間に嬉しいでしょうにな。
できることなら晴れないでほしい、秋霧のまぎれに見える父君と思っていたい……できることなら、張れないでほしいよ、厭き切りのまぎれに見える子の君と思っていたい。
「秋…飽き…厭き」「朝…浅」「霧…限」「晴る…張る…おとこの煩悩のしるし」「君…厭わしいと思ったこともある父君…厭わしいわがこの君」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
僧正遍照、幽仙法師の別れ歌。友人や法師仲間との別れの挨拶のように聞こえる、けれども、それだけの歌でしょうか。和歌はその程度のものなのか。併せて、和漢朗詠集の僧の和歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
392~393
392
人の花山にまうできて、ゆふさりつかた、かへりなんとしける時によめる
僧正遍照
ゆふぐれのまがきは山とみえななむ よるはこえじとやどりとるべく
人が花山寺に詣でに来て、夕方になったころ、帰えろうとした時に詠んだ歌
夕暮れの雑木の垣根は、山と見えてくれ、今夜は越えないと、ここに宿をとるだろう……夕暮れの魔・餓鬼は、障りと見えてくれ、夜は山ば越えないと、宿り取り去るとよいだろう。
ひとが花の山ばに参って来て、果て方になるころ、返ろうとした時に詠んだ
「人…知人の男…女たち」「花山…寺の名…おとこ花の山ば」。「まがき…籬…雑木・竹で作った垣根…魔・餓鬼…間餓鬼」「魔…邪魔」「餓鬼…餓鬼道に堕ちたひと…あらゆる欲にとりつかれたひと」「間…女」「山…越されぬ障害物…障り…ものの山ば」「やどりとる…宿をとる…宿りをとり除く…宿る邪魔を取り去る」「べく…べし…するだろう…確信のある推量をあらわす…するがよい…当然・適当・命令などを表わす」。
上一首。まがきに寄せて、魔、餓鬼や煩悩、業などとの離別を詠んだ僧の歌。
「僧正遍照は、歌の様は得たれどもまこと少なし(仮名序)」と評した。何が少ないのか?と問われれば、心におかしきところのお色けと答えよ。「例えば絵に描ける女を見て心うごかすが如し(仮名序)」という程度ながら、「心におかしきところ」は感じられるでしょう。
歌の「深い心」は観じ給え。歌の清げな姿だけを見ていると、帰るという人を引き止める惜別の歌と聞こえる。そして、貫之の批評がわからなくなる。
393
山にのぼりて、かへりまうできて、人々わかれけるついでによめる
幽仙法師
別れをば山のさくらにまかせてん とめむとめじは花のまにまに
山に登って帰ってきて、人々が別れるときに詠んだ
散会を山の桜に任せましょう、引き留める留ないは、花の散るままに……浮き世との別れをば、我々は山ばのお花に任せよう、止める止めないは、お花のままに。
「別れ…解散…散会…俗世との別れ」「山…山ば」「桜…木の花…男花…おとこ花」「花のまにまに…花のままに…花散れば解散、散らねば留まる…浮よとの決別はおとこ花のままに」「花…木の花…男花…おとこ花…おとこの情念…男の煩悩のしるし」。
上一首。花に寄せて、思いのほかに咲くおとこ花との決別について詠んだ歌。
和漢朗詠集の僧の和歌
和漢朗詠集巻下「僧」にあって、離別の歌ではないけれど、或る僧の歌を聞きましょう。
みわ川のきよきながれにすゝぎてし わがなをさらにまたやけがさむ
三輪川の清き流れにすゝぎてし 我が名を更にまたや汚さむ(又は、衣の袖は更に汚さじ)
三輪川の草庵にて清水に清めた我が名を、律師とかに任じられ、更に又汚すだろうか、ご辞退いたします……三輪川の清い流れに清め無垢となった我がものを、さらに股汚すだろうか、お花咲かさない。
「わがな…我が名…わが汝…あがこの君…わがおとこ…(或る本は)我が袖…わが身のそで…わがおとこ」「また…又…復…股…股間」「やけがさむ…世俗の垢に名を汚すだろうか汚さない…もののお花で袈裟を汚すだろうか汚さない」。
或る僧が位を辞退した折の歌という。言の戯れと言の心を心得れば、歌には、深い心、清げな姿、心にをかしきところがあるとわかるでしょう。そして、公任の歌論がわかるようになる。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
わかれうた
貫之、藤原兼輔の別れ歌。心におかしきところを添え人を快くして、送る歌。併せて、「枕草子」の、宮の乳母との別れの御歌を聞いて頂きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
390~391
390
藤原のこれをかがむさしのすけにまかりける時に、おくりにあふさかをこゆとてよめる
貫 之
かつこえてわかれも行くかあふ坂は 人だのめなる名にこそありけれ
藤原のこれおかが武蔵の国の介に赴任して行った時に、見送りのために逢坂を越えるということで詠んだ歌
たちまち越えて、別れて行くのか、逢坂は頼み甲斐のない名であったなあ……たちまち越えて離れてゆくのか、合坂は、頼りない名だったなあ
「かつ…すぐに…たちまち」「逢坂…関所のあった山坂の名…合坂…和合の山坂…越えれば合う身または京、みやこ」「人だのめ…頼りにさせてその実のない…他人が頼りの頼りなさ」「名…なまえ…名目…虚名」。
上一首。逢坂に寄せた餞別の歌。ひととおとこの合う山ばのはかなさを、心にをかしきところとして添えた。
391
おほえのちふるがこしへまかりけるむまのはなむけによめる
藤原兼輔朝臣
きみがゆくこしのしら山しらねども 雪のまにまにあとはたづねん
大江千古が越路へ下って行ったとき餞別に詠んだ歌
君が行く越路の白山、知らないけれど、雪の行き跡にしたがって訪ねて行こう……君がゆく越しの白い山ばは、しら根ども置く白ゆきのままに、跡は尋ねるよ。
「越の白山…地名と山の名、戯れる」「越…越路…山ば越す」「白山…男山…男の思いが積もった山ば」「白…男の色」「ゆき…行き…雪…おとこ白ゆき…おとこの情念」しらね…知らぬ…白ね」「根…おとこ」「ども…親しみを表わす」「まにまに…に従って…につれて」。
上一首。越の白山に寄せた、餞別の歌。つもったおとこ白ゆきの跡を尋ねゆくが、心におかしきところ。
別れの思いにはいろいろあって、まことの惜別もあれば、儀礼の惜別もあり、立つ日も聞きたくないという腹立たしい別れもあった。
扇にお書きになった別れの御歌
中宮の御乳母は大夫の位を得ていつまでもお側にお仕えして当然のお方ながら、落日の主家は、いまや望月の道長の威光に抗せるはずもなく、みな人は蝶よ花よといそぎその方に去って行く頃、御乳母の大夫の命婦は日向の国に下って行った。
宮より給わされる扇の中に、片面には日うららかにさした田舎の舘など多く描いてあって、もう片面は、京のさるべき所で、雨のひどく降るところに、
あかねさす日に向かひても思ひいでよ みやこははれぬながめすらんと
御手にて、お書きになられる。とってもあわれである。このようなお方を見置きたてまつりてよ、行けるものだろうか。(枕草子223)
あかねさす日向に向って行っても、思い出してよ、都は晴れぬ長雨してるだろうと……赤ねさす日に向かってもうららかでも思い出してよ、都の宮こは、はれぬ思いに沈んでいると。
「あふぎ…扇…逢う気…逢いたい」「あかねさす…枕詞、戯れる。茜さす、赤根さす」「赤…元気色」「根…おとこ」「都…宮こ…ものの極み…感の極み」「ながめ…長雨…もの思いに耽る…もの思いに沈む」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
わかれうた
白め、源さね、藤原かねもちの別れの歌。白女は山崎の遊びめ、歌にはどのようなおかし味が添えられてあるかな。併せて、大和物語の筑紫の遊びめの歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
387~389
387
源のさねがつくしへゆあみむとてまかりける時に、山さきにてわかれをしみける所にてよめる
しろめ
いのちだに心にかなふものならば なにかわかれのかなしからまし
源実が筑紫へ湯治にと出かけた時に、山崎にて別れ惜みした所で詠んだ歌
命さえ人の心の、願いどおりになるものならば、どうして別れが悲しいでしょうか……この君のいのちさえ、わたしの心どおりに、なるものならば、どうしてわかれが悲しいでしょうか。
源実が尽くしたあたりで湯浴びしょうと間かりしていた時に、山ばの前にて別れ惜みしたところで詠んだ
「筑紫…地名、戯れる。尽し、薬石尽くし、手当て尽くし、ものごと尽くし」「山崎…地名、戯れる。山先、山ばの前」「まかる…下って行く…間借る」「間…女」「かる…まぐあう」。「命…人の命…君の命…小の君のいのち」「かなふ…叶う…望みどおりになる」「かなし…悲しい…切ない…いとしい」。はかないものだから愛しいのよと慰める遊びめの歌。
この歌には、清げな姿と心にをかしきところ、深い心もある。公任の「和漢朗詠集 餞別」に選ばれてあるのは、そのためでしょう。
昔、船着場の山崎には、「うりびとのこゝろをぞしらぬ」「かならずしもあるまじきわざなり」と、「土佐日記」2月16日に貫之が記した業を、なりわいとする春のもの売る女たちがいた。
388
山さきより神なびのもりまで、おくりに人々まかりて、かへりがてにして、わかれをしみしけるによめる。
源 実
人やりの道ならなくにおほかたは いきうしといひていざかへりなん
山崎より神なびの森まで見送りに、人々がやって来て、帰り難そうにして別れ惜しみしたので詠んだ歌
人に遣わされゆく道中ではないのであって、大方の諸君は、行きづらいよと言ってさあ帰ってほしい……ひとにやらされた、路ゆきではないのだからな、おお方は逝きづらいと言って、いざくり返してほしいのよ。
山ばのさきより、ひとなびの盛りまで送るために、おとこ間かりて、返り難そうにしてわかれ惜しみしたので詠んだ
「神なびのもり…地名。神奈備の森、かみなびの盛り」「神…かみ…女」「なび…靡…並…連なる」。「ひとやり…他人に強いられする…ひとに強いられする」「道…道中…かよいみち…女」「ならなくに…ではないのであって…ではないのに」「おほかた…普通一般…我以外の男…おお方…おとこの方」「いき…行き…逝き」「憂し…気が進まない…いやだ」「かへりなん…お帰り頂きたい…かえってほしい…わが身は元の状態に返ってほしい」「なん…なむ…適当・当然で、それを望む意を表わす」。
389
今はこれよりかへりねと、さねがいひけるをりによみける
藤原兼茂
したはれてきにし心の身にしあれば かへるさまには道もしられず
今は、これよりお帰りと、実が言った折に詠んだ歌
君慕われてやって来た心だけなので、帰る間際に、道もわからない……慕わしくて来た心の身なので、もとに返りようも、てだても知らず。
すぐにこれより、もとに返ってと、さねが言った折に詠んだ
「のみ…それだけ…の身…のおとこ」「し…強めて表わす…士…枝…肢…おとこ」「かへるさま…帰る間際…返るさま…繰り返すてだて」「道…かえり道…筋道…方法」。
上三首。別れに寄せて、宮こより下って逝く一過性のおとこの思いを添えて、わかれを惜しむ情を詠んだ歌。
遊びめの歌
大和物語によると、むかし、筑紫の、ひがきのご(桧垣の御)という遊び女は、経験豊かで、おかしくて、世を経て媼となっていた。以下、大和物語128の原文、すがた、心におかしきところ、言の戯れと言の心を順に示す。
このひがきのご、うたなむよむといひて、すきものどもあつまりて、よみがたかるべきすゑをつけさせむとてかくいひけり。
わたつみのなかにたてるさをしかは
とてすゑつけさするに、
秋のやまべやそこにみゆらむ
とぞつけたりける。
この桧垣の御、歌を詠むのだと言って、好き者ども集まって、詠み難そうな末の句を付けさせようと、このように言ったのだった。
わたつ海の中に立てるさ牡鹿は(大海原の中に立っているさ牡鹿は)
と言って末付けさせたところ、
秋の山辺やそこに見ゆらむ(秋の山辺が底に見えるのでしょうか)
とだ、付けたのだった。
経験のない者、言の心を知らぬ者は、この程度の歌かと侮るでしょう。それは海を見てうわ辺の浪や大海原の景趣にのみ目が行って、海の深さに全く気付かない人に似ている。
この桧垣の御、歌を詠むのだと言って、好き者ども集まって、詠み難そうな末の句を付けさせようと、このように言ったのだった。
つづく身の中に立ってるさ男肢下は
と言って末付けさせたところ、
飽きの山ばの裾辺りが、すぐそこに見えるのでしょうか
とだ、付けたのだった。
「わたる…ひとの許へ行く…ひろがる…つづく」「わたつみ…海…海神…女」「さをしか…さ牡鹿…棹肢下…さ男枝下…おとこ」「さ…接頭語」「秋…飽き…厭き」「山…山ば」「そこ…底…其処」「見…覯…まぐあい」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
わかれうた
貫之、藤原兼茂、平元規の別れ歌。歌には、人を心地よくさせる心におかしきところが添えられてある。併せて、伊勢物語のひとと別れた男を慰める歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
384~386
384
おとはの山のほとりにて人をわかるとてよめる
貫 之
おとは山こだかくなきて郭公 きみがわかれををしむべらなり
音羽の山の辺にて人と別れるということで詠んだ歌
音羽山、木高く鳴いて、ほととぎす、君の別れを惜しんでるようだ……おと端の山ば、小高く泣いて且つ乞うひとが、君のわかれを惜しんでるようだ。
おと端の山ばのほとりにて、ひと、お、わかれるとて詠んだ
「人を…人に…人と…ひと、お」。「音羽山…山の名。鳥の羽音する山、女の端声する山ば」「鳥…女」「羽…端」「音…声」「鳴く…泣く」「郭公…ほととぎす…かっこうと鳴く鳥…且つ覯且つ乞うと泣くひと」「わかれ…ひととおの別れ…山ばでの別れ」「を…お…おとこ」「をしむ…惜しむ…愛しむ…愛着する」。
上一首。音羽山に寄せて、人との別れに詠んだ歌。ひととおとこのわかれざまの色を添えてある。
385
藤原ののちかげがからもののつかひに、なが月のつごもりがたにまかりけるに、うへのをのこどもさけたうびけるついでによめる。
藤原兼茂
もろともになきてとゞめよきりぎりす 秋のわかれはをしくやはあらぬ
藤原後蔭が唐物の使者として、長月の晦日に下って行ったときに、殿上の男どもが酒を頂いたついでに詠んだ歌
諸共に鳴いて止めよよ、きりぎりす、秋の別れは惜しくはないのか……もろともに、泣いて止めよよ、限り限りすひと、飽きのわかれは惜しくはないか。
藤原後蔭が、おお物の使い手で、長つきの果てのころにも間かっていたので、上の男どもが酒を頂いたついでに詠んだ。
「唐物使…唐よりの舶来物の検査役」「唐…大きい」「物…もの…おとこ」「使…使者…おとこ…使い手」「ながつき…九月は秋の終わり…長つき…飽きの果て」「つごもり…晦日…ことの果て」。「きりぎりす…こおろぎ…秋に鳴く虫…限界限り限りとなる」「鳴く虫…泣く女」「秋…飽き…飽き満ち足りたとき」。
386
平 元規
秋きりのともにたちいでてわかれなば はれぬ思ひに恋ひやわたらん
秋霧が君の出立と共に立ち出て、別れたならば、我らみな晴れぬ思いに恋い続けるだろう……飽き限りの絶つのとともに、君離れれば、晴れない思いに、ひとは乞いつづくだろうなあ。
「秋…飽き…飽き満ち足りた時」「霧…限…期限切れ」「晴れぬ…霧が晴れない…思いが晴れない」「恋ひ…乞い」「わたらむ…広がるだろう…つづくだろう」。
上二首。秋霧に寄せて、ひととの飽きのわかれを詠んだ歌。後陰のおおものの使いぶりが、歌と酒の肴。
別れを嘆く男を慰める歌
「伊勢物語」26。
昔、おとこ、五条わたりなりける女をええずなりにけることとわびたりける人の返ごとに、
おもほえず袖にみなとのさわぐかな もろこし船のよりしばかりに
昔、男、五条辺りの女を得られなくなったことよと嘆いた人への返事に、
思いがけない別れの袖に港で人々騒ぐかな、唐船が寄港したほどに……思わぬ身の端にみな門のさわぐかな、君の大ふねが立寄ったばかりに。
「そで…袖…別れに振るもの…端…身の端」「みなと…港…水門…女」「もろこしふね…唐船…大船…おお夫根…唐もの」。
「おとこ」は業平、「人」も業平、歌も業平、もろこしふ根だったのも業平。つまり自らを慰めたもの語り。
上一首。失恋した「男」を慰めた歌。猛きもののふの心をも慰むるは歌なり(仮名序)。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず