わかれうた
利貞の歌と貫之の歌。餞別の歌にはどのような心におかしきところが添えられてあるでしょう。併せて、土佐日記の餞別の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第八 離別歌
370~371
370
こしへまかりける人によみてつかはしける
紀 利貞
かへる山ありとはきけど春がすみ たちわかれなばこひしかるべし
越の国へ赴くことになった人に詠んで遣った歌
帰る山、あると聞くけれど、春霞立ち、別れて行けば恋しいだろうな……返る山ばがあるとは聞くけど、はるが済み絶ち別れたら、京が恋しいだろうよ。
山ば越して逝った人に詠んでやった
「越…地方の名。春になり雪が解けないと行けないところ、山ばを越す」「人…目下の男…女」。「かへる…山の名。帰る、返る、繰り返す」「山…山ば」「春霞…張るが済み…春情澄み」「たち…立ち…絶ち」「恋しかるべし…恋しくなるだろう…恋しくなるにちがいない」「べし…推量の意を表わす…当然の意を表わす」。
371
人のむまのはなむけにてよめる
紀 貫之
をしむからこひしきものをしらくもの たちなむのちはなに心ちせむ
人の餞別として詠んだ歌
惜しむから恋しいものを、しらじらしい雲がたち、君が出立した後は、われら何心地するだろう……愛しいから恋しいものを、白らけた心の雲がたち、絶った後には、ひとはなに心地するだろうか。
ひとの餞別として詠んだ
「人…男…女」。「をしむ…惜しむ…愛しむ」「しら…白…事の果ての色…しらけた色…ものの果ての色」「くも…空の雲…心に立つ煩わしいほどのもの…情欲など」「たち…立ち…絶ち…断ち」。
土佐日記のはなむけの歌
「土佐日記」は、まずはじめに、新任の国守や国の人々が餞別の宴を設け別れを惜しみ和歌を詠む場面が、帰京する前国守に近い女の立場で描かれてある。以下言わば、「紀貫之作土佐の国より帰京の旅の物語」である。
船は出立したけれど次の湊まで、人々、元の部下達、酒や肴を持って追ってきて浜辺でも別れ難き言をいう。その場面は次のように描かれてある。
かの人々の、朽ち網も諸持ちにて、この海辺にて担いい出せる歌
をしとおもふ人もとまるとあしがもの うちむれてこそわれはきにけれ
と言ひてありければ、いといたく愛でて、ゆく人のよめりける、
さをさせどそこひもしらぬわたつみの ふかきこゝろをきみに見るかな
彼の人々が、朽ちた網も皆で持てば使えるぜと、海辺で担い出した歌、
惜しいと思う人が留まって下さるかと、葦鴨のように、我々は群がってやって来ました……いとしいと思う人が留まると、脚下もの内蒸れてですね、わたしたちやって来ました。
と言っていたので、たいそうに愛でて、ゆく男が詠んだ、
棹させど底ひも知れぬわたつ海の、深い心をきみに見ることよ……さおさせど底も知れない、つづくひとの深い情を、きみに見るかなあ。
「をし…惜しい…いとしい」「あしがも…葦鴨…鳥…女…脚下藻…悪し下毛」「うち…接頭語…内」「むれ…群れ…蒸れ」。「さを…棹…おとこ」「さ…接頭語」「海…産み…女」「こころ…心…情」「見…覯…まぐあい」。
たとえ朽ち網のような歌でも、わずか三十一文字の言葉が、去り行く男を心地よくさせたことは、たしかであるけれども、愛でた前国守は「もとよりこちごちしき人」で、歌の事、「さらに知らざりけり」という。
前国守は「骨骨しき人…武骨な人…露骨な人」で、露骨な色好み歌を愛でたけれど、歌の事を知らないためで、これらは決して優れた歌ではないと、貫之は教えている。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず