帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第七 賀歌 350~351

2009-05-05 07:15:03 | 和歌

   



 惟岳と興風の賀の歌。滝に寄せ、花に寄せて、齢の久しきを寿ぐ歌だけれども、帯とけば、ものの長寿と短命の歌。併せて、伊勢物語の在原行平の滝の歌を聞きましょう。


   古今和歌集 巻第七 賀歌
       350~351


350
 さだときのみこのをばのよそじの賀を大井にてしける日よめる
               紀 惟岳
 かめのをの山のいはねをとめておつる 滝のしら玉千世のかずかも

  貞辰親王のおばの四十の賀を大井にてした日に詠んだ歌。
  亀のおの山の岩すそを求め伝って落ちる滝の白玉は、千世の数かも……亀のおの山ばのいわ根を求め堕ちる多気の白玉は、千夜の数かなあ。

 「大井…地名、多い、おお井」「井…女」。「亀のおの山…山の名、男の山ば」「亀…おとこ」「を…お…おとこ」「山…山ば」「岩ね…岩すそ…巌根…磐石な根」「岩…女」「根…おとこ」「とめて…求めて…したって…伝って…したたって」「滝…女…多気…多情」「白玉…水玉…女のたましい」「ちよ…千世…千歳…千夜」「かも…詠嘆を含んだ疑問の意を表わす」。

 上一首。滝に寄せて、年齢の祝賀に添えて、ひとのおおいなる多気を詠んだ歌。


 布引の滝

 むかし、或る男、芦屋の里に住んでいた。衛府の男ども遊びに集まって来ていた、衛府の長官であったこの男の兄もいた。山の上にある布引の滝を見ようとに登ってみると、その滝、ものとは異なり、長さ二十じょう、広さ五じょうばかりの石のおもてを、白衣で岩を包んでいるようであった。その滝のかみに、さし出た石があり、その石のうえに走りかかる水は、小かうし、くりの大きさにて、こぼれ落ちていた。みなに滝の歌を詠ませる、まず衛府の長官が詠む、
 わが世をばけふかあすかと待つかひの 涙の滝といづれ高けむ
 次ぎに、この男が詠むと、傍らの人々笑ってしまって、その歌を愛でて、詠むのをやめてしまった。

 このように、伊勢物語87は語る。 兄の歌の「清げな姿」と「心におかしきところ」を聞く。「深い心」は、あれば聞こえる。

 我が世をば今日か明日かと待つ甲斐の無い涙の滝と、いづれが高いだろうか……わが夜をば、京かまだかと待つひとのなみだの多きと、いづれが高いだろうか。

 「石・岩・水…女」「滝…女…多気…多じょう」の戯れを心得ていて、加えて「よ…世…夜」「けふ…今日…京…感の極み」「かひ…功…甲斐…貝…女」と心得れば、おかしさを味わえるでしょう。
 
次に詠んだ業平とおぼしき男の歌は、後の巻第十七雑歌上にあるのでおいておく。



351
 さだやすのみこの、きさいの宮の五十の賀たてまつりける御屏風に、さくらの花のちるしたに、人の花みたるかたかけるをよめる
              藤原興風
 いたづらにすぐす月日はおもほえで 花みてくらす春ぞすくなき

 貞保親王が、后宮の五十の賀のために奉った御屏風に、桜の花の散る下で人が花見する絵の描いてあったのを詠んだ歌。 
 なんとなく過ごす月日はそう思えずに、花見て暮らす春の日々は、少ないですなあ……むなしくも過ごすつきひはもの思えずに、お花みて果てる春の情ぞ少ない。
 貞保親王が后宮の五十の賀のために奉った御屏風に、さくらのお花の散る下で女人がお花見する絵の描いてあったのを詠んだ歌。 

 「月日…つき火…つき引」「月…月人壮士…おとこ…突き」「花…桜…おとこ花」「見…覯…合」「くらす…暮らす…はてる」「春…季節の春…心の春…春の情」「すくなき…少ない…ものたりない」。

 上一
首。桜花に寄せて、歳の祝賀に添えて、ひとの多気とお花のはかない「賀」を詠んだ歌。

         伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。

         聞書 かき人しらず