帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第9 羇旅歌 407~409

2009-05-31 07:16:39 | 和歌

  



  小野篁、よみ人しらず、伝・柿本人麻呂の歌。孤独な旅の歌に、どのような心情が表わされてあるのでしょう。併せて、篁と人麻呂歌について、公任と俊成の評価を聞きましょう。


  古今和歌集 巻第九 羇旅歌
       407~409


407
 おきのくににながされける時に、ふねにのりていでたつとて、京なる人のもとにつかはしける
             小野篁朝臣
 わたの原やそしまかけてこぎいでぬと 人にはつげよあまのつり舟

 隠岐の国に流された時に、舟に乗って出立すると、京にいる人のもとに遣わした歌
 海原を、八十島めざし漕ぎ出たと、京の人には告げてくれ、海人の釣舟……はらのわた、あまた肢間掻きて、こき出でたと、京の人には告げよ、海人の釣舟……わたの腹、あまたの肢間めざし、こぎ出たと、ひとには告げよ、あまの吊りふ根。
 奥のせかいで流されたときに、ふ根に告げて、いで立つとて、みやこ成るひとのもとにやった

 「ふね…舟…夫根…おとこ」「のる…乗る…宣る…告げる」「京なる人…流罪に追い込んだ男…すでに感の極みにいるひと」「京…頂上…極み…感の極み」。「わたのはら…海原…はらのわた…綿の腹…柔らかい腹」「わた…海神…海…腸…綿…女」「はら…原…腹」「しま…島…肢間…女」「こぎ…漕ぎ…こき…こく…体外に出す」「人…男…女」「あまのつりふね…海人の釣舟…女の吊りふ根」「あま…海人…天…女」。

 「あまのつりふね」、この言葉、何を意味するかは言い難い。教えよと強いられれば、このおうな、し井のものがたりしないでもない。「むかし、或るおとこが、大淀の井へに入って流されて、井付きのわらわに、尋ねたと思いたまえ、さおさす感どころを我に教えよ、あまのつりふね、小さくとも同じふ根のよしみでと言った」。わかったかな? あまの吊りふ根とは、井付きのわらわよ。

 上一首。わたのはら、あまのつりふねに寄せて、はらわたを、かきだし、こきだし、京の男に投げつけたいほどの、断腸の思いを詠んだ歌。「心におかしきところ」は、おとこのつよがりよ、あわれ。

 歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たもの(藤原俊成)と心得給え。

 歌の言葉を字義どおり一義に聞いて、この歌の姿から何を感じるというのか、流される瀬戸際で、人はその程度の歌を詠むと思うか。 


  (公任と俊成の評価)

 この歌むかしのよき歌なり(公任・新撰髄脳)。

 人には告げよといへる姿・心、たぐひなく侍るなり(俊成・古来風躰抄)。
 男どもには告げよ云々と言った歌の姿・心、ひとには告げよ云々と言った歌の情、ともに類いの無いものである、ということでしょう。



408
 題しらず
            よみ人しらず
 宮こいでてけふみかのはらいづみ川 かはかぜさむし衣かせ山

 都出て、今日みかの原、泉川、川風寒い衣鹿背山……宮こをい出でて、京見かのはら、出づ身かは、ひとの心風、心にさむい、衣貸せやま。

 「みやこ…都…宮こ…極まり至ったところ…感の極み」「けふ…今日…京…絶頂…みやこ」「みかの原…原の名。見かの原」「見…覯…まぐあい」「原…平原…山ばではなくなったところ」「いづみかは…泉川…出づ身かは」「かは…川…だろうか…疑問を表わす」「川風…女心に吹く風」「川…女」「かせやま…山の名。鹿背山、貸せや間」。

 上一首。川、風、山の名に寄せて、みやこを出て下ってゆく旅の、男の思いを詠んだ歌。



409
 ほのぼのとあかしのうらのあさぎりに しまがくれゆく舟をしぞ思ふ
 この歌、ある人のいはく、柿本人麻呂が歌なり

 ほのぼのと、明ける明石の浦の朝霧に、島隠れゆく舟惜しと思う……ほのぼのと明かしのひとの心が、浅きりのために、し間隠れ逝く、ふ根を、死ぞ思う。
 この歌は、或る人が言うには、柿本人麻呂の歌である。

 「あかし…明石…地名。明かし、朝を迎える、あかし、限りがきておわる」「浦…女…うら…心」「朝霧…浅切り…飽き満ち足りることなく打ち切る」「に…場所・時を表わす…原因・理由を表わす」「しま…島…肢間…女」「ふね…舟…夫根…我・作者自身…おとこ」「をしぞ…惜しぞ…愛しぞ…お死ぞ」「しぞ…前の語を強めることば…士ぞ…肢ぞ…死ぞ」。

 上一首。舟に寄せて、男の孤独な旅を詠んだ歌。心におかしきところが添えられてある。篁と同じ境遇にある人の歌と思われる。柿は流れ流れて梨と和泉式部は言う。


 (公任と俊成の評価)

 これは昔のよき歌なり(藤原公任・新撰髄脳)。

 上品上。これは言葉妙にして余りの心さへあるなり(公任・和歌九品)。
 歌の言葉は絶妙の用い方で、姿心は勿論、余情さえある、というのでしょう。

  柿本朝臣人麿の歌なり。この歌、上古、中古、末代まで相かなへる歌なり(俊成・古来風躰抄)。

 風躰抄序文には、柿本人麿について、「ことに歌の聖にはありける。これはいとつねの人にはあらざるけるにや、彼の歌どもは、その時の歌の姿・心にかなへるのみにもあらず」という。
 常人ではなく時代を超えた超人。世が様々に改まり、人の心も歌の姿も、折につけて、移り変わるものだけれど、この人の歌は、いつの時代でも歌の鑑である、とも述べている。

 公任も俊成も、貫之のいう「歌のさまを知り言の心を心得た人」でしょう。同じ聞き耳をもてば、同じ評価ができる。

         伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
         聞書 かき人しらず