帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの古今和歌集 巻第八 離別歌 387~389

2009-05-21 07:24:07 | 和歌

  



 白め、源さね、藤原かねもちの別れの歌。白女は山崎の遊びめ、歌にはどのようなおかし味が添えられてあるかな。併せて、大和物語の筑紫の遊びめの歌を聞きましょう。


  古今和歌集 巻第八 離別歌
       387~389


387
 源のさねがつくしへゆあみむとてまかりける時に、山さきにてわかれをしみける所にてよめる
               しろめ
 いのちだに心にかなふものならば なにかわかれのかなしからまし

 源実が筑紫へ湯治にと出かけた時に、山崎にて別れ惜みした所で詠んだ歌
 命さえ人の心の、願いどおりになるものならば、どうして別れが悲しいでしょうか……この君のいのちさえ、わたしの心どおりに、なるものならば、どうしてわかれが悲しいでしょうか。 
 源実が尽くしたあたりで湯浴びしょうと間かりしていた時に、山ばの前にて別れ惜みしたところで詠んだ

 「筑紫…地名、戯れる。尽し、薬石尽くし、手当て尽くし、ものごと尽くし」「山崎…地名、戯れる。山先、山ばの前」「まかる…下って行く…間借る」「間…女」「かる…まぐあう」。「命…人の命…君の命…小の君のいのち」「かなふ…叶う…望みどおりになる」「かなし…悲しい…切ない…いとしい」。はかないものだから愛しいのよと慰める遊びめの歌。

 
この歌には、清げな姿と心にをかしきところ、深い心もある。公任の「和漢朗詠集 餞別」に選ばれてあるのは、そのためでしょう。

 昔、船着場の山崎には、「うりびとのこゝろをぞしらぬ」「かならずしもあるまじきわざなり」と、「土佐日記」2月16日に貫之が記した業を、なりわいとする春のもの売る女たちがいた。



388
 山さきより神なびのもりまで、おくりに人々まかりて、かへりがてにして、わかれをしみしけるによめる。
               源 実
 人やりの道ならなくにおほかたは いきうしといひていざかへりなん

 山崎より神なびの森まで見送りに、人々がやって来て、帰り難そうにして別れ惜しみしたので詠んだ歌 
 人に遣わされゆく道中ではないのであって、大方の諸君は、行きづらいよと言ってさあ帰ってほしい……ひとにやらされた、路ゆきではないのだからな、おお方は逝きづらいと言って、いざくり返してほしいのよ。
 山ばのさきより、ひとなびの盛りまで送るために、おとこ間かりて、返り難そうにしてわかれ惜しみしたので詠んだ 

 「神なびのもり…地名。神奈備の森、かみなびの盛り」「神…かみ…女」「なび…靡…並…連なる」。「ひとやり…他人に強いられする…ひとに強いられする」「道…道中…かよいみち…女」「ならなくに…ではないのであって…ではないのに」「おほかた…普通一般…我以外の男…おお方…おとこの方
」「いき…行き…逝き」「憂し…気が進まない…いやだ」「かへりなん…お帰り頂きたい…かえってほしい…わが身は元の状態に返ってほしい」「なん…なむ…適当・当然で、それを望む意を表わす」。



389
 今はこれよりかへりねと、さねがいひけるをりによみける
               藤原兼茂
 したはれてきにし心の身にしあれば かへるさまには道もしられず

 今は、これよりお帰りと、実が言った折に詠んだ歌
 君慕われてやって来た心だけなので、帰る間際に、道もわからない……慕わしくて来た心の身なので、もとに返りようも、てだても知らず。
 すぐにこれより、もとに返ってと、さねが言った折に詠んだ

 「のみ…それだけ…の身…のおとこ」「し…強めて表わす…士…枝…肢…おとこ」「かへるさま…帰る間際…返るさま…繰り返すてだて」「道…かえり道…筋道…方法」。

 上三首。別れに寄せて、宮こより下って逝く一過性のおとこの
思いを添えて、わかれを惜しむ情を詠んだ歌。



 遊びめの歌

 大和物語によると、むかし、筑紫の、ひがきのご(桧垣の御)という遊び女は、経験豊かで、おかしくて、世を経て媼となっていた。以下、大和物語128の原文、すがた、心におかしきところ、言の戯れと言の心を順に示す。

 このひがきのご、うたなむよむといひて、すきものどもあつまりて、よみがたかるべきすゑをつけさせむとてかくいひけり。
 わたつみのなかにたてるさをしかは
とてすゑつけさするに、 
 秋のやまべやそこにみゆらむ
とぞつけたりける。

 この桧垣の御、歌を詠むのだと言って、好き者ども集まって、詠み難そうな末の句を付けさせようと、このように言ったのだった。
 わたつ海の中に立てるさ牡鹿は(大海原の中に立っているさ牡鹿は)
と言って末付けさせたところ、
 秋の山辺やそこに見ゆらむ(秋の山辺が底に見えるのでしょうか)
とだ、付けたのだった。

 経験のない者、言の心を知らぬ者は、この程度の歌かと侮るでしょう。それは海を見てうわ辺の浪や大海原の景趣にのみ目が行って、海の深さに全く気付かない人に似ている。

 この桧垣の御、歌を詠むのだと言って、好き者ども集まって、詠み難そうな末の句を付けさせようと、このように言ったのだった。
 つづく身の中に立ってるさ男肢下は
と言って末付けさせたところ、
 飽きの山ばの裾辺りが、すぐそこに見えるのでしょうか
とだ、付けたのだった。

 「わたる…ひとの許へ行く…ひろがる…つづく」「わたつみ…海…海神…女」「さをしか…さ牡鹿…棹肢下…さ男枝下…おとこ」「さ…接頭語」「秋…飽き…厭き」「山…山ば」「そこ…底…其処」「見…覯…まぐあい」。

         伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
         聞書 かき人しらず