ひとりたび
安倍仲麻呂の孤独な旅の歌。言の心で聞けば、望郷の念のほかに、どのような心にをかしきところが聞こえるでしょう。併せて、「土佐日記」の仲麻呂についての記事を読みましょう。
古今和歌集 巻第九 羇旅歌
406
406
もろこしにて月を見てよみける
安倍仲麿
あまの原ふりさけみればかすがなる みかさの山にいでし月かも
この歌は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへて、えかへりまうでこざりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるに、たぐひてまうできなむとて、いでたちけるに、めいしうといふところのうみべにて、かのくにの人、むまのはなむけしけり。よるになりて、月のいとおもしろくさしいでたりけるをみてよめるとなむ、かたりつたふる。
唐土にて月を見て詠んだ歌
天の原ふり離れ見れば、あれは春日の、三笠の山に出た月かなあ……あまの腹、ふり離れてみれば、かすかである、みかさなる山ばにいでたつき人おとこかあ。
この歌は、昔、仲麿を唐土にもの習わしに遣わしたけれども、長年の時を経ても帰って来れなかったのを、この国より又使節が行き着いた時に、ともに帰って来ようとして、出立しようとした時に、明州という所の海辺にて、彼の国の人、餞別の宴を催したのだった。夜になって、月がとってもおもしろく出たのを見て詠んだと、語り伝える。
「あまのはら…天の原…女の腹…あをうなはら(土佐日記ではこのように表記している、わかりやすくするためよ)…青海原…吾をうな腹…わが女の腹」「かすかなる…春日にある…微かである…わずかである…衰えている」「三笠…三つ重なる…見重なる」「見…覯」「山…山ば」「月…月人壮士(万葉集の表記)…男…おとこ」「月かも…あの月だろうなあ…やつれ衰えた尽きた壮士かあ」「かも…疑い詠嘆する意を表わす…詠嘆し疑う意を表わす」。これらは言の戯れと「言の心」。
上一首。月に寄せて、異国での長い旅の中に在って、祖国を思い、やつれ衰えた男の心情を詠んだ歌。
仲麿は帰国しょうとして、長安を出立して黄河を下って大海原に出だけれど、風と波のために難破して、遥か、上海という所より南方の、明という所に流れ着いた。その明州で行われた餞別の宴は、祖国へではなく長安へ帰る旅立ちだったようだ。帰国する次の機会も失って、終に仲麿は、彼の国の高官として、異国の都で没したと言い伝える。
歌の「清げな姿」に望郷の念がうかがえる。「心におかしきところ」に身も心も憔悴しきった男の心情が表れている。長くむなしい独り旅に出立する男の「深い心」も感じられるでしょう。
うみの中より出でくる月
さて、この和歌は、言葉の異なる唐の国の人に通じたのでしょうか? 古今集編纂から数十年後、貫之は「土佐日記」を書いた。そこでも仲麻呂の歌を思って、一月廿日の記事に、ほぼ次のように記している。
二十日の夜の月がでた。山の端もなくて、海の中より出てくる。むかし、安倍の仲麻呂といった人は、唐に渡って、帰って来るときに、船に乗るべき所にて、彼の国の人、はなむけの宴を設けて、別れ惜しんで、彼の漢詩を作ったりしたのだった。飽きもしなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまで、そうしていたという。その月は海より出たのだった。これを見て、仲麻呂の主、「わが国では、このような歌をですね、神世より神もお詠みになられ、今は、上中下の人も、このように、別れを惜しむとき、喜びや悲しみのあるときには詠むのです」といって詠んだ歌、
あをうなはらふりさけみればかすかなる みかさのやまにいでしつきかも
と詠んだのだった。彼の国の人、聞いてもわからないだろうと思ったけれども、言の心を、男文字(漢字)にして、内容を書き出し、わが国の言葉を伝え知った人に言い知らせると、歌の心を聞き得たのだろう。思いのほかに愛でたのだった。唐とわが国とは、言葉は異なるけれども、月の光は同じであろうから、人の心も同じなのだろうか。
言の心を現代の言葉にして、内容を書き出し、日本語を伝え知る現代の人々に知らせると、歌の心を聞き得て、現代の人々も思いのほか愛でることができるはず、古代と現代では言葉は異なるけれども、月の光は同じだろうから、人の心も同じでしょう。
この歌は、「海…女…憂み」「月…ささらえをとこ…月人壮士…男…おとこ」という言の心さえ心得えないまま、「清げな姿」からも感じられる望郷の念の歌とされて、歌の下の心は埋もれてしまったもよう。そうしてしまったのは誰でしょうかなぜでしょうか。
言の心を心得たならば、公任のいう歌の「清げな姿」とともに「心にをかしきところ」や「深い心」が感じられるでしょう。
「これは、むかしのよき歌なり」と公任は「新撰髄脳」に記している。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず