無線操縦

私の趣味のひとつ、無線操縦を紹介しましょう。

進歩の過程か、末世の始まりか

2016-04-30 10:04:28 | Weblog

箱庭のような我が家の庭に山毛欅(ぶな)林の若葉が出そろい年間で一番に美しい姿を見せてくれていますます。種々な花々が順序を間違えずに咲いて、散って行き、クレマチスがたった一輪の蕾を付けたのが、雨上がりのきょう開花してくれました。この花、何年か前に花も咲き終わり、花屋さんの店先で売れ残った鉢を半値以下で求めたのに毎年律儀に花をつけてくれます、余り手をかけてあげないのに。

今月の2日のNHK「にっぽん紀行 丸亀での”笑顔咲く、魔法の絵手紙”」にほのぼのさを感じたので少し感想を書くことにします。四国丸亀城外の芝生の片隅で自筆の絵手紙を通りすがりの観光客に差し上げている、おばあさんの話です。絵のうまさはもとより、書き添えられる文面がこれまた、何気ない文章の中で哲学的な臭えさえ漂う。しかも達筆。せいぜい10文字くらいしかな文字数なので、後にメモして残すつもりでしたが、番組が終わったときにはすっかり忘れてしまい、どれ一つまとまった文章で残せませんでした。オンデマンドで追っかけましたが、たどり着けませんでした、しかし、頂いた人びとに笑顔と、濁世に生きる人々に力を与えることは確実に読み取れました。しかも、1日の大半を絵手紙の製作に費やし常時300種の手持ちがあるという。よわい80歳と聞き、しかも続けること10幾年とも聞き、30分の番組を数行にまとめるほのぼの情景を伝えるのは悪文の小生には無理ですが、興味ある御仁はオンデマンドを追っかけてほしい、何か得るものが、きっとあります。なに事も先送りする怠け者の小生など、仏に出あった思いがしました。

このようなお話の後でパナマ文書の話は無粋極まりないのですが、違法性がないと言われながら世界のイスタブリッシメントを震撼させている中身について触れてみましょう。違法性がないと言っても、国民の税金から生計を立てる政治家や公務員は話は別のように思います。倫理感が伴うからです。そして真っ先に税金を払う立場だからです。

誰が何のために漏らしたのかが、ネッㇳの上では、かまびしい、CIAの陰謀説、つまりロシア、中国、英国への嫌がらせ。AIIB潰し、中国共産党政権潰し、大量破壊兵器(核兵器)の存在する現状でめったに熱い戦争は出来ませんので、そこでクーデター狙い、と諸説飛び交っています。はては米国大統領選へと飛び火説、おそらく綿密に仕組まれた闇の人物によって、大きく変貌するのでしょう、ただの暴露事件で終わらないように思います。臍曲がりで貧しい死にかけの老人には、ある意味で快也と心の中で叫んでいます。

 

 

 

 

          


儚い花の命

2016-04-06 17:59:10 | Weblog

山毛欅(ぶな)の植え込みで日当たりの悪い我が家の庭に何年ぶりかで、シャガ(莙莪)が咲いてくれました。手彫りのお地蔵さんに、初めてお祖納できました。この花は咲いて1日で散ることは知りませんでした。同じ茎に幾つも蕾が数珠つなぎにつき、次々に咲くので気が付かなかっのでしょうか、薄紫の混じる墨絵のように地味な花弁、近ずいて詳細に観測すると、切込みや花芯の繊細さ,造化の神の遊び心が感じられます。桜の陰に隠れて、色々な旅立ちの頃に庭の片隅に咲きだし、静かに見送る、そんな印象の花で好きなはなです。(花言葉は抵抗、反抗、決心、忍耐とありますが、内気な恋いが一番似合いそうです) 

消費増税は見送りと早くもネットでの話題になりつつあります、そしてW選挙の可能性も持ちあがるように考えられます。敵の居ないチャンスを逃す手はないと思いますが。それにしても野党の体たらく、鵜合の衆のそしりは免れまい。信念の欠片も見えだせないのは自身の痴呆症の勢だろうか。メディアの投稿欄などに消費増税再延期は信用を失うなどの書き込みを目にしますが、この国の経済の破壊や立ち遅れと、どう折り合いを付ける気なのだろう。それにしても国外の経済学者のアドバイスを受けねばならないほど、この国の経済学者やエコノミストの存在の薄さに将来の不安がよぎります。安倍首相の再延期の単なるパホーマンスであればいいのだが。

今朝のメディアの報道に、各国の為政者やいわゆるエスタブリッシュメントの強欲ぶりに唾を吐きたい気分です。私財をタックスへブンに移し租税回避、たとえコンプライアンスに抵触しなくとも、ある意味では庶民から見れば国賊と呼べるのではあるまいか、スイス銀行で私財を隠せなくなったせいもあろうが、日々の生活に爪に火を点し納税する庶民との対比を考えたら、守銭奴と呼ばれても過言ではあるまい。今話題の南米ウルグアイのヒムカ大統領の金言「貧乏な人とは少ししか物をもっていない人ではなく、無限の欲があり、いくら物があっても満足できない人のことだ」と公言される。日々の生活、公務もこの精神が貫かれているという。先記の人々には通じまいが、せめて爪の垢を進呈したい。

例にもれず、隣国の最高指導部の高官3人の親族の名も公表された。民主主義でない国のこと、先の金言を当てはめれば「いくら物があっても満足できない人」の典型だろうが、国の収入がこのように漏れては国の発展もままなるまいが、しぶとく命運を保つ不思議、今さらのように驚きを隠せない。