磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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奴隷制を生きた男たち

2010年05月07日 | 読書日記など
『奴隷制を生きた男たち The trader, the owner,the slave』
   ジェームズ・ウォルヴィン(著)/
     池田年穂(訳)/水声社2010年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「パラレル、同時代を生きた奴隷、奴隷商、奴隷所有者の書簡、日記、自伝などを渉猟しつつ三人の人生を《巨大な歴史》のなかで生き生きと描く。バイオグラフィ
《アフリカ人奴隷制は新大陸の主要な特徴であったが、それを始めたのも維持したのも、ヨーロッパの政治的、経済的な体制であった。それはまた、広汎な基盤を持つ豊かさをもたらす制度であったが、アフリカ人には何一つ与えなかった。奴隷制こそ、西欧世界が存在し、機能し、繁栄するのに必須のものであった。》」



だが、気づかないイギリス人……。下「」引用。

「それにも関わらず、殆どの人間にとって、奴隷制に気づかずにいることはたやすいことであった。奴隷船で働いていたり、奴隷植民地に住んでいるのでもない限り、奴隷制の中核にあるぞっとするほど恐ろしい人間的現実に気づかずに済まなかったことは可能であった。これは主として、大西洋奴隷制の焦点が主とロンドンから遠かったためである。」

奴隷船の船長だったジョン・ニュートン。
「アメージング・グレース」1772年12月作詞。下「」引用。

「若き日のジョン・ニュートンは、奴隷貿易商だった。「アメージング・グレース」を書いた頃までには根本的に変わっていたが、己が半生と奴隷船上での行いを公の前で話せると感じるのには、さらに十年を要した。-略-」

残酷で悲惨な奴隷船。下「」引用。

「奴隷船の生活は悪名をとどろく残酷なものだった。-略-しかもこの仕事は危険でもあった。大勢の水夫が海岸で病死したし、アフリカ人奴隷は常に反逆の脅威となっていた。その上たとえこういった危険を全て克復し、大西洋に向けて西に舵を切ったとしても、奴隷船はすぐに悪臭ふんぷんたる家畜小屋となった。それは人の汚物と頽廃からなる水上の悪夢であった。」

ニュートンの奴隷検査。下「」引用。

「アフリカ人に、粗野で非人間的だが綿密な検査を施した。いくらかの者は駄目を出され送り帰された(病気、地位差、年の取りすぎ、「やせた胸」の女、など様々な理由によった)が、ニュートンの綿密な検査を通った者も、通らなかった者も、全員がこれ以上ないほど綿密で屈辱的な身体検査に耐えなければならなかった。」




--農園奴隷の監督、トーマス・シルスウッド(英国人)。
シルスウッドの財産は着々と増えた……。
奴隷の自殺……。下「」引用。

「奴隷船は、自殺を防ぐように設計されており、奴隷たちが船から水中に身を投げるのを阻止するために網が装備されていたが、落胆したアフリカ人たちはそれでもどうにかして入水自殺を果たした。新大陸でも、苦しむ奴隷たちは、自殺することで人生の悲惨さから逃れようとした。トーマス・シスルウッドの日記には、ジャマイカ島西部での彼の抱える奴隷たちの間で見られた自殺が記載されている。曰く、モールは一七五六年に入水した。モチョ・ジミーは一九八○年に首吊り自殺を試みた。」

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クエーカー教徒たちは奴隷制に反対した……。それがキリストの教えでもあるでしょうね……。
言い換えれば、ほとんどの他のプロテスタント系の教会は反対しなかった……。それが歴史でしょうね……。







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