磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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非核太平洋被爆太平洋-新編棄民の群島-

2008年08月10日 | 読書日記など
『非核太平洋被爆太平洋-新編棄民の群島-』
   前田哲男・著/筑摩書房1991年

図書館の説明文。下「」引用。

文献:p353~355 太平洋核年表 荒川俊児作成:p357~404
「被爆から非核へいたる、太平洋の島人たちの年代記。79年の「棄民の群島」から10年余、80年代の闘いの記録を増補し、詳細な太平洋核年表を付した決定版。」



それは狂気の時代だったと書かれてあるが、南の島の原爆実験はなくなったかもしれないが、基本は変わっていない……。

突撃計画とテラー博士たちは呼んでいたという。下「」引用。

「しかしも、「罪を知った」科学者の勝利は束の間であった。AFC内の少数派--海軍出身のストローズ委員によって代表される--は、熱狂的な水爆開発論者エドワード・テラー博士の軍の支持を背景に、猛烈な巻き返しに出る。このグループは水爆開発を「突撃計画」と呼んだ。」

ナチス・ドイツに「突撃隊」がありましたね……。

ロンゲラップでは羊羹が名物のようである……。下「」引用。

「ティマ・メアリは、羊かんの出来具合が気にかかって早起きしていた。「パンダナス(タコの木)の島」として有名なロンゲラップは、タコの身を煮固めて作る羊かんが名物である。果実があまりなく天然の甘みに乏しいマーシャルの島々ではロンゲラップのタコ羊かんは引っ張りだこだった。」

上陸してきた米軍に驚いたという。下「」引用。

「三月三日の朝、爆発から五○時間の後に、ようやく第七合同任務部隊の船がロンゲラップの珊瑚に入ってきた。上陸してきたアメリカ人たちの物ものしい服装にアンジャイン村長は驚かされた。島人はほとんど上半身は裸で、素足のまま歩いていたから、長袖の防護衣に身を固めたアメリカ人たちの姿は異様なものとして映った。彼らは「音の出る機械」を持っていた。あちこちでガーガー音を立てていた。」

多くの人の髪がぬけたという……。下「」引用。

「被爆後二週間ぐらい過ぎた頃から、第二次の急性症状が現われた。アビアは、ある朝、髪をくしけずろうとしてばっさり一束の毛を抜いてしまいびっくりしてしまった。アインリも頭髪が全部抜けて丸坊主になった。ベータ線による火傷の傷が皮膚の上に黒く浮き出てきた。大人の三割、子供の九割までが脱毛している。」

ストローズはウソをここでもついていた。下「」引用。

「一方、ストローズAEC委員長は、三月三十一日の声明の中で、「私は先週そこに行って彼らを見舞って来た」と述べている。-略-
 事態を--残酷なまでにだが--正確に伝えているのは議員たちの方である。AECは三月十一日の声明に続き、ここでも嘘を固めた発表をした。ストローズ委員長が「見舞った」時、被爆住民の状態はひどいものだった。それは議員の証言だけでなく、記録された病状によって明らかである。」

島民に対するものは、治療ではなく人体実験であったという人は、この本だけではないと思う。

ズー・セオリー……。下「」引用。

「ケネディ登場以前、アメリカがミクロネシアの信託統治に対してとっていた政策の基本は、「ズー・セオリー」(動物園政策)と呼ばれるものであった。金網で外部世界から遮断し、飢え死にしない程度に餌を投げ与える、という政策である。」

最近の日本の政策よりは、いいかもしれない……。

『棄民の群島-ミクロネシア被爆民の記録-』
   前田哲男・著/時事通信社1979年



--世界の警察、正義のアメリカ?
従軍記者ロバート・シャーロッドは、米将校の発言を記録。下「」引用。

「もし日本兵が飢え死にするものなら、奴らがやせおとろえて飢え死にするまで、そこにおいといてやれ。もしそうでないなら、奴らを老衰で死なせてやれ」

リコーバーは「原潜の父」と呼ばれたという。
「アメリカは一九五八年、中距離弾道弾ジュピターと大陸間弾道弾アトラスを完成させ、差を縮めるとともに、潜水艦の原子力推進と搭載核ミサイル開発の分野でソ連に借りを返した。リコーバー大佐は「原子力潜水艦の父」と呼ばれ昇進を重ねていく。」

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ソ連出身なのに、こだわらないアメリカ。







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