磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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隠された被ばく マーシャル群島住民の二十三年

2008年03月30日 | 読書日記など
『隠された被ばく マーシャル群島住民の二十三年』
   前田哲男・著/原水爆禁止日本国民会議1978年

ABCCというのが、ヒロシマやナガサキで評判がすこぶる悪かった。

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それと同様に、いや、それ以上に非人間的行為をしたのが、南の島の人たちにであった……。教養ある野蛮人どもは、今も権力を握っている……。それもシニシズムという倫理上の不治の病にかかって……。



太平洋実験場。下「」引用。

「広島、長崎で威力を実証した核兵器を、さらに高度化、多様化するための「太平洋実験場」をアメリカに与えることになったのである。」

--12世紀マゼラン、グアム島上陸、スペインはミクロネシアの領有宣言。
先住民族チャモロは、スペインの統治に反対し根絶やし。
現在のチャモロはスペインとの混血。

1899年、アメリカとの戦争にスペイン負け、グアムを米国に。
全ミクロネシアをドイツに売却。

1914年、日本軍の占領下に。
「一等国民は日本人、二等国民朝鮮人、三等国民南洋群島民」
--「戦争は究極の差別」

そして米軍上陸……。下「」引用。

「「南洋群島」を奪取した米軍部もまた、秋山中将と同じように、「永久占領」を望んだ。ニミッツ、ハルゼーら海軍首脳は公然と領有化を要求した。しかしこれは実現しなかった。なによりもアメリカ政府が大戦中再三にわたって声明した領土不拡大の誓約とあまりにも露骨に衝突するからである。結局、国連の信託統治領という、日本がドイツから引き継いだときと同じような形式で実質的な自由使用が認められることになった。
 ただ、大きく異なるのは日本の委任統治が軍事面でさまざまな制約をつけられていたのに対し、アメリカの信託統治は「国際の平和及び安全の維持に関して(信託統治協定第五条)」無制限の自由を付与していたことである。核実験はこの条項を利用し、したがって国連の承認のもとに公然と開始されたのだった。」

このどこが平和及び安全なのだろうか?


住民の扱いの非人間性には驚くばかりです。下「」引用。

「アンジャインの村長ら多くの住民が、クエゼリンにいた三カ月間を「最低の時間」として記憶しているのは、健康状態が悪化していたことが唯一の原因ではなく、多くの島人にとって初めて出会うアメリカ人医師に「モノ扱い」されモルモットのようにあしらわれている立場がわかったためだ。
 これを福竜丸乗組員が帰国後受けた看護と対比させると住民の扱いの非人間性はもっと際だってくる。輸血、抗生物質、造血剤。当然の措置とはいえ、最高の看護が施されている。一方の住民たちは二三九人中抗生物質を投与されたのが一二人、それだけである。輸血、造血剤などはどの記録を探しても見出せない。
 また、乗組員の入院中の写真を見ると、全員髪を刈り丸坊主になっているのがわかる。ところが、マーシャル住民の場合、クエゼリンに着いて一○日間の写真(五人分)ではみな髪の毛を伸ばしたままになっている。ベータ線が多量にしみ込んでいるはずの毛髪を、少なくとも全員については刈った形跡がないのだ。住民の証言結果もその通りだった。」

クリーンアップは嘘だった……。下「」引用。

「明らかに、住民が戻った時、ロンゲラップは決して「クリーンアップ」されていなかった。環境はまだ汚染されていたのである。それは「三・一実験の残りカス」とのみ見るべきではなく、その後絶え間なく続いたビキニ、エニウエトックでの核実験によって影響されていたはずだ。三・一実験以後五八年まで両環礁では計五三回の核実験が行われており、むしろ実験回数のピークは住民の帰島前後に集中しているからである。」

日本人の具志忠太郎牧師も精力的に働いているという。具志さんは住民にいう。下「」引用。

「先日もビキニ出身者と会って、帰ってはいけないといっておきました。ひょっとしたらAECは、また新しい実験のために帰そうとしているかも知れないからです。」

完全犯罪を狙っていたのではないかという。下「」引用。

「三・一実験はヤギやブタの変わりにマーシャル住民を〈標的〉として使用した人体実験であった。それは〈完全犯罪〉として密封されるはずだった。もし、一隻の外国漁船が〈実験海域〉にまぎれ込んでこなかったら--。」







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