『甦れ独立宣言-アメリカ理想主義の検証-
Declarations of Independence』
ハワード・ジン(著)/飯野正子、
高村宏子(訳)/人文書院1993年
「アメリカのイデオロギーが、今までいかに曲げられてきたか、しかもその曲げられたものを正当であると信じこまされてきたか。現実の姿はあの独立宣言の精神からいかにかけ離れてしまったか。アメリカの支配層への告発。」
「日本の読者へのメッセージ」下「」引用。
「一九六六年に私は、ヴェトナム戦争について各地で講演をするため日本に招かれましたが、そのときアメリカ南部で人種平等をめざし、勇気をもって積極的に闘い続けていた一人の若い黒人男性ラルフ・フェザーストーンも同行しました。-略-アメリカへ帰ってから二、三年たって、日本で一緒に旅を続けたラルフ・フェザーストーンが、原因不明の爆発のために殺されたました。私はこの本の日本語版を、いま彼の前に献げたいと思います。-略-」
ビッグマネーを牛耳る人たちが大手マスコミ……。下「」引用。
「「出版の自由」はあるが、ビッグマネーがそれを牛耳っている。選べるのは、『タイム』誌か、『ニューズウィーク』誌か、『U・S・ニューズ・アンド・ワールド・レポート』誌か、なのである。テレビでいえば-略-」
いくつものウソがある……。
あきれるほどに……。
マンハッタン計画についても鋭い指摘がいくつもある……。下「」引用。
「 原爆の製造にかかわる科学者の多数に面接したドイツ人研究者ローベルト・ユンクは、広島に原爆を落すことに対し彼らの側に抵抗がなかったことを理解しようとした。「彼らは巨大な機構に捕らえられたように感じていたのであり、たしかに真の政治的・戦略的状況についての情報はきちんと得ていなかった。」しかし彼らが行動をおこさなかったことを彼は許しはしない。「もしあのとき爆弾を落すことに対し純粋に人道的な理由で抗議する道徳的な力が彼らにあったなら、彼の姿勢は大統領、閣僚、そして将校に強く印象を与えたに違いない。」」
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原爆神話についても、批判している。
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コロンブスの驚くべき航海日誌……。下「」引用。
「-略-アラワク・インディアンに友好的に迎えられたとき、彼らは武器というものをまったく知らず、この見知らぬ人たちに贈物をした。そのときコロンブスはこう言っている。「彼らは立派な召使いになるだろう。……手勢五○人もあれば、われわれは彼らを一人残らず征服できるし、われわれの思い通りに彼らを働かせることができるだろう。」」
コロンブスが数しれないインディアンを殺害したという……。
アメリカ大陸を発見した最初の人でもない。ウソまみれのコロンブス。
おろかな小泉・竹中政権を思い起こす……。下「」引用。
「われわれは、国家の状態を、栄養不足で子供が何人死んだかではなく、株式の数値(ダウジョーンズの平均)で計ることに慣れてしまっているのだ。」
今もそうかわりがないが……。
アインシュタインはまた名言を……。下「」引用。
「ジュネーヴで記者会見をしたのである。-略-アインシュタインは集まった記者に言った。「戦争の規則を作ることで戦争が起きないようにすることは不可能です。……戦争は人道的にはなり得ないのです。戦争廃止以外に道はありません。」しかしジュネーヴ会議は続けられ、「人道的な」戦争のための規則を作り上げた。それは、その後まもなく起こる世界戦争、終わりのない残虐行為の戦争において、繰り返し無視されたのである。」
国際的な偽善を論理的に批判している……。
日系人が人種隔離政策をとられたことを書く。
ナガサキの捕虜は知っていたが……。下「」引用。
「アメリカ人捕虜がこの爆撃で殺されるかもしれないという可能性すら、この計画には何の影響も及ぼさなかった。長崎に原爆が落される九日前の七月三一日、グアムにあるアメリカ軍戦略空軍司令部(原爆投下に向かうために離陸する飛行場)が陸軍省に通信を送った。
写真では確認できない戦争捕虜関係資料によれば、連合国戦争捕虜収容所が長崎市の中心部から一マイル北にある。このことは最初のセンターボード作戦の目標の選択に影響するか? 即答を持つ。
回答がきた。「すでにセンターボードに与えられた目標は変わらず。」
そのハワード・ジンでさえ、若いころの軍での経験をふりかえり思考停止していたという。
カトリック教会はヴェトナム戦争に反対していたという。下「」引用。
「まもなく私は、ヴェトナム戦争に反対する見事なカトリック教会の抵抗運動と密接な関係を持つようになった。」
もくじ
ソ連批判……。下「」引用。
「ソ連は、マルクスの伝統的なプロレタリアートによる独裁を政党官僚たちによる固定化した独裁に変え、共産主義の理想を再三裏切ってきた。」
原理主義者のようなソ連……。下「」引用。
「ソ連ではマルクス主義はイデオロギー、左翼の権威、一かたまりの固定観念となった。それに批判らさらされることもなかった。党の専門家によって解釈されるくらいだった。それはまるで宗教の根本主義者たちが、聖書は教会の専門家たちによってのみ解釈されるものと考えているのと同じだった。」
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Declarations of Independence』
ハワード・ジン(著)/飯野正子、
高村宏子(訳)/人文書院1993年
「アメリカのイデオロギーが、今までいかに曲げられてきたか、しかもその曲げられたものを正当であると信じこまされてきたか。現実の姿はあの独立宣言の精神からいかにかけ離れてしまったか。アメリカの支配層への告発。」
「日本の読者へのメッセージ」下「」引用。
「一九六六年に私は、ヴェトナム戦争について各地で講演をするため日本に招かれましたが、そのときアメリカ南部で人種平等をめざし、勇気をもって積極的に闘い続けていた一人の若い黒人男性ラルフ・フェザーストーンも同行しました。-略-アメリカへ帰ってから二、三年たって、日本で一緒に旅を続けたラルフ・フェザーストーンが、原因不明の爆発のために殺されたました。私はこの本の日本語版を、いま彼の前に献げたいと思います。-略-」
ビッグマネーを牛耳る人たちが大手マスコミ……。下「」引用。
「「出版の自由」はあるが、ビッグマネーがそれを牛耳っている。選べるのは、『タイム』誌か、『ニューズウィーク』誌か、『U・S・ニューズ・アンド・ワールド・レポート』誌か、なのである。テレビでいえば-略-」
いくつものウソがある……。
あきれるほどに……。
マンハッタン計画についても鋭い指摘がいくつもある……。下「」引用。
「 原爆の製造にかかわる科学者の多数に面接したドイツ人研究者ローベルト・ユンクは、広島に原爆を落すことに対し彼らの側に抵抗がなかったことを理解しようとした。「彼らは巨大な機構に捕らえられたように感じていたのであり、たしかに真の政治的・戦略的状況についての情報はきちんと得ていなかった。」しかし彼らが行動をおこさなかったことを彼は許しはしない。「もしあのとき爆弾を落すことに対し純粋に人道的な理由で抗議する道徳的な力が彼らにあったなら、彼の姿勢は大統領、閣僚、そして将校に強く印象を与えたに違いない。」」
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原爆神話についても、批判している。
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コロンブスの驚くべき航海日誌……。下「」引用。
「-略-アラワク・インディアンに友好的に迎えられたとき、彼らは武器というものをまったく知らず、この見知らぬ人たちに贈物をした。そのときコロンブスはこう言っている。「彼らは立派な召使いになるだろう。……手勢五○人もあれば、われわれは彼らを一人残らず征服できるし、われわれの思い通りに彼らを働かせることができるだろう。」」
コロンブスが数しれないインディアンを殺害したという……。
アメリカ大陸を発見した最初の人でもない。ウソまみれのコロンブス。
おろかな小泉・竹中政権を思い起こす……。下「」引用。
「われわれは、国家の状態を、栄養不足で子供が何人死んだかではなく、株式の数値(ダウジョーンズの平均)で計ることに慣れてしまっているのだ。」
今もそうかわりがないが……。
アインシュタインはまた名言を……。下「」引用。
「ジュネーヴで記者会見をしたのである。-略-アインシュタインは集まった記者に言った。「戦争の規則を作ることで戦争が起きないようにすることは不可能です。……戦争は人道的にはなり得ないのです。戦争廃止以外に道はありません。」しかしジュネーヴ会議は続けられ、「人道的な」戦争のための規則を作り上げた。それは、その後まもなく起こる世界戦争、終わりのない残虐行為の戦争において、繰り返し無視されたのである。」
国際的な偽善を論理的に批判している……。
日系人が人種隔離政策をとられたことを書く。
ナガサキの捕虜は知っていたが……。下「」引用。
「アメリカ人捕虜がこの爆撃で殺されるかもしれないという可能性すら、この計画には何の影響も及ぼさなかった。長崎に原爆が落される九日前の七月三一日、グアムにあるアメリカ軍戦略空軍司令部(原爆投下に向かうために離陸する飛行場)が陸軍省に通信を送った。
写真では確認できない戦争捕虜関係資料によれば、連合国戦争捕虜収容所が長崎市の中心部から一マイル北にある。このことは最初のセンターボード作戦の目標の選択に影響するか? 即答を持つ。
回答がきた。「すでにセンターボードに与えられた目標は変わらず。」
そのハワード・ジンでさえ、若いころの軍での経験をふりかえり思考停止していたという。
カトリック教会はヴェトナム戦争に反対していたという。下「」引用。
「まもなく私は、ヴェトナム戦争に反対する見事なカトリック教会の抵抗運動と密接な関係を持つようになった。」
もくじ
ソ連批判……。下「」引用。
「ソ連は、マルクスの伝統的なプロレタリアートによる独裁を政党官僚たちによる固定化した独裁に変え、共産主義の理想を再三裏切ってきた。」
原理主義者のようなソ連……。下「」引用。
「ソ連ではマルクス主義はイデオロギー、左翼の権威、一かたまりの固定観念となった。それに批判らさらされることもなかった。党の専門家によって解釈されるくらいだった。それはまるで宗教の根本主義者たちが、聖書は教会の専門家たちによってのみ解釈されるものと考えているのと同じだった。」
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