磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

核の時代を読む-日常生活の視点から-

2008年08月16日 | 読書日記など
『核の時代を読む-日常生活の視点から-』
   剣持一巳・著/平凡社1986年

これも、遠い世界から、公平な目でみたら、まったく愚かな行動だろうとボクは思う……。
--お互いの首をしめながら、安全保障といっているが如く……。



シラードも実際の使用については……。下「」引用。

「原爆の開発を求める「アインシュタインの手紙」を起草したL・シラードも、のちに大統領に核兵器を使うことの道徳的、政策的な危険性を訴える嘆願書を送っている。」

七大契約社というのに大学が入っていた……。下「」引用。

「それに、マンハッタン計画は、大学の研究機関、民間の大企業、そしてアメリカ政府と軍部が相互に結びついた巨大プロジェクトであり、これはとりも直さず軍産複合体を形成していた。こうした軍産複合体は、その後のアメリカの原子力政策でも大きな役割を果たすことになる。マンハッタン計画の七大契約者、つまり、ユニオン・カーバイト社、ゼネラル・エレクトリック社、ペンディックス社、サンディアナ共同企業、デュポン社、シカゴ大学、カリフォルニア大学は、一九六○年代の中頃まで、アメリカ原子力委員会の予算の半分以上の金額を受けとっている。」

index


「相殺核戦略」というのは、首のしめあいだろう……。下「」引用。

「カーター大統領のもとでの国防構想では、「相殺核戦略」が唱えられる。ソ連の核戦力がミサイル数や破壊威力総計などで優位にあることを認識しつつ、その数量的優位をアメリカの戦力の質的優位で相殺する、というのがその基本的な考え方である。一九八○年のアメリカ国防報告では、「万一抑止が破れて限定的な核戦争が勃発しても、全面戦争にエスカレートしないうちに戦局を管理し、収拾しようとする戦略構想」として示された。」

マクナマラのなしたことは、アメリカにとっても不幸なことだったろう……。下「」引用。

「マクナマラは一九四三年までハーバード大学経営学教授をつとめ、第二次大戦中は空軍大佐となり、作戦計画に統計分析の方法を導入して有名になった。戦後はフォード自動車に入社、一九六○年に社長に就任した。
 マクナマラが国防総省で行った改革は、一言でいえば、企業の経営管理の手法を国防総省に持ちこんだことである。
 マクナマラの国防総省に対する考え方は、これまでにないユニークなものであった。マクナマラは岷金企業の経営者と同じように国防総省に首尾一貫したマネージメントの体系を導入して、アメリカの安全保障に必要な決定を行うようにしたのである。
 マクナマラが国防総省に持ちこんだ企業経営の管理手法は、三軍の「張り合い」を収めるとともに、シビリアン・コントロールの確立にもつながった。これはケネディ政権全体の政策でもあった。」

--ソ連の兵器産業についての情報は一切外部に発表しない。
兵器類の開発にたずさわる科学者・技術者の数は、最高40万人と推測(アメリカの防衛情報局(DIA))。
1980年から84年まで、世界の兵器市場でのシェア。
アメリカ、40%。ソ連、32%。フランス、9%。
--アメリカと同じような規模にあるという……。

実質には、人類の生活を豊かにしないことに、血税を使い、環境を破壊した……。

それは今も続く……。











エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。