磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

革命

2008年03月17日 | 読書日記など
『革命』
  大野芳(かおる)・著/祥伝社2001年

--戦後のこと。
ボクの生まれたころに『革命』をおこそうとした人たちがいたようです。そのころには、金融・政治改革がおこなわれていたという。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「昭和三十年代--高度成長期直前の日本は、混沌を極(きわ)めていた。折しも安保闘争が全国を席巻(せっけん)。共産主義が台頭する一方で、利益を最優先する政府・銀行のモラルハザードが始まった。希代の企業家川南豊作(かわみなみなとよさく)は、日本の行く末に猛烈な危機感を抱いた…。そこで彼は、旧軍人、旧陸士、五・一五事件、二・二六事件の関係者らを結集し、無税・無失業・無戦争をスローガンにした「三無(さんむ)主義」を“革命”によって実現すべく行動を開始した! 彼らの動向をキャッチした公安との熾烈(しれつ)な攻防! 知られざる破防法適用第一号「三無事件」をもとに、満を持して昭和史の裏面を描破したノンフィクション・ノベル巨篇!」

長崎市内からはじまるプロローグ。下「」引用。

「プローログ
 昭和二十年五月。午後七時--。
 紺碧の港を抱いた山の稜線は、霞がかかっていた。一条の光が差し込むと、もやが一気に消えて太陽が姿を現した。
 第七川工(かわこう)丸は、三千人ほどの工員を一気に呑(の)み込んだ。そして静かに桟橋を離れると、エンジンの音もかろやかに波を蹴立(けた)てた。
 長崎市内から香焼島(こうやぎじま)造船所への所要時間は三十分。三層からなる真四角な図体は、あたかも港湾事務所の建物をそっくり船にしたように見栄えが悪かったが、魚雷を避けるよう水深は浅くし、船内には食堂から浴室、散髪室まで備えつけてあった。」

原爆投下以前、川南工業は三菱重工を抜いたという。下「」引用。

「いいか、三菱重工業、百三十隻。川南(かわみなみ)工業、百六十七隻だ。前年度は、三菱の六十七席、わしんとこの三十五席という結果で涙をのんだが、まあ、きみたちの努力によって、ついに宿敵をやっつけることができたわけだ。総トン数ではな、三菱が四十六万七千、こっちが三十万九千トンとわずかに下回るが、今年こそトン数でも逆転できるっ」

源田実大佐も登場する。下「」引用。
「三四三空指令源田実(げんだみのる)大佐が従兵をつれてやってきた。小柄ながら鋭い鷹(たか)のような目と太い眉毛、薄い唇は、決断の速さと冷酷なまでの意思の強さを感じさせた。」

精神注入棒というものも出てくる……。

ひの華やかな時代も過ぎ去る。下「」引用。

「昭和三十三年十月二日(木)。
 川南豊作は、かつて東洋一を誇った十万トンドックを見あげて立ちすくんだ。建設からおよそ十五年、コンクリートの老朽化がすすみ、巨大なクレーンも錆(さ)びついていた。たび重なる台風にトタンを剥がれた屋根は、鉄骨を残すのみだった。」

映画『平和の道』は、豊作が提案した。
国会周辺を自衛隊が包囲し、開かれた政治を国会に要求するという粗筋。
本物のロケとみせかけておいて、三無塾の切り込み隊が国会に突入という計画。

読売新聞の三面『あばかれたクーデター』、
『驚くべき錯覚 時代が三十年逆行した感じ』。
大宅壮一と、児玉誉士夫のコメントが掲載されていたという。



三無事件(さんゆう事件)

三無事件

廃墟~伊万里川南造船所

貴重な写真














エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。