磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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神の家族400年------浦上小教区沿革史

2007年03月21日 | 読書日記など
『神の家族400年−浦上小教区沿革史』
     西田秀雄・編/片岡千鶴子・監修/
         浦上カトリック教会1983年

すばらしい信仰。それは素晴らしい文化をも産み出すように私は思えてなりません。信仰じたいはわかりませんが、この文化のすばらしさ。まさに、よいものですね。



歴代教区長さんの写真などもあります。

最初に『信徒発見』でキリシタンに出会った方が初代の教区長だったようです。


永井隆博士もこのようなキリシタンの文化を大切にされました。そして、永井隆博士の伝記を書かれた片桐弥吉さんも、キリシタンの文化をきちんと書き残されました。

それがあってこそ、このような素晴らしい本ができたというわけです。伝統と歴史は大切ものですね。

戦時には国防バザーなども行われていたようです。下「」引用。

「青年会主催で毎年小教区バザーが開催されていたが、昭和10年4月21日の小教区バザーは時節柄、国防バザーに切替え、純益を国防献金することになった。
 開会にあたり、国旗掲揚式挙行、約1万人の信者は順をおってバザー展に繰り込んだ。展示物の売れぐあいは好調で、午前中に品切れするものもあり、特に食堂部はお客が多く担当者は汗だくであった。
 売上げが多かったわりには原料高で、純益は期待したほど多くはなかったけれども、国防意識の向上とともに意義あるバザーであった。
 早速、代表者が長崎憲法分遺隊に持参し、国防献金を申し出たところ、隊長以下、カトリック浦上小教区の熱意を非常に心よく御嘉納下さった。」


信仰の街にも、戦時の波はさけてとおりませんでした。

日本の宗教ではないからと、ひどい目にあわされたという書かれた本もあります。

ルハンの聖母像の写真がありました。不思議なデザインです。

1950年11月29日、アルゼンチンのエピータから、永井隆博士を通じて日・ア親善と原爆被災の長崎復興を祈念して送られたという。

このようなことだけでなく、青年会に野球部も。下「」引用。

「青年会の各支部対抗野球大会は、戦前は毎月5月〜6月に行われるのが恒例となっていた。−略−
 会場は山里小学校か医大グラウンドである。そして神父様か司教様も御臨席下さって入場式があり、国家斉唱、始めの祈の後、優勝旗返還、会長挨拶、選手宣誓など型通りに進められて試合開始となる。」

永井博士の命名によって復興する長崎にできた、小機関誌『荒野』。
そのタイトルは永井博士がつけられたという。


聖ビンセンシオ・ア・パウロの活動、宮城道雄・来崎などが年表に書かれてありました。

しっかりと、原爆関連のことも書かれてありました。







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