『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝 上』
F.ダイソン(著)/鎮目恭夫(訳)/
筑摩書房2006年
『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝 下』
F.ダイソン(著)/鎮目恭夫(訳)/
筑摩書房2006年
裏表紙に書かれてあります。下「」引用。
「相対性理論と量子力学的に統合した数式〈ダイソン方程式〉を24歳で発表し、その後物質の安定、相転移、重量理論等純粋物理研究の他、地球外知的文明、原子炉設計、核軍縮問題等広範な分野で研究を続けている知の巨人による自伝。」
スティムソンを信じる著者。
というよりも、原爆神話を信じ込んでおられるようです。
index
スティムソンは政治家であって、彼が成したことを科学者が熟知していることはありえないとボクは思う。
--餅は餅屋。ジャーナリストのいうことが事実だろうとボクは強く思う。
それに、著者は被爆者のことは少しも考えておられないようです……。
無邪気さをロスアラモスの科学者はもっていたという。下「」引用。
「彼らは悲劇を体験したことがなく、それに対する共感をもっていなかった。悲劇の感覚をもたないので、彼らは罪の感覚をもちなかった。彼らの大部分は私よりも年上だったのに、彼らは非常に若くて無邪気に見えた。彼らは、心に傷を残さずに戦時を過ごしたのであった。ロス・アラモスは彼らにとっては大きな楽しみだった。それは彼らの無邪気さをなんらおかさなかった。」
無邪気さというよりも、『若さは醜さ』という言葉が事実だと思う。
名声や富に目がくらんでいる人たちを無邪気とはボクには思えない……。
--ロスアラモスから去った学者もいたくらいである……。
--1948年の春、ハンスから日本からの論文を渡されたという。
それは朝永振一郎の論文「波動場の量子論の相対論的に不変な形式について」(1943年」。下「」引用。
「ともかくも、戦争による破壊と混乱のまっただ中で、世界の他の部分からまったく孤立しながらも、トモナガは、日本で、当時他のどこにあった何よりもいくつかの点で進んでいた理論物理学の一学派を維持してきたのであった。」
著者はドイツのV1号の空襲にあっていたようです。
いくらヒトラーに命を狙われたからといっても、平和主義者アインシュタインは猛省された……。
--1949年3月、シカゴ大学で著者はエドワード・テラーと出合う。
オリオン計画
・エドワード・テラーは禁止に反対。
著者もテラーに賛成。
・核実験禁止に反対したエドワード・テラー。
著者は、テラーに賛成。ハンス・ベーテが間違っていると主張。
息子の詩が掲載されている。そして息子とともに……。下「」引用。
「本書の最後の章「地と天の夢」にでてくるように息子と共に脱政治的な環境運動家として活躍し今日に至っているようだ。」
1982年単行本で出版されたものを一部訂正を加え再度出版された本であるそうです。
INDEX
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F.ダイソン(著)/鎮目恭夫(訳)/
筑摩書房2006年
『宇宙をかき乱すべきか ダイソン自伝 下』
F.ダイソン(著)/鎮目恭夫(訳)/
筑摩書房2006年
裏表紙に書かれてあります。下「」引用。
「相対性理論と量子力学的に統合した数式〈ダイソン方程式〉を24歳で発表し、その後物質の安定、相転移、重量理論等純粋物理研究の他、地球外知的文明、原子炉設計、核軍縮問題等広範な分野で研究を続けている知の巨人による自伝。」
スティムソンを信じる著者。
というよりも、原爆神話を信じ込んでおられるようです。
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スティムソンは政治家であって、彼が成したことを科学者が熟知していることはありえないとボクは思う。
--餅は餅屋。ジャーナリストのいうことが事実だろうとボクは強く思う。
それに、著者は被爆者のことは少しも考えておられないようです……。
無邪気さをロスアラモスの科学者はもっていたという。下「」引用。
「彼らは悲劇を体験したことがなく、それに対する共感をもっていなかった。悲劇の感覚をもたないので、彼らは罪の感覚をもちなかった。彼らの大部分は私よりも年上だったのに、彼らは非常に若くて無邪気に見えた。彼らは、心に傷を残さずに戦時を過ごしたのであった。ロス・アラモスは彼らにとっては大きな楽しみだった。それは彼らの無邪気さをなんらおかさなかった。」
無邪気さというよりも、『若さは醜さ』という言葉が事実だと思う。
名声や富に目がくらんでいる人たちを無邪気とはボクには思えない……。
--ロスアラモスから去った学者もいたくらいである……。
--1948年の春、ハンスから日本からの論文を渡されたという。
それは朝永振一郎の論文「波動場の量子論の相対論的に不変な形式について」(1943年」。下「」引用。
「ともかくも、戦争による破壊と混乱のまっただ中で、世界の他の部分からまったく孤立しながらも、トモナガは、日本で、当時他のどこにあった何よりもいくつかの点で進んでいた理論物理学の一学派を維持してきたのであった。」
著者はドイツのV1号の空襲にあっていたようです。
いくらヒトラーに命を狙われたからといっても、平和主義者アインシュタインは猛省された……。
--1949年3月、シカゴ大学で著者はエドワード・テラーと出合う。
オリオン計画
・エドワード・テラーは禁止に反対。
著者もテラーに賛成。
・核実験禁止に反対したエドワード・テラー。
著者は、テラーに賛成。ハンス・ベーテが間違っていると主張。
息子の詩が掲載されている。そして息子とともに……。下「」引用。
「本書の最後の章「地と天の夢」にでてくるように息子と共に脱政治的な環境運動家として活躍し今日に至っているようだ。」
1982年単行本で出版されたものを一部訂正を加え再度出版された本であるそうです。
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