『「昭和」という国家』
司馬遼太郎・著/NHK出版1998年
日本はアメリカに占領する前から占領されていた
という表現は、現実的な表現です。
今もそうですね。
ナショナリズムと愛国心の違いを語られています。
ナショナリズムより愛国心は次元のたかいもので、
ナショナリズムとはお国自慢などであるそうです。
日本の国は魔法の国だと話されています。
ぼくの書いた魔法使いの話も、いい加減に魔法を
つかうことは困ったことになるとテーマにしました。
ところが、ヨーロッパから技術だけでなく、
精神まで輸入するようになって、
日本人は魔法の国になっていったそうです。
日露戦争でその魔法はかなりひどいものとなります。
ノモハンでは、日露戦争と同じ作戦で日本はいきます。
この文章はすごい表現です。下「」引用。
「ひとの国をいっぺん触ると、自分の国も触ってしまう。ひとつの国をいたぶったあげく、自分の国をもいたぶり、占領してしまったのですね。
結局、日本は満州事変以降、占領されていたのでしょうね。
敗戦後、占領軍が来たとき、いままで戦った敵国なのに日本人は実に素直に受け入れたことになり、これは日本人に対する信頼にかかわる問題だと言う人がいます。」
この国はアメリカに占領される以前に、日本の軍部に占領されていたという。
支配ではなく占領だったと語られています。
index
ソ連は軍備を増強していったのです。でも、その情報つぶされていました。
魔法の国では、正しい情報を伝えると「おまえは恐ソ病か」とされ、出世できなくなったといいます。
今では、「核アレルギーか」と……。
核の現実を知ろうとされませんね。
いくら頭がよく、地位や権力があっても……。
理解できるとは限らないようです……。
これは司馬遼太郎さんが書いてるわけではなく、僕が思ったことです。
ソ連軍は、ノモハンで、縦深陣地をつくりました。
この作戦は太平洋戦争でのアメリカ軍も同様だったらしい。
ノモハンで信じられない負け方をしたのに、
日露戦争と同じ作戦をとり続けて行くのです。
同じ作戦でくるから、英国の軍人はあきれていたそうです。
そんなことでは勝てるわけがありませんね。
日本の軍部は独裁的になっていきました。
しかし、独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。
安藤昌益(あんどうしょうえき)という方は愉快ですね。
アジア好きの司馬遼太郎はアジアは一つというわけではないと、
語られておられますが、「脱亜入欧」もやはりよくなかったと
語られています。
目次
司馬遼太郎・著/NHK出版1998年
日本はアメリカに占領する前から占領されていた
という表現は、現実的な表現です。
今もそうですね。
ナショナリズムと愛国心の違いを語られています。
ナショナリズムより愛国心は次元のたかいもので、
ナショナリズムとはお国自慢などであるそうです。
日本の国は魔法の国だと話されています。
ぼくの書いた魔法使いの話も、いい加減に魔法を
つかうことは困ったことになるとテーマにしました。
ところが、ヨーロッパから技術だけでなく、
精神まで輸入するようになって、
日本人は魔法の国になっていったそうです。
日露戦争でその魔法はかなりひどいものとなります。
ノモハンでは、日露戦争と同じ作戦で日本はいきます。
この文章はすごい表現です。下「」引用。
「ひとの国をいっぺん触ると、自分の国も触ってしまう。ひとつの国をいたぶったあげく、自分の国をもいたぶり、占領してしまったのですね。
結局、日本は満州事変以降、占領されていたのでしょうね。
敗戦後、占領軍が来たとき、いままで戦った敵国なのに日本人は実に素直に受け入れたことになり、これは日本人に対する信頼にかかわる問題だと言う人がいます。」
この国はアメリカに占領される以前に、日本の軍部に占領されていたという。
支配ではなく占領だったと語られています。
index
ソ連は軍備を増強していったのです。でも、その情報つぶされていました。
魔法の国では、正しい情報を伝えると「おまえは恐ソ病か」とされ、出世できなくなったといいます。
今では、「核アレルギーか」と……。
核の現実を知ろうとされませんね。
いくら頭がよく、地位や権力があっても……。
理解できるとは限らないようです……。
これは司馬遼太郎さんが書いてるわけではなく、僕が思ったことです。
ソ連軍は、ノモハンで、縦深陣地をつくりました。
この作戦は太平洋戦争でのアメリカ軍も同様だったらしい。
ノモハンで信じられない負け方をしたのに、
日露戦争と同じ作戦をとり続けて行くのです。
同じ作戦でくるから、英国の軍人はあきれていたそうです。
そんなことでは勝てるわけがありませんね。
日本の軍部は独裁的になっていきました。
しかし、独裁者を出さない国であり、独裁者なき独裁でした。
安藤昌益(あんどうしょうえき)という方は愉快ですね。
アジア好きの司馬遼太郎はアジアは一つというわけではないと、
語られておられますが、「脱亜入欧」もやはりよくなかったと
語られています。
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