『若い軌跡-広島市復興青年運動史-』
勝丸博行・著/勝丸博行1964年
永井隆博士との交流ももたれたようです。
--占領下とはいえ、さわやかな日本人たちだと思います。
■もくじ■
第1章 焦土に立つ 1
第2章 復興へ 28
第3章 前進あるのみ 54
第4章 青年群像 77
第5章 冬から春へ 107
第6章 若い結晶 125
第7章 平和への道 155
第8章 激浪の中で 172
その後の歩み 225
出版によせて
あとがき
「いもずるはうまい」そうです。下「」引用。
「いもづるは野草よりたしかにうまいので、申込みはどっと来た。蔓の茎をたんねんにむいて煮てくえば、幾らか腹の足しになった。衣も食も住も、徹底的に壊滅した焦土には、手あたりしだいに何でもあるものは必要だった。」
比較するものによって、そうなるんでしょうね……。
新しい広島市づくり……。下「」引用。
「新生広島市は、将来どんな性格の都市にしてゆくべきかという課題は、しばしば、青年達の論議のマトになった。工業都市か商業都市か、あるいは教育文化都市か、いずれにしても軍都という過去を断絶して新しく平和な都市として復興せしめなければならないことは一致していた。」
希望がいっぱいだったのだろうとも思う。
占領下の不条理を書く。下「」引用。
「占領下の日本は日本人のものではなかった。この広島市の、世界人類の平和を祈念する祭典さえも、占領行政上、こまごまとした制約をうけ、広島市民の念願する平和祭どうりには実施し得なかった。原爆の惨禍を発表することはきびしく封ぜられ、人類の反省として広く訴えることも禁ぜられた。
ある外人記者が、この平和祭を見て「まるでヒロシマ・カーニバルだ。」と不審がったのも無理なからぬことであった。」
永井隆のピンクのバラ。下「」引用。
「市役所前の芝生の中に、ピンク色の花をつける一株のバラがある。これは、長崎の聖者永井隆博士が、青年の一行にことづけた贈物であって、長崎市長代理伊藤助役によって、この時植えられた記念樹である。」
今度は永井隆博士の白いバラ! 下「」引用。
「此の交歓会が終了後市役所前の平和記念庭園に“友よこの若さのみを信じて平和へ”と指標された歓迎塔を背にして長崎市永井博士より贈られた白バラの苗を伊藤長崎市助役の手によって植樹され三時より開催の長崎市が答える謝礼パーティーを精養軒ホールにて行ったのである。」
永井隆の文章。下「」引用。
「永井博士の礼状(巻紙墨書)
長崎市上野町 永井隆
広島市役所内
広島青年会 御中
広島長崎青年交歓
の催しに当り 縁あって 私
まで御訪問を受け かつ
広島の 蓮を 庭の
万人塚の前の池に植えて
下さるなど、重ね重ねの
御厚情ありがたく存じます
幸に天気晴朗 予定
の諸行事 滞りなく済み
大任を果たして 御帰りなさいまして、おめでとう
ございました
世界情勢刻々 変転の
今日 「時機」の重要性
を認識せられ 折角の
妙案も 後手に残されぬ
よう 敏速果敢に御実
践下さいませ
蓮の花の咲く日を
待ちつつ
永井隆
一九五○年五月八日
広島市青年会
御中」
もくじ
目 次
もくじ
勝丸博行・著/勝丸博行1964年
永井隆博士との交流ももたれたようです。
--占領下とはいえ、さわやかな日本人たちだと思います。
■もくじ■
第1章 焦土に立つ 1
第2章 復興へ 28
第3章 前進あるのみ 54
第4章 青年群像 77
第5章 冬から春へ 107
第6章 若い結晶 125
第7章 平和への道 155
第8章 激浪の中で 172
その後の歩み 225
出版によせて
あとがき
「いもずるはうまい」そうです。下「」引用。
「いもづるは野草よりたしかにうまいので、申込みはどっと来た。蔓の茎をたんねんにむいて煮てくえば、幾らか腹の足しになった。衣も食も住も、徹底的に壊滅した焦土には、手あたりしだいに何でもあるものは必要だった。」
比較するものによって、そうなるんでしょうね……。
新しい広島市づくり……。下「」引用。
「新生広島市は、将来どんな性格の都市にしてゆくべきかという課題は、しばしば、青年達の論議のマトになった。工業都市か商業都市か、あるいは教育文化都市か、いずれにしても軍都という過去を断絶して新しく平和な都市として復興せしめなければならないことは一致していた。」
希望がいっぱいだったのだろうとも思う。
占領下の不条理を書く。下「」引用。
「占領下の日本は日本人のものではなかった。この広島市の、世界人類の平和を祈念する祭典さえも、占領行政上、こまごまとした制約をうけ、広島市民の念願する平和祭どうりには実施し得なかった。原爆の惨禍を発表することはきびしく封ぜられ、人類の反省として広く訴えることも禁ぜられた。
ある外人記者が、この平和祭を見て「まるでヒロシマ・カーニバルだ。」と不審がったのも無理なからぬことであった。」
永井隆のピンクのバラ。下「」引用。
「市役所前の芝生の中に、ピンク色の花をつける一株のバラがある。これは、長崎の聖者永井隆博士が、青年の一行にことづけた贈物であって、長崎市長代理伊藤助役によって、この時植えられた記念樹である。」
今度は永井隆博士の白いバラ! 下「」引用。
「此の交歓会が終了後市役所前の平和記念庭園に“友よこの若さのみを信じて平和へ”と指標された歓迎塔を背にして長崎市永井博士より贈られた白バラの苗を伊藤長崎市助役の手によって植樹され三時より開催の長崎市が答える謝礼パーティーを精養軒ホールにて行ったのである。」
永井隆の文章。下「」引用。
「永井博士の礼状(巻紙墨書)
長崎市上野町 永井隆
広島市役所内
広島青年会 御中
広島長崎青年交歓
の催しに当り 縁あって 私
まで御訪問を受け かつ
広島の 蓮を 庭の
万人塚の前の池に植えて
下さるなど、重ね重ねの
御厚情ありがたく存じます
幸に天気晴朗 予定
の諸行事 滞りなく済み
大任を果たして 御帰りなさいまして、おめでとう
ございました
世界情勢刻々 変転の
今日 「時機」の重要性
を認識せられ 折角の
妙案も 後手に残されぬ
よう 敏速果敢に御実
践下さいませ
蓮の花の咲く日を
待ちつつ
永井隆
一九五○年五月八日
広島市青年会
御中」
もくじ
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