磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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女の系譜--内なる女性史

2009年01月26日 | 読書日記など
『女の系譜--内なる女性史』
   河野信子・著/太平出版社1973年

福田須磨子の文章があるので手にし本です。



■目 次■

I わが来歴  11
 キリスト者の家系のなかで--心の僻土での記録  伊藤聖子  11
 わが来歴 竹内洋子  26
 坑夫の娘と八路軍女兵 石井出かず子  48
II 今様女の譜  63
 学問と女の育児と--三題噺めかした漫言 栗城順子  63
 地方議会における女の「自負」と「艶」 水原博子  78
 都市化の中に生きて 上柿要子  90
 氷雨降りつづく 福田須磨子  103
III 母系なるもの  116
 女系家族 寺田操  116
 母系なるもの 瓜生久子  130
IV われらの内なる女性史  150
 情に殉ず--私のなかのふたり 緒方惇  150
 板付基地と老婆の思念  古賀節子  164
 農村の女たちと儒学 細川章  176
 あるからゆきさんの生涯 森崎和江  190
 対話のための仮説--編者のあとがきに代えて 河野信子  261

--「キリスト者の家系のなかで」
牧師の家庭といっても、いろいろ事情があるものだ……。下「」引用。

「Yという少女から石を投げられる理由の根もとを、私は知っていたからだ。それについての浅い理由は、次兄がキリスト教の牧師であり、同じまちのかなでメソジストの教会を開いていることにあった。だがそのことのもっと根もとには、私の父の先妻が無残な鉄道自殺を遂げていることがあった。
 父の先妻がなぜ自殺したかというと、それは父の姉の夫が父の先妻を手籠めにしたことにあって、このふたりの関係を知った私の父は、手厳しく自分の妻をなじったのだ。なじられた父の先妻は言葉をもたない女だったから、なんの口答えもしないで、黙って列車に飛びこんで死んでしまったのである。
 私の父の先妻の自殺と、次兄が牧師であることは、噛み合った事柄なのである。
 私は、私の父親の後妻の子であり、長兄と次兄は自殺した先妻の子であった。長兄も次兄も、旧制の中学時代にキリスト教を知り、そこに救済の道をみつけようとした。」

「ララ物資」のことも書かれてありました。下「」引用。

「太平洋戦争が終ってしばらくすると、この国にアメリカ軍が駐留しはじめて、キリスト教という異国の宗教が身近になってきたせいか、太平洋戦争中は日曜の礼拝にもほとんど人が来なかったのに、教会がいちじるしく人が集まってきた一時期があった。教会に、いわゆる「ララ物資」(アメリカの社会事業団体「アジア救済連盟」から送られてきた救援物資・食料・医療・薬品など)が優先的に流れこみ、他の人たちから羨まれるような時期も経たのだ。」

--「坑夫の娘と八路軍女兵」
敵意があったという……。下「」引用。

「黄同志は肉親を全部日本軍に虐殺されているので、日本人に対しては敵意をもっているのだ」と他の同志が教えてくれながら、「あなたが悪いのではない。軍国主義の軍隊が悪いのであって、あなたも自分たちと同じように軍国主義の被害を受けているのだから」と慰めてくれた。しかし、彼らの好意がわかるだけに、私の胸の中につきささる思いで黄同志の敵視に耐えていた。」

--「氷雨降りつづく」福田須磨子・著。下「」引用。

「-略-自分では懸命に被爆者のためにとがんばってきたつもりなのに、肝腎かなめの被爆者は私を信頼していなかったのだ、と涙がこぼれた。
 眠れない夜が続いた。このころからである、降りつづく氷雨にさむざむさと濡れそぼっているような自分を感じだしたのは。眠れぬ夜はなおも続いて、揚句の果てはひどいノイローゼにかかった。白いもやのかかったような時間が流れた。二~三か月たって、ふと気づくと、私の膝はほとんど直角に曲がったままで、歩くどころか立ち上ることもできない体になっていた。-略-」

--「あるからゆきさんの生涯」
そのむかしの、からゆきさんの話……。下「」引用。

「路上の地蔵を洗っていたのは田代ツルといった。一七歳のとき長崎からフィリピンへ渡ったという。一九一三~四(大正二~三)年頃である。回虫から虫歯までしらべられ、たくさんの注射をし、船の底にいれられた。フィリピンに知人がいたわけではない。-略-」








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