磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたのか-

2011年09月09日 | 読書日記など
『「フクシマ」論-原子力ムラはなぜ生まれたのか-』
   開沼博・著/青土社2011年

この本は、あきれたの一言……。
「出稼ぎしなくなって」よかったねという、上から目線……。
2011年に出版してるのに、避難させられた原発事故の被害者のことは眼中にないようだ……。
後書きは2011年5月27日だが……。被害者たちは、家族もばらばらになっているというのに……。
いっさい、そのような被害者のことは考えていないように思える……。

【ニュース】



帯には、上野千鶴子は、まるで1億総ざんげのような論理……。下「」引用。

「-略-
原発は戦後成長のアイコンだった。
フクシマを生み出した欲望には、
すべてのニッポンジンが
共犯者として関わっている。
それを痛切に思いしらせてくれる
新進気鋭の社会学者の登場!」

御用学者と原子力ムラにだまされたと、本当に思っている人もいるだろうに……。

しかし、東海村JCO事故もあったというのにね……。

「変わり者」と差別を許すものに社会学をする者としての資格はないとボクは思う。下「」引用。

「原子力ムラとして成立した原子力ムラにおいて、今も存在する反対派は、「変わり者」扱いを受けることでムラに内包される。今回の事例として取上げた福島県の原子力ムラについては、ジャーナリストの武田徹(2006)も取材を元にしたルポルタージュをしている。そこにおいて、四人に一人が原発関係者で、まもとな反対運動が成立しない、と嘆く地元の反対運動家へのインタビューをした際のエピソードが以下のように記述されている。
 -略-ぼくが訪れたとき、双葉町は町長選のまっただ中だったが、そこでも原発問題は争点になっていなかった。地元では原発自体がむしろふれらないタブーになってしまうのである」

まともな学問にも、やはり民主主義は大切なものですね。

戦中でいえば、「非国民」の「変わり者」にも、一億総懺悔の罪をなすりつけてくださる東大の社会学?

もくじ

「変わり者」のところへ行ったのかな?……。下「」引用。

「原子力との初めての出会い(それは福島ではなく六ヶ所村だったのだが)が私に与えた印象は今でも全く変わっていない。私たちは原子力を抱えるムラを「国土開発政策のもとで無理やり土地を取上げられた危険なものを押し付けられて可哀想」と、あるいは「国の成長のため、地域の発展のために仕方ないんだ」と象徴化するだろう。しかし、実際にその地に行って感じたのは、そのような二項対立的な言説が捉えきれない、ある種の宗教的とも言っていいような「幸福」なあり様だった。村役場の前からPR施設までの移動に使ったタクシー運転手は言った。
「つぶれそうなタクシー会社一つだけだったのが四つになってね。原燃さんが来てくまるまでは、一年の半分以上出稼ぎになければならなかった。危ないところでススだらけになりながら、家族と一緒に過ごせる日だけを楽しみにして汗水たらして働いて。今は一年中家族と一緒にいられる。子や孫が残って暮らせる。そういうもんですよ」」

お客様の立場で、聞いてくださったわけですね。

これで社会学ね……。原子力ムラの社会学としか思えない。

そして、ラスト部分。下「」引用。

「成長を支えてきた「植民地」の風景は「善意」ある「中央」の人間にとってあまりにも豊穰でもあるはずだ。
 信心を棄て、そこにこぼれおちるリアリティに向きあわなければならない。希望はその線分の延長線上にのみ存在する。」

原発推進派の「善意」?
どんな善意なんだろう?
ヒトラーに「善意」を認めた人たちもいるが……。
そんなものは「善意」などではなかった……。

原子力ファシズムも、ヒトラーも同根……。
「公害や原発のあるところに民主主義はない」

「原子力ムラ」の中心メンバーである、東大!
東大の教授、そして卒業生(政治家、官僚、企業幹部……)。
その追求はいっさいしていない、「原子力ムラ」の社会学……。

それを東海村などの村とすりかえる……。

東大をやめて、いい仕事をしている金子勝。
その逆の上野千鶴子……。

変わり者の一人の読書感想文でした!!!


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