磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

わが町の歴史長崎

2007年04月29日 | 読書日記など
『わが町の歴史長崎』
     加藤章、外山幹夫(著)/文一総合出版s59年

「原始・古代の長崎」からはじまります。大きな時代のながれを一冊の本にされています。



永崎氏と永崎浦について書かれてあります。下「」引用。

「しかし古代についてもろちん、中世の「深堀文書」その他をみても、深江浦とよばれた証拠はみとめられない。ただ戦国時代末の長崎に深江辰之助という者があ(『長崎年来(ねんらい)記録』)、深江浦出身かとの推定も可能である。しかしかりに深江浦があったとしても、別に永崎浦があったのだから、深江浦を長崎の古名ともいえない。今後の検討にまたねばならない。」

歴史というのも、何かの方程式にのっているものはウソくさいと思います。

この本はそんなことはありません。

歴史に、斬新なみかたをされたのは、松本清張さんでしょうね。


長崎氏という方も出て来ます。下「」引用。

「要するに、長崎小太郎が鎌倉初期の文治初期の文治年間に長崎に来往したというのである。しかも、同時に、戸町藤次・千綿太郎・時津四郎・浦上小太夫ら四十数名の者も下向したとも記している。」

キリシタンとの交流なども書かれてありました。

豊臣秀吉のことも書かれてありました。下「」引用。

「こうして長崎の地は、大村純忠(すみただ)によって、イエズス会に永久に寄進されることとなった。しかし教会領長崎は、このわずか八年後、豊臣秀吉が長崎の直轄領として没収したことによって、あっけなく終止符が打たれた。
 対外貿易港としての長崎に着目したのは、じつは秀吉にはじまったことではなく、すでに室町幕府将軍足利氏、および織田信長もまた注目し、食指を動かしていたらしい。」


長崎原爆のことも書かれてありました。投下機の機長もカトリック教徒であったという……。

観光ブームについても書かれてありました。

観光にも役立ったという長崎がタイトルについたヒット曲。

・昭和23年、「長崎のザボン売り」、歌は小畑実。
・昭和24年、「長崎の鐘」、サトウハチロー作詞・古関裕而作曲・藤山一郎歌。
・昭和25年、「長崎の花売娘」(岡晴夫)

長崎を歌うとヒットするという神話、以来長崎をテーマにした歌は750曲をこえるといわれる。

それにしても多いですね。

長崎はきょうも歌われているでしょう♪

WaWaWaWaWa……♪ (字余り……)










エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。