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『反原発新聞』縮刷版-0号-100号-

2008年12月04日 | 読書日記など
『『反原発新聞』縮刷版-0号-100号-』
   反原発運動全国連絡会・編/野草社1986年

表紙に書かれてあります。下「」引用。

「原子力を廃絶を心から願う各地の運動が横に繋がり、その目的に向かって「反原発新聞」0号が発行したのは1978年3月、あのスリーマイル島原発事故の1年前のことであった。それ以来、原子力発電に関する最も信頼できる情報を伝え続け、1986年7月に100号を迎えた同紙の縮刷版を、詳細な索引を付して、全てのいのちたちとの共生・共活を目指し、「脱原発への道」を共に歩む、全国の仲間たちに贈ります。」



『反原発新聞』と反原発運動全国連絡会……。下「」引用。

「『反原発新聞』について
    西尾漠--◎反原発運動全国連絡会事務局
 『反原発新聞』は、反原発運動全国連絡会によって、毎月一回の発行がつづけられている。全国連絡会がもともとあって、或る時から『新聞』発行をはじめた、というのではなく、むしろ『新聞』の発行のために全国連絡会が結成された、と言ってよい。
 一九七五年八月に京都で開いた第一回の反原発全国集会の際、各地の人びとがお互いに大切な情報を知り合えるようにする通信がつくれないだろうか、との話がもちあがった。それぞれの地元では大きく報じられる動きでも、別の地域ではベタ記事にすらならない、という報道の現実もあるからだ。-略-」

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柏崎刈羽の人も……。下「」引用。

「「縮刷版」刊行に寄せて
   武本和幸--◎「反原発新聞」柏崎支局
 柏崎支局では『反原発新聞』を六百部扱っている。これは、全国各地のなかで最大の部数であるらしい。
 『反原発新聞』が創刊された一九七八年、新潟県柏崎市の東京電力柏崎・刈羽原発計画地では、一号炉の着工を前にした激しい攻防が行なわれていた。-略-」

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格差社会が当時からあった原子力帝国=国策事業……。下「」引用。

「はんげんぱつ新聞 第0号(2)
ますます増える労働者被曝--下請労働者に集中
 -略-特に深刻なのは、被曝がいよいよ下請労働者に集中し、五十一年度では、たとえば年間二・五レム以上の被曝を受けたものは、社員七人に対し、下請二一五人にも達した。さらに、典型的な例として福島第一の場合みると、五十一年度の総被曝線量のなんと九割が下請労働者が受けており、平均被曝線量も、社員○・四三レムに対し、下請○・五○レムとなっている。そして五十二年度の上半期をみとる、社員層被曝量一○○人・レム、下請一八五一人・レムと、この傾向がさらに強まっている。」

こんな呼びかけもあったという。下「」引用。

「はんげんぱつ新聞 第1号(4)
国際的な同時デモを!
 スイス反原発運動から呼びかけ -略-」

ネットでなら、もっと簡単にできるのではないか?
外国語がわかったらのことであるが……。

京大のことも書かれてあった……。下「」引用。

「はんげんぱつ新聞 第28号(3)
京大工学部で放射能汚染
医療用・学術研究用の美名の下で-略-」

「平和利用」とは「ヒロシマ」を忘れさせること……。 下「」引用。

「はんげんぱつ新聞 第70号(1)
1984年を広島から始める……
核時代をこえる民衆の力を
森滝市郎さん・栗原貞子さんに聞く 聞き手=高木仁三郎(本紙編集部)
 -略-森滝 実はね、今のような反原発という立場には、核絶対否定という思想から到達したといことはないんですよ。それが面白いというか。三十年一月のことですが、二十年一月末のことですが、浜井市長がその前年に渡米して「広島の復興のために援助してほしい」と請願するわけですが、それに応えて本気でマイク・マサオカという二世が考えたことですが、「原発の贈り物をしよう、それで広島を復興させよう」という話が出てくるのです。これが原発と広島が具体的に出会った最初でしょう。その時は戦争の攻撃目標になったらこわい、ということが第一にきて、これは大変だということで声明を出しました。
 その次に広島での原子力平和利用博覧会があります。これは三十一年五月から六月にかけて開催されています。この時、僕は大げんかするのです。アメリカの出先機関で広島文化センターというものが中心になったのですが、原爆の資料館の陳列してあるものを全部取りのけてやるというのです。
 その時の文化センターの館長は、 フトゥイという人物ですが、彼に対し僕は「僕があなたの立場だったら、こんなことは絶対にない」と強く言ったのです。すると彼は開き直って、「見ててごらんなさい。私は広島を平和利用、平和利用、平和利用で塗りつぶしてみせます」と言ったのです。それで意図がわかったのです。原爆を忘れさせるための「平和利用」だったんです。
高木 それはすごい話ですね。
森滝 それ以降、平和利用といったら注意しなくては、という気になったのです。-略-」

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そして、「ヒロシマ」の新ヴァージョン「チェルノブイリ」が生れる……。

しかし、「ヒロシマ」は1000倍以上もの核兵器がつくられ、さらにミサイルに搭載され、原子力潜水艦に搭載されるようになった……。

日本は中曽根総理となり、アメリカの不沈空母(=戦場予定地)となり、米ロの核戦争の場として、原潜に水爆が搭載され、うじゃうじゃと潜んでいるという……。









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