磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本の原爆文学4 佐多稲子・竹西寛子

2006年05月17日 | 読書日記など
『日本の原爆文学4 佐多稲子竹西寛子
    ほるぷ出版1983年

ぼくの若いころは、
今とちがって素晴らしいと思う文学者で、
共産主義という方は多かったですね。

この日本の原爆文学とは関係がありませんが、
松本清張もそうだったみたいですね。



広島の方が長崎より先に平和擁護運動に結びつけて記念したという。

原爆手帖のことが書かれてあります。「」引用。

「一九五七年に発行された原爆手帖は、この年六〇年の法改正で、特別と一般とに分けられ、この特別手帖をとっているものは全国で五百人もいなかったが、それは特別手帖を持つ該当者がなかなか取れないということだったのである。しかしこの年改正になった特別手帖交付の条件の(イ)の項にある直接被爆者として爆心地から三キロ以内に居った者、又は胎児、ということに麻田は該当しなかっただけである。認定被爆者として直接、一般を問わず、原爆が原因で負傷または病気になって現在治療を必要とする被爆者で審査によって厚生大臣が認めたもの、健康診断の結果、次の疾病が認められたもので医師、厚生大臣が認めたもの、三日以内に爆心地より三キロ以内の地点に入ったもの、当日、特定地域 (黒い雨が降った地点)に居住していた者という(ロ)から(ホ)のどの項の条件にも麻田は該当した」

いろいろな問題がありますが、
このようなことにはマスコミは焦点をあてなくなりましたね。

原水禁運分裂なども書かれてありました。

佐多稲子の著者紹介に下のようにある。

「小学五年生で学校をやめてキャラメル工場で働くようになった。一九二六年(大正一五)年頃、雑誌『騾馬』同人の青年たち中野重治らと知り合い文学活動を開始する。一九二八年「キャラメル工場から」を書いて、中野らのプロレタリア文学運動に加わる。一九三二年には日本共産党に入党し党活動に従事するが、この間に「幹部女工の涙」など東京モスリン工場の争議に取材した五部作などを書く。一九三四年「牡丹のある家」(六月、『中央公論』)を書いて転向文学時代に入る。 略 戦後、戦時中の軍部協力を反省して苦しむが、一九四六年日本共産党に再入党し、党員文学者として中野重治らと民主主義文学運動の発展に力を尽くす。(一九六四年、野間宏、出隆、国分一太郎らとともに、日本共産党の思想的政治的方針を批判して除名される」

他の本で読んだが、佐多稲子だけではなく、日本共産党を非難して除名されたそうである。名誉回復はされていないとその本にはあったと思う。

今、検索してみたら、除名というよりも「反党分子」と非難されていたようだ。
もちろん、これは中華人民共和国ではなく、現代日本でおきたことです。
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