『「私たちの世界」がキリスト教になったとき-コンスタンティヌスという男-』
ポール・ヴェーヌ(著)/
西永良成、渡名喜庸哲(訳)/岩波書店2010年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「ヨーロッパの根にあるのはキリスト教ではない
歴史の曲がり角を、全く新しい光の下に書き直す。
迷い苦悩しつつ生きたひとりの男の個性が、歴史をつくった。もっとも「大きな物語」を解体する、歴史像の挑戦。」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「ローマ史の硯学が、コンスタンティヌスのキリスト教への改宗という「起源」の物語を書き直す。
ミルウィウス橋の夢や、異教の生け贄の儀礼への態度、ユダヤ人の処遇など、歴史を変えたとされるエピソードを、その時代の文脈において解釈し直す、神の救済計画でも、なんらかのイデオロギーでもなく、ひとりの都お子の信仰と思想と個性が、キリスト教という比類のない文化装置を起動した。
ひとがそのつど「いま・ここ」を生きる、リアルな偶然の過程としての歴史--必然のプロセスという神話を解体しようとする、歴史叙述の試み。」
歴史のヒーロー? コンスタンティヌス。
臣下にキリスト教を強制しなかったという。
愛の宗教であるキリスト教。
作家・ラクタンティウス。
へだてる……。下「」引用。
「彼は聖職者と一般信徒をへだてる断絶を尊重していた。彼は教会会議や大公会議を召集し、ちょうどローマの行政官が民事裁判の「判事を供給する」ようなやり方で、キリスト論を定義する任務をそこに委任した。-略-」
「異端とユダヤ人、反ユダヤ主義の誕生」
--この本では母と皇帝のことが大きくとりあげてなかったと思う。皇帝は、まったくイエス・キリストとはことなる人物である……。母からして、真逆……。イエスは神の権威を愛の働きで示し、皇帝は神の権威をきて敵を殺し、人々の上に立った……。それも、真逆……。そんなことは書かれてなかったように思える……。腐った権威をきたがるのは、ブッシュもそうであった……。その権威が死そのものであった……。西欧の根底には、イエスではなく、彼だというのは間違っていないだろうが……。そうでない人たちも少数いたことも歴史だろう……。
簡単にいえば、キリストは構造的暴力をなくそうとしたが、皇帝は構造的暴力をつくり維持した……。まったく逆の人間性……。イエスは天国で、皇帝は地獄……。その皇帝の包装紙に、イエスとは真逆のキリスト教が使われたにすぎない……。キリスト教は構造的暴力の装置につかわれた、たまにあるいは修道士など一部の人たちが慈善をおこない、それを用いて構造的暴力を隠した……。
もちろん、アーミッシュやクエーカー教徒などという純粋な人たちもいるが、少数派にすぎないだろう……。
そして、どちらでもない一般大衆がいたことだろう……。
Index
もくじ
ポール・ヴェーヌ(著)/
西永良成、渡名喜庸哲(訳)/岩波書店2010年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「ヨーロッパの根にあるのはキリスト教ではない
歴史の曲がり角を、全く新しい光の下に書き直す。
迷い苦悩しつつ生きたひとりの男の個性が、歴史をつくった。もっとも「大きな物語」を解体する、歴史像の挑戦。」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「ローマ史の硯学が、コンスタンティヌスのキリスト教への改宗という「起源」の物語を書き直す。
ミルウィウス橋の夢や、異教の生け贄の儀礼への態度、ユダヤ人の処遇など、歴史を変えたとされるエピソードを、その時代の文脈において解釈し直す、神の救済計画でも、なんらかのイデオロギーでもなく、ひとりの都お子の信仰と思想と個性が、キリスト教という比類のない文化装置を起動した。
ひとがそのつど「いま・ここ」を生きる、リアルな偶然の過程としての歴史--必然のプロセスという神話を解体しようとする、歴史叙述の試み。」
歴史のヒーロー? コンスタンティヌス。
臣下にキリスト教を強制しなかったという。
愛の宗教であるキリスト教。
作家・ラクタンティウス。
へだてる……。下「」引用。
「彼は聖職者と一般信徒をへだてる断絶を尊重していた。彼は教会会議や大公会議を召集し、ちょうどローマの行政官が民事裁判の「判事を供給する」ようなやり方で、キリスト論を定義する任務をそこに委任した。-略-」
「異端とユダヤ人、反ユダヤ主義の誕生」
--この本では母と皇帝のことが大きくとりあげてなかったと思う。皇帝は、まったくイエス・キリストとはことなる人物である……。母からして、真逆……。イエスは神の権威を愛の働きで示し、皇帝は神の権威をきて敵を殺し、人々の上に立った……。それも、真逆……。そんなことは書かれてなかったように思える……。腐った権威をきたがるのは、ブッシュもそうであった……。その権威が死そのものであった……。西欧の根底には、イエスではなく、彼だというのは間違っていないだろうが……。そうでない人たちも少数いたことも歴史だろう……。
簡単にいえば、キリストは構造的暴力をなくそうとしたが、皇帝は構造的暴力をつくり維持した……。まったく逆の人間性……。イエスは天国で、皇帝は地獄……。その皇帝の包装紙に、イエスとは真逆のキリスト教が使われたにすぎない……。キリスト教は構造的暴力の装置につかわれた、たまにあるいは修道士など一部の人たちが慈善をおこない、それを用いて構造的暴力を隠した……。
もちろん、アーミッシュやクエーカー教徒などという純粋な人たちもいるが、少数派にすぎないだろう……。
そして、どちらでもない一般大衆がいたことだろう……。
Index
もくじ