磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波ジュニア新書75 中学生の春夏秋冬

2007年09月18日 | 読書日記など
『岩波ジュニア新書75 中学生の春夏秋冬』
    石川逸子・著/岩波書店1984年

「怒りの広島」「祈りの長崎」といわれるけど、この本は「祈り」を大切さを感じる一冊でした。広島の「祈り」です……。



被爆経験をされた方たちが亡くなれていきます。
これは自然の摂理ですね。

「怒り」はやはり体験された方たちは持っておられて当然だと思います。
でも、体験もしていないボクが、「怒り」を継承できる資格があるのか?

ただ、悪い人、ひどい人が、人を苦しめる行為に関しては当然「怒り」をもっていいという人もいるかもしれませんが、第三者は冷静に見守ることの方が大切ではないでしょうか?。

アメリカの核兵器は許せないけど、中国やソ連のは許せるという人たちが……。
どちらも大量虐殺兵器です。どちらも許せないと、ぼくは両者に「怒り」を持つことが正しいことに思えますが、「怒り」では対立だけで終わってしまうようにも思えるのです。

この文章はそんな対立ではないことも書かれています。下「」引用。

「婦人科以外のすべての科にかかったといわれ、いまも原爆症に苦しむ高橋さんですが、その高橋さんはアメリカでの第一回国連軍縮総会の帰り、ハワイのアリゾナ記念館に二人の被爆者とともに寄り、日本軍の真珠湾(しんじゅわん)攻撃による犠牲者の慰霊碑(慰霊碑)に詣(もう)でたことを、Kさんのつぎの学生たちに話しました。それまでは反核のビラを配っても冷たかったアメリカ人たちが、高橋さんたちの慰霊碑への参拝をみて、大きく態度を変え、涙を流しながら接してくれた人も出てきたといいます。
 原爆を落としたアメリカも悪いが、落とさせる原因を作った日本の行為についての反省もしなければ真の平和は生まれてこない、ということを身をもって示した高橋さんの生きかたは、生徒たちに大きな影響をあたえていきます。話が終わると、手洗い場でいく包みもの薬をそっと飲んでいる高橋さんでした。」

この高橋さんは「元原爆資料館長、現広島文化センター事業部長」です。

絵本 ヒロシマのおとうさん


自分の属している組織などの「誤(あやまり)」は認めないが、他者の「誤」は攻め立てていては、対立だけが残るだけでしょうし、「誤」があったにも関わらず、それを無視して、相手ばかりを攻め立てていれば、それは「いんねん」と言われても仕方がないような気がしますし、平和をつくろうというのに、そのようなことをされていては、平和のマイナス、平和の邪魔といわれても仕方がないとも思えます。

まあ、ボクも人間ですから、そのような行為をするかもしれませんから、気をつけないといけないと思っています。

この本には修学旅行を広島にしてよかったと書かれてあります。他には行けなかったのだから、比較はどうしてできたのかは生徒には理解できません……。


裏表紙に書かれてあります。下「」引用。

「学校が楽しいかどうかは、おおかた、クラスや友だちとうまく行っているかどうかで決まります。この本は、東京の下町ゼロメートル地帯のある中学校で実際にくりひろげられた中学生のドラマ、嫌がらせ、仲間はずれ、カンニングなどよくあるクラスのもめごとから生徒会、遠足、文化祭、修学旅行そして高校受験へと、立ちはだかる一つ一つの壁をみんなの話合いをもとに乗りこえていく姿が、泣き笑いのうちに生き生きと描かれています。さて、あなたの中学生生活はどうかな。」

ぼくは、広島のおばあさんとの交流が素敵だと思いました。
「祈り」を感じるものでした。相手を思いやることが「祈り」には大切なことと思います……。
行為面ではなく内容を考えると「祈り」って、もしかしたら、「イマジン」のことかもしれないとボクは思えました……。

「イマジン、広島」「イマジン、長崎」
相手を思いやる「祈り」「怒り」……。

そして、そのイマジンは人と交流するときにも自然と生まれているものですね。















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