磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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シリーズ・戦争の証言19 ヒロシマの夜の病棟 被爆者日記抄

2007年12月14日 | 読書日記など
『シリーズ・戦争の証言19
  ヒロシマの夜の病棟 被爆者日記抄』
      田村慶子・著/太平出版社1977年、1978年3刷

被爆者が入院されたときつけられていた日記。
そのままを出版されたという感じです。

吉永小百合さんのことも書かれてありました。下「」引用。

「吉永小百合、渡哲也が来て病院中ごったがえす。」
「吉永小百合にサインをしてもらった。」



この文章を読んでいて、まるで看護記録だなあと思いました。

同じ患者に閉口したり、子どもがうるさいことなどの悩みが書かれてあります。

また、病院食がまずいとか、今の病院もかかえる問題を書かれている。

別に広島の被爆者特有でないことでも、やはり被爆者も悩んでおられたのだと思いました。


折鶴の会のことがよく出てきます。写真をとったのをもってきてもらったとか。七夕の日など行事でも関われておられたし、折鶴の会の河本さんからお花をもらったと書いてあったり、手紙を書いたりしておられたようである。

また、永井隆の本を二冊よんでおられたようである。

雪村いづみや、吉永小百合、渡哲也が病院に来たりしている。そこは、一般の病院にはないことだろうとも思う。吉永小百合と渡哲也は映画撮影のため来院。

【映画】愛と死の記録

この時代には看護婦の通信教育があったようである。月謝は六千円。スクーリングに行かれて、退院されて後に資格をとられたようである。

「学院に月謝〔看護婦通信教育費六○○○エン〕とレポートを送った。」

また、他の本にもこの著者のことは書かれているという。下「」引用。

「『ヒロシマ-愛と死』の本〔竹内達著。編者が取材して慶子さんのこともでている〕が発行されたらしい。」

この時代にも、出張舞妓があったのでしょうか?
祗園の舞妓さんのことも書かれてありました。下「」引用。

「主人が京都に行く。午後一時ころ、祗園の舞子さん六人が見舞いに来た。」

これは1965年11月11日のことらしいです。

看護婦資格をとられても、原爆症で看護婦として働けなかったようです……。





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