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『にっぽんのヒトラー 東条英機-その等身大の生涯と軍国日本-上巻』
亀井宏・著/光人社1981年
芸人の血が流れているという……。下「」引用。
「東條英機には芸人の血が流れていたことは知られている。諸説があるが、東條家の初代で、彼の曾祖父にあたる英政という人が鏡之助ともいい、能楽宝生(ほうしょう)流の出であったといわれている。-略-」
どんな血なんだろうねえ?
ヒトラーのごとく……。下「」引用。
「本会議において、社会大衆党の西尾末弘が国家総動員法賛成演説に立って、
「もっと大胆率直に、ヒトラーのこどくムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく大胆に日本の進むべき道を進むべきであろうと思うのであります。……国民の信頼を全身に集めております近衛首相にしてのみはじめてこれを断行することができるのであります」
と述べて問題になった。「共産党の親玉であるスターリンのごとく、とは何ごとか」というわけで、軍部と右翼、さては政民両党までが反撥し、西尾の懲罰を要求した。-略-十三日の本会議で西尾の除名が可決された。」
一億総懺悔は石原莞爾? 下「」引用。
「敗戦直後の石原莞爾の造語とされる“一億総懺悔”論-略-」
もくじ
三国同盟と東條。下「」引用。
「ここで三国同盟に、東條英機がどのように関わったかということに触れておこうる。彼は近衛文麿、松岡洋右にくらべれば、この問題に深くかつ積極的に関係したとはいえない。近衛は第一次の組閣時代から経験ずみであるし、松岡の場合は推進者になることを請負っての外相就任である。東條の場合は、陸相に内定した途端に諾否を迫られた格好である。そして彼は、松岡の「大東亜共栄圏」理論に共鳴し、独伊との軍事同盟に賛成した。その間、さして悩んだようすもない。陸相たる者、陸軍がこぞって希望している同名案に賛成するのは当然だ、と単純に考えたかどうか。この種の自己弁護はいっさいしない人物だったから、そこのところはよくわからない。だが、それよりも重要と思われるのは、彼が三国同盟というものがもつ意味についてほとんど無智だったという事実である。-略-」
『にっぽんのヒトラー 東条英機-その等身大の生涯と軍国日本-下巻』
亀井宏・著/光人社1981年
ルーズベルト……。下「」引用。
「この二十三日、ワシントンの野村吉三郎はルーズベルトと会っていた。ルーズベルトは野村にたいして、日本が南部仏印進駐を実行すれば、アメリカは石油の輸出禁止を結構するとほのめかした。-略-当時はその五分の四をアメリカから輸出していたのである。そのアメリカから石油をとめられたら、軍事地からが麻痺するだけでなく、重要産業も停止して、近代国家としての基礎が根底から瓦解してしまう。-略-」
対日資産凍結。下「」引用。
「しかし、ルーズベルトの警告は、たんなるおどかしではなかった。七月二十五日夜、アメリカは対日資産凍結令を発布した。資産凍結というのは、実質的には全面的な経済断交を意味する。-略-」
宮中においての懇談。下「」引用。
「結果をいうと、重臣の大部分は開戦に反対であった。理由は、戦争が長期にわたれば国力の遺児と民心の動向に不安があるというものであった。とくに岡田啓介が、右(*上)の意見を強調した。米内光政が、「ジリ貧を避けんとして、ドカ貧にならぬように」といったのは、このときである。-略-それにひきかえ、広田弘毅、林銑十郎、阿部信行の三名は、ここまできたら開戦はやむなしという政府の決心を肯定した。ただし、広田は開戦後といえでも外交交渉は断念すべきでないという意見であった。東條英機は、若月、岡田らの現状維持派にたいして遂一反駁をくわえ、結局一同、政府の開戦決意を承認するかたちで散会となった。」
「第十三章 原爆投下」
終戦……。下「」引用。
「八月七日、広島に投下された新型爆弾が原子爆弾であることを知り、つづいて、ソ連参戦の報をうけた政府は、ここに「ポツダム宣言」受諾の決意をかためた。ソ連の仲介をあてにした終戦工作が完全に失敗におわったことで、政治常識からいえばこのさい総辞職するのが当然であったが、首相鈴木貫太郎は自分の内閣で結着をつけるべくあえてその手段をとらなかった。-略-」
自決を覚悟した東條……。下「」引用。
「東條が本気で自決を覚悟していたというのは真実であろうと思われる。手段は拳銃によるときめていた。玉音放送を知った彼はほどなく、向かいあった鈴木という医院を訪ね、自分の心臓の正確な位置をたずねている。そして、胸部のその箇所に、墨でしるしをつけた。撃ち損じることをおそれての処置である。-略-」
心臓の位置をきかないとわからない人が総理や陸軍大臣をやっていたのか……。今もかわらないか……。
そして、逮捕。自殺は失敗……。
橋田邦彦・元文相は自殺。下「」引用。
「近衛と東條内閣の文相をつとめた橋田邦彦も、同十三日午後、自殺した。彼は元東京帝国大医学部の教授であり、のちに第一高等学校長を兼任していたころ、近衛文麿が第二次内閣の大臣に起用した。当日、荻窪警察署長の迎えをうけた橋田は、いったん奥へもどって青酸カリをのみ、玄関で靴を履きながら昏倒し、そのまま絶命した。」
もくじ
INDEX
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亀井宏・著/光人社1981年
芸人の血が流れているという……。下「」引用。
「東條英機には芸人の血が流れていたことは知られている。諸説があるが、東條家の初代で、彼の曾祖父にあたる英政という人が鏡之助ともいい、能楽宝生(ほうしょう)流の出であったといわれている。-略-」
どんな血なんだろうねえ?
ヒトラーのごとく……。下「」引用。
「本会議において、社会大衆党の西尾末弘が国家総動員法賛成演説に立って、
「もっと大胆率直に、ヒトラーのこどくムッソリーニのごとく、あるいはスターリンのごとく大胆に日本の進むべき道を進むべきであろうと思うのであります。……国民の信頼を全身に集めております近衛首相にしてのみはじめてこれを断行することができるのであります」
と述べて問題になった。「共産党の親玉であるスターリンのごとく、とは何ごとか」というわけで、軍部と右翼、さては政民両党までが反撥し、西尾の懲罰を要求した。-略-十三日の本会議で西尾の除名が可決された。」
一億総懺悔は石原莞爾? 下「」引用。
「敗戦直後の石原莞爾の造語とされる“一億総懺悔”論-略-」
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三国同盟と東條。下「」引用。
「ここで三国同盟に、東條英機がどのように関わったかということに触れておこうる。彼は近衛文麿、松岡洋右にくらべれば、この問題に深くかつ積極的に関係したとはいえない。近衛は第一次の組閣時代から経験ずみであるし、松岡の場合は推進者になることを請負っての外相就任である。東條の場合は、陸相に内定した途端に諾否を迫られた格好である。そして彼は、松岡の「大東亜共栄圏」理論に共鳴し、独伊との軍事同盟に賛成した。その間、さして悩んだようすもない。陸相たる者、陸軍がこぞって希望している同名案に賛成するのは当然だ、と単純に考えたかどうか。この種の自己弁護はいっさいしない人物だったから、そこのところはよくわからない。だが、それよりも重要と思われるのは、彼が三国同盟というものがもつ意味についてほとんど無智だったという事実である。-略-」
『にっぽんのヒトラー 東条英機-その等身大の生涯と軍国日本-下巻』
亀井宏・著/光人社1981年
ルーズベルト……。下「」引用。
「この二十三日、ワシントンの野村吉三郎はルーズベルトと会っていた。ルーズベルトは野村にたいして、日本が南部仏印進駐を実行すれば、アメリカは石油の輸出禁止を結構するとほのめかした。-略-当時はその五分の四をアメリカから輸出していたのである。そのアメリカから石油をとめられたら、軍事地からが麻痺するだけでなく、重要産業も停止して、近代国家としての基礎が根底から瓦解してしまう。-略-」
対日資産凍結。下「」引用。
「しかし、ルーズベルトの警告は、たんなるおどかしではなかった。七月二十五日夜、アメリカは対日資産凍結令を発布した。資産凍結というのは、実質的には全面的な経済断交を意味する。-略-」
宮中においての懇談。下「」引用。
「結果をいうと、重臣の大部分は開戦に反対であった。理由は、戦争が長期にわたれば国力の遺児と民心の動向に不安があるというものであった。とくに岡田啓介が、右(*上)の意見を強調した。米内光政が、「ジリ貧を避けんとして、ドカ貧にならぬように」といったのは、このときである。-略-それにひきかえ、広田弘毅、林銑十郎、阿部信行の三名は、ここまできたら開戦はやむなしという政府の決心を肯定した。ただし、広田は開戦後といえでも外交交渉は断念すべきでないという意見であった。東條英機は、若月、岡田らの現状維持派にたいして遂一反駁をくわえ、結局一同、政府の開戦決意を承認するかたちで散会となった。」
「第十三章 原爆投下」
終戦……。下「」引用。
「八月七日、広島に投下された新型爆弾が原子爆弾であることを知り、つづいて、ソ連参戦の報をうけた政府は、ここに「ポツダム宣言」受諾の決意をかためた。ソ連の仲介をあてにした終戦工作が完全に失敗におわったことで、政治常識からいえばこのさい総辞職するのが当然であったが、首相鈴木貫太郎は自分の内閣で結着をつけるべくあえてその手段をとらなかった。-略-」
自決を覚悟した東條……。下「」引用。
「東條が本気で自決を覚悟していたというのは真実であろうと思われる。手段は拳銃によるときめていた。玉音放送を知った彼はほどなく、向かいあった鈴木という医院を訪ね、自分の心臓の正確な位置をたずねている。そして、胸部のその箇所に、墨でしるしをつけた。撃ち損じることをおそれての処置である。-略-」
心臓の位置をきかないとわからない人が総理や陸軍大臣をやっていたのか……。今もかわらないか……。
そして、逮捕。自殺は失敗……。
橋田邦彦・元文相は自殺。下「」引用。
「近衛と東條内閣の文相をつとめた橋田邦彦も、同十三日午後、自殺した。彼は元東京帝国大医学部の教授であり、のちに第一高等学校長を兼任していたころ、近衛文麿が第二次内閣の大臣に起用した。当日、荻窪警察署長の迎えをうけた橋田は、いったん奥へもどって青酸カリをのみ、玄関で靴を履きながら昏倒し、そのまま絶命した。」
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