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東条英機-阿片の闇 満州の夢-

2010年07月30日 | 読書日記など
『東条英機-阿片の闇 満州の夢-』
   太田尚樹・著/角川学芸出版2009年

ひどい人物だなあーと、あきれました……。
岸信介という安倍晋三の祖父が、東条の手下にいた……。



「表紙写真の説明」下「」引用。

「戦局が厳しさを増すなか、勲章を胸に軍服で。この五ヵ月後、東条内閣は総辞職する(1944年2月)。」

帯に書かれてあります。下「」引用。

「私への批判は、陛下への批判。
内閣誕生のわずか5年間、2.26事件勃発時には、満州の憲兵隊司令官にすぎなかった男が、なぜ戦時の絶大な力を手に入れるに至ったのか。共産主義の脅威、内乱勃発の危機、皇室の思惑、そして莫大な阿片の黒い金--。戦時宰相「東条英機」を生み出した背景と要因、その人間像を通して、日本敗戦へ至る道と昭和史の闇を暴く!」

「はじめに」唖然……。下「」引用。

「昨今、東条英機が終戦直前に所信を綴(つづ)った日記が、国立公文書で発見されて話題になった。早速公文館に出向いて現物を閲覧してみたが、唖然(あぜん)としてしまった。
 そこにはポツダム宣言を受諾した政府の姿勢をなじり、国民の気魄(きはく)が欠如していることへの、恨みつらみが記されていたからである。とくに「新型爆弾に脅(おび)え、ソ連の参戦に腰を抜かし」とか、「もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙げるに至るが如き国政指導者及び国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりしところ」など、あの機に及んでもなお国民の犠牲を強いる記述は、あれから六十数年がたっているとはいえ、読むに堪えないものがあった。-略-」

天皇神聖化と統帥権……。下「」引用。

「そして、天皇を自分たちの都合のよい「機関」として利用した張本人たちこそ、機関説否定論者だったという、皮肉な結果を暴露する。-略-
 軍部は、天皇の神聖化することによって国民と隔絶させ、統帥権を御旗にして勢力を拡大し、軍事態勢を作り上げてしまった。さらに統帥権が内閣や議会による軍事への干渉を拒む根拠となり、物言えぬ空気ができ上がってしまう。これが軍の暴走といわれる所以(ゆえん)であり、そもそもの火種もそこにあったわけである。」

岸信介(長州人たち)と【阿片】。下「」引用。

「満州の東条英機が深く関わった民間人の中に、満州の「二キ三スケ」として知られる面々がいた。もっとも二キの一人は東条だが、もう一人が星野直樹。満州国国務院総務長官時代に東条と親しくなり、のちに東条内閣にあって内閣書記官長として、側近の一人となった人物である。
 三スケは岸信介と、日産コンツェルンの創始者で満重(満州重工業)総裁の鮎川義介、そして満鉄(南満州鉄道)総裁を務めた松岡洋右。この三人はいずれも長州人で、しかも姻戚関係という機縁でも繋がっていた。
 -略-二キ三スケは甘粕(*正彦)とともに、阿片問題や東条内閣の人脈という面でも、切っても切れない縁で繋がっていた。」

ドイツ語班を使った東条陸軍大臣。下「」引用。

「東条陸軍大臣の下で要職を占めた者のほとんどが、幼年学校のドイツ語班だったことは注目に値する。彼らは例外なくナチス信奉者だった。これは理論ではなく、感情といってよい。早くからドイツ語を通じて育まれた、親独感情以外のなにものでもない。」

「北支出兵」反対の石原莞爾と対立。

「名前もない妙な会」 下「」引用。

「阿片に関わっていたのは、関東軍だけではなかった。当時の満州国政府の事実上のトップである。総務長官星野直樹と次長岸信介、その下にいた主計処長(日本では主計局長に当たる)古海忠之、さらに満鉄や満重(満州重工業)など、官と民が深く関わっていた事実は、いくつかの証言で明らかになっている。
 その中の一人、古海は直接「阿片」という表現は避けながらも、著書『忘れ得ぬ満州』(経済往来社)の中で当時を回想している。
 これよると、甘粕正彦や岸信介、満重の鮎川義介たちは新京ヤマトホテルの特等室を居室にしており、毎日のように顔を合わせていた。そこには岸の子飼いの椎名悦三郎、古海忠之、青木実、飯沢重一など、十人ほどのメンバーが集まってきたが、古海によればときには三日も空けず、あるときは一ヵ月も間をおいて不定期に「名前もない妙な会」が開かれるのが常だった。
 会の中心的存在が岸と甘粕で、話題はいつもアジア政策だった。上海の邦字新聞の乗っ取りや、日本での宣伝活動の仕方だったというが、つまるところは謀略であった。-略-」

黒い金と東条。下「」引用。

「その事実が重臣や政治家たちの間で話題になったのは、昭和十九年(一九四四)秋、東条が総理の座から下りた三ヵ月後のことだった。彼らの間で“東条復活への兆し”の懸念と、“東条と阿片”についての遣り取りがなされたと、『細川日記』に克明に記されている。」

東条のワイロ……、近衛文麿が吉田茂に話す。下「」引用。

「「いま宮内省の奥に東条礼讃者が多いのは、付け届けが極めて巧妙だからです。例えば秩父と高松両殿下に、密かに自動車を献上したりしていすまが、枢密顧問官たちには会合の度に食料品や衣服を贈るだけでなく、夫々(それぞれ)のイニシアル入りの万年筆を贈るといった、微に入り細に入るといった具合です」

東条は金子堅太郎に毎日100人前もあろうかという寿司、おびただしい菓子類、医薬品を届けたという。

十六億円の持ち金があった東条……。

石原莞爾を追放するように甘粕に頼んだ東条。

公私混同をしていた東条夫人、田中隆吉・談。

東条英機・関東 日本軍・アヘン _元関東軍証言







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