磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆衛生兵の証言 炎の中から

2007年02月04日 | 読書日記など
『被爆衛生兵の証言 炎の中から』
      田川清光・著/「長崎の証言」刊行委員会1971年

この本の文章を使用して山田かん氏は永井隆博士批判をしました。
しかし、この著者は永井隆博士に対して、感謝はされておられますが、批判も怒りももっておられないようです。



表紙の裏に書かれあります。下「」引用。

「昭和二十年八月九日十一時二分、竹の久保町の自宅で被爆、家の下敷となる。脱出後ただちに家族の救出にとりかかり、その後、炎の中を大浦の部隊本部へ向けて脱出。翌十、十一、十二日の三日間、衛生兵長として負傷者の救護活動に従事する。敗戦によって十六日三ツ山に疎開。その直後から翌年二月までに書かれた迫真性と人間味あふれる記録。第二部は、その後の二十五年間の長崎の被爆者たちの証言を収録した長崎原爆史の試みである。」


永井博士に対する文章があります。下「」引用。

「故永井隆博士が昭和二十四年一月に『長崎の鐘』を出版されたときに、私は如己堂を訪ねました。そして、「私もこんなにして書いています。」と、お見せしたところ、
「田川君、これは売り物にならん。本というものは興味や情味がなければならんが、これは恐怖が強すぎる。しかし、現実が正直に書いてあるので、将来は必ず博物館にでも寄附しておきなさい。」と言われました。」


ボクなら、お忙しいところを読んでいただけただけでも感謝しますね。

この著者は永井隆博士のいわれたとおり、長崎市国際文化会館の原爆資料室に寄附“永久保存”となったそうです。

そして長年、多くの人が読むことができなかったものを、出版されたようです。

それを非難の文章に使われた山田かん氏。

どうしてそうなるのか? 私にはわかりません。この著者にも迷惑だったのではないでしょうか?

まだ占領下のことでもあり、永井隆博士自身も生々しい原爆の被害を書かれた文章(「第十一医療隊救護報告」)発表することはできず、大阪万博のあったころ、偶然にも発見されます。

その記録を保存されていたのは、この著者の親戚にあたる田川福松家だったそうです。


「永井博士の反省の意味するもの」という文章も書かれています。

この本がでるまでに、「長崎の証言」刊行委員会 鎌田定夫さんたちの努力があったようです。






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