磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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光文社新書290 論より詭弁-反論理的思考のすすめ-

2009年06月29日 | 読書日記など
『光文社新書290 論より詭弁-反論理的思考のすすめ-』
   香西秀信・著/光文社2007年

まさに『論より詭弁』をすすめている著者……。
--ボクにはとても理解できるものではなかった……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「私は、論理的思考の研究と教育に、多少は関わってきた人間である。その私が、なぜ論理的思考にこんな憎まれ口ばかりきくのかといえば、それが、論者間の人間関係を考慮の埒外において成立しているように見えるからである。あるいは(結局は同じことなのであるが)、対等の人間関係というものを前提として成り立っているように思えるからである。だが、われわれが議論するほとんどの場において、われわれと相手との人間関係は対等ではない。われわれは大抵の場合、偏った力関係の中で議論する。そうした議論においては、真空状態で純粋培養された論理的思考力は十分に機能しない。」

日本はたしかに反民主主義の社会ですが……。
--そんな社会を認めたがる人がいるとは……。

正直言ってと書かれてあるが、これが正直なのか? 下「」引用。

「正直言って、私は、生真面目な動機から、論理的思考について学ぼうとする人間が好きではない。そういう人間に限って、論理的思考力の効能を固く信じ、正しい議論を真剣になってやろうとする(ディベートの訓練をしている人など、大抵そうだ)。-略-論理的思考力や議論の能力など、所詮は弱者の当てにならない護身術である。強者にはそんなものは要らない。いわゆる議論のルールなど、弱者の甘え以外の何ものでもない。-略-偉そうに、勝ち誇って告げるのも、また弱者の特徴である。」

正直というより、本音だろう……。

チョムスキーは権威ではなく少数派であるというが、それが詭弁であるという著者。
権威にもいろいろあるのではないか?
権威主義と権威とは大きく異なるだろうなあー。力があると思って権威をふりまわす権威主義者と、チョムスキーは大きく異なるだろう……。

チョムスキーのことを非難。下「」引用。

「ノーム・チョムスキー(ポル・ポトの大虐殺を否定し続け、身体窮まるとその責任はアメリカにあると強弁したあのチョムスキー)」

これについても、【goo wikipedia】にも書かれてある……。下「」引用。

「ポル・ポトを擁護していた過去がありそのことを隠蔽しているとよく説明されるが[1]、これは正しくない。この件についてチョムスキー自身は、「私は国連においてアメリカが支援していたティモールでの虐殺について証言を行なったことがあり、そのとき、それとポル・ポトの虐殺とが類似しうることをたまたま述べた。実際それは類似していたのだ」と説明している[2]。自国が行なう「大義 (just cause)」の名の下での虐殺をチョムスキーは常々非難しているように[3]、この国連での証言は「自国が行なっているからポル・ポトの行為も容認されるべき」と述べたのではなく、互いの虐殺的行為を非難する趣旨で行なわれたものである。」

この本を小泉純一郎か、竹中平蔵、安倍晋三という、この分野では才能豊かな政治家に書いてもらいたかった……。










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