磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆朝鮮人教師の戦後誌-----歳月よ!アリランよ!-----

2008年02月06日 | 読書日記など
『被爆朝鮮人教師の戦後誌-歳月よ!アリランよ!-』
   朱碩・著/明石書店1990年

広島で被爆。日本で教師をしている人が書かれた本です。原水禁の大会に出られたり、映画会を企画したり、核兵器廃絶を願っておられます。



弟は原爆で殺されたそうです。下「」引用。

「見上げると、キノコ雲がわき上がっていました。あの時、私はたった一人の弟を失いました。弟は、当時旧制中学一年で、一五歳。若いはちきれんばかりの生命を、望みもせずに渡った異国の地で、奪い去られてしまったのです。」

慶尚南道居昌郡の寒村が故郷。
生活も故郷も日本人に荒らされたという。

昼間から酒を飲んでいた日本人……。下「」引用。

「双鳳山と中心地との間の通過地点となった私たちの里はやがてネクタイ姿の、異様な日本人を見るのも当たり前のこととなりました。
 日本人は、昼間から酒を飲んで放歌高吟するばかりでなく、女の人は外へ出るのもはばかれるほどでした。」

そして朝鮮学校の教師へ。下「」引用。

「闇市で知り合った「文」さんという人が、教師の就職話を持ち込んだのは一九四八年の夏でした。兵庫県相生市の朝鮮人初級学校で、教師が足りなくて困っているというのです。教師は憧れの職業でしたが、当時生活の保障があるわけでもなく、友情にほだされて承諾したというのが正直なところです。」

朝鮮人学校では……。下「」引用。

「生徒も教師も父兄も、朝鮮人だけなのです。日本人学校時代のように「チョウセンジン!」とののしられ、馬鹿にされることもありません。萎縮もなければ、脅えもない。解放された祖国の未来の主人公として、誰はばかることなく、健やかに誇り高く伸びゆく子供たちの姿は頼もしいばかりでした。」

しかし、現代の韓国では日本同様にいじめがあるという。


そして、差別を受けたことが書かれてありました。

だけど、「憎しみ」よりも「平和な時代」を強く求めておられます。下「」引用。

「前記の鄭さんが「……原爆は、朝鮮人も日本人も差別なく灼き殺しました。……侵略する者は、侵略され、殺す者はやがて殺されるということです。私は、侵略され差別された朝鮮民族の一人ですが、日本人を怨んでいません。差別に反対し、戦争に反対する日本人はみな兄弟です」と言い切った。その心からの本音に私は救われたものだ。続けて鄭さんは、「二度と戦争はイヤです。原爆はごめんです。そしてこの世から『核』という文字をなくしてほしいと願っているのは、私たち朝鮮人被爆者だけではないと信じます」と結んでいる。」

京都市のお寺で、朝鮮人の遺骨は扱っていないと差別的な表現で拒否されたという。
--インド人のお釈迦さんもびっくりでしょうね……。


「ヒロシマは朝鮮人抜きには語れない」

朱碩氏死去 被爆体験語り継ぐ







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