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教科書に書かれなかった戦争Part 32 オビンの伝言-タイヤルの森をゆるがせた台湾・霧社事件

2009年02月10日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争Part 32 オビンの伝言-タイヤルの森をゆるがせた台湾・霧社事件 歴史を生きぬいた女たち-』
   中村ふじゑ・著/梨の木舎2000年

民主主義者として考えるならば、うまく騙せたというのではないと思う……。
--人権や人道を考えてこその、民主主義者だとボクは思う……。



霧社事件」下「」引用。

「-略-蜂起したタイヤル族に対する日本側の弾圧は、近代兵器を駆使して執拗におこなわれた。蜂起に加わったタイヤル族のの人口は五分の一近くに激減した。故郷の霧社を追われた。
 オビンは「霧社事件」に生き残った女性である。の頭目であった父親は、日本との戦いで生命を落し、日本の教育を受けた夫は、日本と同胞との板ばさみとなって、みずからの生命を絶った。このとき、オビン十七歳。オビンの体内には新しい生命が宿っていた。-略-」

必要もない日本名を名乗らされたという。

この戦いは、普通ではない。下「」引用。

「だが、台湾の支配者であった日本人にとってみれば、この原住民族の抗日蜂起はみっともない不祥事であった。よりによって、教育も不朽し、数多くの公共施設もおかれ、山地のなかでは開発の進んだ霧社で発生した抗日武装蜂起は、日本の面目をつぶすものであった。襲撃に加わった六、総人口一二三七名、うち戦闘能力のある男は、わずか四○○名足らずなのに、報復のために日本が投じた戦闘員は、警察から一三○六人、軍隊から一三○三人、計二六○九人、その他、荷物運搬などのために苦力として使った台湾人は数知れない。
 二ヵ月近い戦いで、蜂起側一二三七人のうち、六四四人が命を落した。なかでも自ら死を選んだものが最も多かった。首を吊って自殺したもの二九○人、銃で自殺したもの二人、割腹自殺したもの四人、計二九六人にものぼる。男たちが後顧の憂いなく戦えるようにと、死んでいった女たちもいた。負った傷の痛みに耐えかねて、自ら死んでいった男たちもいた。理由はいろいろだが、彼らは簡単に死を選んだ。」

現地人には日当が配られたという。下「」引用。

「鎮圧戦のあいだに討伐隊に加わったタイヤル族の人たちは、述べ六八二二人に達し、うちタウツア・トロツクのものは述べ五三一一人であった。彼らに対しては、頭目には八○銭、ほかの男たちには六○銭の日当が出た。」

--オビン・タダオは衛生所で助産婦として勤務。
オビン・タダオは、濁水渓の河原での二郎との別れを語った。
そして、聴取した当時の夫は、蜂起側だという……。

「国語賞」があったという……。下「」引用。

「「国語賞」は、日本語が一定水準に達した人に与えられるもので、バッジと賞状をくれたという。一家そろって日本語ができる家庭は「国語の家」となり、これも一応、名誉なこととなる。」

東京音頭も覚えたという……。下「」引用。

「オビン・タダオの記憶には、女子青年幹部講習会というものもあって、そのときも舎監をつとめたという。それもやはり霧社でおこなわれ、裁縫、衛生、育児、礼儀作法、家事、歌や踊りが教えられた。「東京音頭」とか、「南十字星」とかが、そのころ覚えた歌である。」







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