磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

地下道の青春

2009年10月01日 | 読書日記など
『地下道の青春』
    西村滋・著/ミネルヴァ書房1988年

「プロローグ」 下「」引用。

「息子よ。
 キミははたちになった。
 おめでとう。
 といっても、わたしいま、キミのそばにはいない。海の見えるこの小さな町へきている。-略-
 はたちのキミに、はたちのわたしをプレゼントすることにしよう。つまり、わたしがはたちの頃の話を、きいてもらうのだ。-略-」



上野地下道に住んでいたという。下「」引用。

「一九四五年の秋、つまり敗戦の秋、わたしは上野にくらしていた。
 くらしていたといっても、家があったわけではない。上野駅の地下道を仮の宿にしていたのだ。わたしのまわりには、戦火で家を失った人びとがひしめいていた。-略-」

さまざまな人が出入りしていたという。下「」引用。

「住人(?)のほかにも、さまざまな人物が出入りした。
 当時、勢力をほしいままにしていた暴力団○×組のチンピラ。アコデオンをかかえた傷痍軍人。役者くずれのおんな男。大道易者。朝から夜行列車を持つ行列をめあてに、ものを売りつけにくる闇屋たち。客にあぶれたゲタばきパンパン(もっとも安いといわれた街娼婦)。「大日本帝国万歳!!」を連呼する狂人。指命手配中の犯人がまぎれこんでいることもあった。」

虱の移動でわかったという……。下「」引用。

「「このじいさんは、ダメだとわかっていたよ。虱(シラミ)が予告したから」
 と、妙なことをいう男がいた。
「ずーっと隣り同志で寝ていたんだが、二日ほど前からあんまり体がかゆいので調べてみたら、じいさんのシャツから俺のシャツへ虱が行列をしてるんだ。引越しなんだよ。つまり、このじいさんからはもう血が吸えないことがわかって、移動してきやがったのさ。-略-」

千葉の施設の仕事。下「」引用。

「千葉の施設では、B29が落していった焼夷弾のカラを収拾し、スコップに更生する仕事をしていた。農具も品不足だったので、土に砂利が混じっていると、たちまち刃先のなまってしまう品物でも、歓迎された。製品を大八車で業者へ運ぶのは年配の補導員とわたしだったが、補導員は監視役(わたしの)として同行するだけなので、大八を引くのはわたしひとりの労力だった。」

自殺未遂は珍しい出来事ではなかったという。








index

index

もくじ





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。