磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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あの日夕焼け-母さんの太平洋戦争-

2009年10月03日 | 読書日記など
『あの日夕焼け-母さんの太平洋戦争-』
   鈴木政子・作/駒宮緑郎・絵/立風書房1980年

わが子にきかせるために、書かれた作品のようです。
--現実はもっとつらかっただろうなあーとボクは思いました……。



満州の小学校に通っていたという。下「」引用。

「わたしの学校は、その満州国の錦州省黒山街(きんしゅうしょうこくざんがい)にある、黒山在満国民学校です。創設されて二年目で、黒山県にいる日本人の子どもたちのための小学校でした。-略-」

市場が並ぶ……。下「」引用。

「帰る道の途中に市場があります。いろいろなものが、ぎっしり並べられているのです。
 きれいな色のなつめやあんず、がらつきの落花生、砂糖をまぶした落花生などが、かごにもられています。いくつもいくつもつながったソーセージが、のれんのように棒にぶらさがっています。黄色や空色野、いろいろな小鳥が、かごの中ではばたいています。
 あちらの角では、おいしそうな焼き豚が、その横でチェンピン(大豆と高りゃんの粉をねって焼いたもの。この地方の中国人の昼食でした。)が香ばしいにおいをまきちらし、ギョウザがじゅうじゅう湯気をたて、中華まんじゅうが、蒸し器の中でふっくりふくれています。-略-」

終戦の日。下「」引用。

「昼休みになる前でした。校長先生から、
「かしこくも、天皇陛下のお話があるから、みんな、つつしんで聞くように。」
 と、急に教室の、小さな古びたラジオの前に並ばされました。-略-」

やはり、何をいっているのかわからなかったという。

街の旗は、日本の国旗から、真赤な旗に……。

「リーベンレン(日本人)」と石を投げられたという。下「」引用。

「「リーベンレン(日本人)、バカヤロ、バカヤロ。」
 と、かん高い子どもの声といっしょに、ばらばらっと、わたしたちの列の上へ石が降ってきました。一、二年生が泣き出します。大きい子たちは、「泣くな、泣くな。」とはげましながら、その子たちの手を引いて走りました。-略-」

ソ連兵がやってきた。

八路軍……。下「」引用。

「八路軍の幹部だという軍人が、収容所に来て、みんなを集め、
「みなさんにたいへんみじめな思いをさせてすまなかった。男の人たちともいっしょにするし、そのうち、奉天や錦州にも出られるように便宜もはかりたい。」
 と話していきました。」

赤痢が流行ったという。下「」引用。

「赤痢さわぎは一段落しましたが、このままここで冬を迎えては、収容所の全員が死んでしまうかもしれません。奉天か錦州か、大きな都会に移してあげると言った、八路軍の将校の約束も、それきりでした。厳しい満州の冬は、一日一日、確実に近づいているのでした。」

露天商になったという。下「」引用。

「わたしは前にもまして、商売にいっしょうけんめいになりました。公園の一角にみかん箱を置き、その上に一枚の板をしいて、たばこやあめだけでなく、おもちゃ、文房具なども並べて売るようになりました。もう見たところ、一人前の露天商の仲間入りです。-略-」

そして、日本へ。









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