磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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陸軍経理部よもやま話 続編

2010年09月18日 | 読書日記など
『陸軍経理部よもやま話 続編』
   若松会・編/若松会1986年

経理部といっても、いろいろな仕事があるもので、いろいろな人がいますね……。



自殺の用意。下「」引用。

「終戦前に、米軍が相模湾から、又は九十九里浜から上陸するかも知れぬ、との情報があり、その時には被服廠を死守するが、自決のための青酸加里・睡眠薬を配り、皆に覚悟をさせ、又家族にも与えてその用法を教えた。別に私は軍刀一振と拳銃二梃を用意し、何時でも使えるように枕許において本廠に泊まりつづけ、家族には薬のほか軍刀二振を与え、「自分が死んだら、恥をかかぬよう自決せよ」と訓えておいた。
 又終戦後間もなくのことだったが、不穏な情報があったので、貨物自動車三台に機関銃を装備して、万一の場合には山中でゲリラになるつもりであったが、これも事なく済んで喜んだものである。-略-」

もくじ

「(四)、被災者救済用被服を広島市へ」独断で要請。下「」引用。

「私の帰りを待ちかねたように、翌十四日、信任の中国軍管区司令部の高給参謀が来訪、被災者救済用被服を広島市へ交付するよう要請があった。輸送は広島警備隊に担任させるとのことであった。この件は本来本廠長の証人を受くべきものであるが、被災後交通々信施設の復旧遅々として進んでおらず、承認を得るには早くても数日を要し、時機を失すること及び戦局の将来の見透しから、独断で要請に応ずることとし、幹部との協議の上、交付するものは略帽、夏冬服、同襦袢袴下、編上靴、靴下各十万組とし、川上森林倉庫に野積みのものを充てることとし、遅くも八月下旬に完了するよう関係方面に連絡し実施に移した。」

「広島糧秣支廠長としての思い出」石光広明・著。

端穂特攻隊と簡易缶詰。下「」引用。

「特攻隊は下関港に水揚げの鮮魚のうち、新規の用途に適するもの総てを、「公定外価格」で買いとり、直ちに缶詰工場に運んで簡単に味付け後、約一ケ月の保存を目途に石油缶大の簡易缶詰を製造した。
 製品は大半を部隊補給用に当て、一部は報奨として関係者に分配した。
 統制違反について、小倉憲兵隊長からしばしば警告を受けたが、言を左右にしてそのまま強行したが、何処からも非難らしい非難は聞かなかった。」

安東655部隊。下「」引用。

「関東軍経理部安東出張所、通称安東第六五五部隊は、造船作業隊とも呼ばれていた。その位置は安東停車場の東側で、牡丹江木材に隣接し、前は鴨江に面し、鮮満国境に架橋された大鉄橋の少し下流に当っている。工場へは引込線も敷かれ、用地は三つの貯木場に囲まれていた。」

塩類の欠乏(食塩は貨幣と同じ)。下「」引用。

「十九年十二月二十五日、武昌を出発以来、二十年四月三日まで、食塩の補給は一瓦もない。動物から塩分がなくなったらどうなるかなどは、想像もしたこともなかったが、然し現実に前記のように約百日間、塩分なしの給養を余儀なくされたことは事実である。
 兵は捧げ銃ができない。握力減退のためである。軍馬の鞍傷が治癒しない。兵の手の甲を舐め回す軍馬をよく見かけたが、皮膚から塩分が発散するのだろうか。
 毎日の徴発でも、食塩・味噌・醤油はないのが通例であり、あったとしても盃二杯分位あれば大戦果であった。塩味のない食生活ほど味気のないものはない。-略-」

日本酒の製造。下「」引用。

「バンコク貨物廠は、タイ米を使用して、日本酒の醸造を企画した。-略-気候が暑過ぎるため、酸味が多少あったが、中村軍司令官はこの酒に「大義泉」と銘名し、-略-自然に大きな役割を果した。-略-」

田中隆吉。下「」引用。

「支那の太原で田中隆吉参謀が物産の反軍、反国家的行為だとして、米だったか棉だったかで吊るしあげた所謂太原事件、筆頭理事の向井晴氏(後の大蔵大臣)は、東奔西走対策に腐心していたときなので、大物産ともなれば、ミスもあれば、かかるプラスポイントもあるのだ、との反証に用いることもでき、当時の初代支店長飯塚議誠氏は抜擢、一躍下関支店長に栄転したという後日談がある。」








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