磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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TSUNAMIをこえて-スマトラ沖地震とアチェの人びと-

2011年05月11日 | 読書日記など
『TSUNAMIをこえて-スマトラ沖地震とアチェの人びと-』
   アチェ・フォトジャーナリストクラブ(写真)/
     藤谷健(文)/ポプラ社2006年

図書館の説明文。下「」引用。

「あの日、2004年12月26日。すべてをのみこんでいった津波。それでも、人びとはまた歩きはじめる-。被災したジャーナリストたちがみつめつづけた、インドネシア・アチェの人びとの1年。」



戦い……。下「」引用。

「アチェは、石油や天然ガスなどの資源にもめぐまれ、
日本へも輸出されている。
だがその利益をめぐり、
アチェの独立をもとめる武装ゲリラGAM(自由アチェ運動)と
インドネシア政府とのあいだで、29年間も戦いがつづき、
犠牲者の数は1万5千人をこえる。」

避難はしなかった……。下「」引用。

「ようやくゆれがおさまると、
みんなほっとした顔で、通りにでてきた。
もっとひどいことがおきるとは、
だれも思っていなかった。
 そのころ海岸では、
 水がいっせいに沖に引き、
 とりのこされた魚やエビがはねていた。
 浜辺にいた大人やこどもは歓声をあげ、
 いっせいにかけよった。」

穴に……。下「」引用。

「軍や警察、赤十字やボランティアがあつめた身元のわからない遺体は、郊外に掘られた大きな穴に、まとめて埋められた。」

コーランも流された……。

TSUNAMI=津波……。下「」引用。

「支援にやってきた外国人から、
アチェの人びとそははじめて「津波」という日本語を知る。
アチェ語にも、標準語のインドネシア語にも、
地震によっておきる、おそろしく大きな波をさすことばなかった。

そして、人ごとは、あの災いを「TSUNAMI」とよびはじめた。
そして、街のあちこちのこわれた壁に、あの日の日付とともに記した。

忘れぬように。
伝えるために。」

きちんと伝えることは、命を守ること! 文化を守ること! プライドをもって生きること!
ヒロシマ・ナガサキの一般の被爆者たちは、伝えてこられました。
フクシマは……。







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