磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦争を知らない世代へ 2-19 広島編 もうひとつの被爆碑-在日韓国人被爆体験の記録-

2008年09月03日 | 読書日記など
『戦争を知らない世代へ 2-19
  広島編 もうひとつの被爆碑-在日韓国人被爆体験の記録-』
    創価学会青年部反戦出版委員会・編/第三文明社1985年

この本はどちらかといって、庶民的な本です。
--つくられたのは女性たちのようです。



最初でこう書かれてあります。下「」引用。

「創価学会青年部が進めてきた、この反戦出版シリーズ“戦争を知らない世代へ”の刊行は、ここ十年で一期、二期をあわせて七十五巻を数えるに至りましたが、その中に、女性だけの編集による本が四冊あります。東京編二冊、沖縄編一冊、そしてこの広島編が四冊目にあたります。」

こんな人もいたそうです。下「」引用。

「探し回っとる時見た光景は今もよう忘れん。ちょうど今の市民球場の前の辺を歩いとる時に、高校生くらいの女の子が歩いとったんよ、「天皇陛下、熱いよー、天皇陛下、助けてくれやー」いうて言いながら、夢遊病者みたいにふーらふーらとね。」

「日本人よりも日本人らしうせにゃあ」というタイトルの文。
--大相撲協会の曙のことを思い出しました……。
多様化とは大きく異なる日本……。


ABCCについても書かれてありました。下「」引用。

「昭和三十二年、二十一歳で長男が死んだんです。東京の学校に行っとって、体こわして、肺病になりかかって帰って来たんです。小さい頃は元気な子でね、中学の頃、ABCC(原爆障害者調査委員会)から呼び出しがあってもね、「人を試験台のようにしか見ん」言うて、怒って絶対行かん子だったんですよ。それがね、自殺したんです。どうして死んだのか……。私は気が抜けてしもうて、情けないやら、悔しいやらね。」

学校がきらいで、ABCCに行くほうがマシであり、飴玉もらえて、それは当時貴重品だったという。
薬をもらったという人もいました。下「」引用。

「ABCCは、検査はするが治療はせん、いうことでね。じゃけど、うちは貧血がひどい、いうて薬ももろうたよね。」

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--16歳の時、下関へ。
すぐ売られて遊廓へ。


韓国の被爆者問題を調べていると……。下「」引用。

「川村 ええ、そうですね。はじめて私は韓国の被爆者の問題に身を入れだした頃は、あんことをするのは「アカ」だろうって警察から刑事が二人きましたものね。」

こんな歴史があったことも忘れてはならないとボクは思います……。








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