磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ナショナル・ヒストリーを超えて

2010年12月30日 | 読書日記など
『ナショナル・ヒストリーを超えて』
   小森陽一、高橋哲哉・編/東京大学出版会1998年

いつまでも、こんなことを子孫に背負わせないといけいのでしょうかね?



靖国神社を通過しなくても……。下「」引用。

「加藤は『レイテ戦記』における大岡の実践を捉え、「彼は、別にハイド氏にならなくとも、靖国神社を通過しなくとも、わたし達にわたし達の死者を弔うみちすじは用意されてあり、別にジキル氏にならなくとも、二千万のアジアの死者という枠を通らなくても、他国の死者と会うことしはわたし達に可能であることを、彼のコミットを通じ、教えているのである」と主張している。」

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そもそもは文部省……。下「」引用。

「そもそも敗戦後の日本の歴史教科書が、文部省の検定によって、戦時下の加害の事実や、戦争責任の問題を曖昧にしつづけてきたことに、最大の問題がある。-略-」

『黒い雨』と「政治的無意識」……。下「」引用。

「-略-各社の教科書に採録され、定番したのが広島の原子爆弾被爆を扱った『黒い雨』である。むろんそこにはこの小説のもちうる力がたしかに前面にはたらいているのだが、-略-教科書教材としての『黒い雨』の受容には隠れた「政治的無意識」(F・ジェムソン)がはたらいていると見なさざるを得ない。すなわち、被害者としての日本を前に押し出すというイデオロギー効果である。このような枠組みのなかで切り取られた井伏鱒二の表象は、訳詞に関しても「みごとな日本語」に位置づけることになる。」

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慰安婦……。下「」引用。

「「引き揚げ手当て」をもらおうと役場を訪れ、役人になぜ戦地に行ったのかと問われても「慰安婦」だったと答えることはできなかった。しかも、その手当ては日本国籍のない者には交付されないものだったのだが、宋さんには、そんなことは知るすべもなかった。-略-
 「町会議員の平山に「朝鮮さ、帰れ、帰れ」と言われ、宋さんは悔しさのあまり殴れかかったこともあるという。-略-」

つかこうへい。下「」引用。

「これではまるで「自由主義史観」の主張とうりふたつではないか。けれども、つかは、「どちらかが正しい、ということではなく、おそらくどちらも少しずつ真実で、どこかが微妙に本当のことからずれている」という結論に達する。そこでつかは、歴史的事実からはこぼれおちた「本当のこと」に到達するために、兵隊と従軍慰安婦との恋物語という場面に設定したのである。しかし、その物語がつぎのような陳腐な場面で結ばれようとは、誰が予想したであろう。」

『SAPIO』の「ビートたけし「愛国心」を語る」の記事から……。下「」引用。

「北野武/ビートたけしは、常に戦後民主主義や日本国憲法、あるいは節操をなくした現代の日本人に毒舌批判をぶつけてきた。その内容は、多くの言論人によって繰り返し語られてきたそれと、さほど違いはない。が、彼のユニークさは、それらの批判を、自分の生き方を通して血肉化してきたところにある。そんな彼の心情を投影した映画『HANA-BI』が国際舞台で絶賛を浴びた。日本人が失っている「何か」に、外国人が共鳴したのだ」

どこが? さっぱりわかりません。

INDEX

「マルコポーロ事件」の歴史家の懸念。下「」引用。

「-略-「広島への原爆投下はなかった」とする「スクープ」が報じられてもおかしくないと述べ、ナチ時代や原爆に関する確かな知識が蓄積されず、人びとの記憶がいっそう風化すれば、「やがて〈報道・出版の自由〉を盾にメディアというメディアが〈修正派〉のような議論を宣伝するようになるかもしれない」と懸念を表明している。」

戦場のレイプ。下「」引用。

「戦場のレイプの事例が示しているのは、それがなによりもまず暴力の一形態であり、「性的表現を用いた攻撃である」ということである。戦場のレイプはたんなる「セクシュアリティの攻撃的演出」とは全く異なり、レイプされた側の人間に精神的・身体的苦痛を与え、同時に「死の恐怖」を呼び起こしつつ遂行される。相手に行為を拒否することを不可能にした上で行使された徹底した攻撃である。実際、戦争期の集団的なレイプにおいては、犠牲者の身体とりわけ性器が激しく傷つけられ、それによって死に至らしめることも珍しくない。」

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