磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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救命-東日本大震災、医師たちの奮闘-

2012年04月21日 | 読書日記など
『救命-東日本大震災、医師たちの奮闘-』
   海堂尊・監修/新潮社2012年

「こんな大変な状況でも、新しい命はちゃんと生れてくれる」



孤立、3月11日。下「」引用。

「患者さんたちには、毛布代わりにダンボールや紙おやつを床に敷き、寝てもらいました。仰向けになったら、吐瀉物が詰まって窒息してしまう危険性があるので、身体を横に向けて、トイレは下水がダメなので、紙おむつを敷いてその上に排便し、丸めて捨てることにしました。
 情報源はラジカセ一台だけ。ケータイは基本的に通じなかった。ただ、アンテナが一本も立たない状態だけど、たまにメールなら通信可能になる。孤立していることを知らせなきゃいけないので、みんなにメールを送るようお願いしました。そうしたら、一一日の夜中から、ラジオのニュースで志津川病院のことを報道するようになりました。
 しかし、酸素や点滴、吸引器など最低限の医療品すらない。これが、患者さんのデッドラインを分けてしまいました。避難から一日目に死亡しています。このことは、今になっても非常に悔しいです。医者としてできたのは医療行為ではなく、励まし寄り添うということだけでした。-略-」

声を大にして言いたい! 下「」引用。

「酸素吸引器があったらその患者は助かったのかと問われたら、確たる返答はできない。だけど、たとえ一人でも助かっていれば、その事実が避難者全員の大きな希望になる。ちゃんと医療器具がある、生きていけるという灯りが見えるものと、そうでないのとでは雲泥の差なんです。
 僕は声を大にしていいたいのですが、今後、津波の危険地域にある病院は最上階に電源と医療器具、薬、食糧、水を必ず備蓄しておかねばなりません。-略-」

公演先で地震……。下「」引用。

「公演先の埼玉からすぐ宮城に向かいました。道路はどこも渋滞。時々スタッフから「病院はメチャクチャ」とか、「水がきとるぅ」とか、電話がかかってきても、三秒とか五秒でブチッと切れてしまう。車のテレビは映像が映らなくなっていたので音声に切り替えたら、仙台市荒浜に二百人の遺体が打ち上げられたとか、閖上地区で火事が発生しているとか、名取川が遡上しているというアナウンサーの慌てふためいた声が届き、本当にもう終わりだと思いましたね。
 高速道路は通行止めになっていたので、裏道を通り抜け九時間で病院に着きましたけど、その間ずっと焦ったりイライラしたりしていました。心ここにあらずというか。凄く悔しかったんです、緊急時にその場にいなかったということが。これは現場重視の国際協力マインドなのかも知れない。しかも、宮城県は自分の現場なのに……。-略-」

ガザ地区でのことを思い出す。下「」引用。

「僕が医療に従事していたガザ地区ラファ市は、イスラエル軍の攻撃の的になっていました。夜になると軍の空爆が、一時間半おきに襲ってきます。寝付いたかと思うと、F16の爆音が鳴り響き、来た! と反射的に起きてしまう。すると「ヒュー」という音と共に「ズドーン」と着弾した爆音で身体が硬直。しばらくすると「あ~、ここには落ちなかった」と安心して身体が柔ぐ。
 そのときの恐怖感が、今回の余震で再発してしまいました。そのため、常に眠りが浅い。でも、ガザ地区の経験は今と比べればまだ良かった。街は悲惨な状況で子ども達は常に脅えていたけれど、僕自身はいつか日本に帰るという安堵感が頭の片隅にありました。
 でも、今は帰る場所がないんです。-略-」

双葉郡での原発事故に備えた訓練、井坂晶。下「」引用。

「双葉郡では、万が一の原発事故に備えての訓練をやっていましたが、今回においては全く意味をなしていませんでした。避難場所の確認とか、避難訓練とか、けが人の救護など、一般的な災害と同じような訓練です。あとは、原発のあるところは、被曝の患者さんに対応する拠点病院を置く必要があって、いくつか指定病院と契約しており、そことの連絡方法の確認などをしていました。しかしその中には本格的に被曝の方を扱う病院はないんです。もし本当に被曝者が出たら、結局いわきとか、あるいは医大の付属病院などに搬送しないといけないのですが、そういう状況になるなどということは全く想定されていませんでし。
 結局、日本の政府も、東電もそうですけど、原発事故のひどいのは起きないという、原発の安全を過大評価していたということです。-略-」

診療所化と救護所。下「」引用。

「いろいろ具合が悪くなる方も出ますから、「救護所ではだめです。診療所化してください」と行政にお願いして、診療所化していただく申請をしたんですけども、なかなかそれがうまくいかないのです。
 救護所というのは医療活動ができません。市販の薬しか出せない。でも診療所化できれば、ちゃんと保険適用のお薬を使える、治療できる、医療行為ができます。もう全部医療行為になりますから、最初に限ってはしっかり診療所化することを認めてもらいたいと考えたのですが、結局、うまく進まなかったので、黙認という形でしたね。
 いろいろ事情を話して、やっと一カ月ぐらいたってから、じゃあ、診療所にしてもいいですよと県から返事が来ました。
 でも大事なのは、初期の一カ月の間だったんです。」

最初に来てくれたのは東邦医大DMAT。

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「心の問題で自殺する人を一人でも減らしたい」旭俊臣。下「」引用。

「私が千葉県「心のケアチーム」として、最初に陸前高田市に入ったのは、震災から約一月半経った五月一日から五日までの五日間です。メンバーは、旭神経内科リハビリテーション病院の看護師、医療相談員、作業療法士、臨床心理士一人ずつと精神科医の私の五名でした。
 岩手県から、「心のケアチーム」に来て欲しいという要請が千葉県にありまして、それを受けて行くことになりました。-略-」

新潟県松之山町の対策。下「」引用。

「松之山町で自殺が多かった原因の一つは、高齢者になっても働くことが人間の唯一の生き甲斐だと思っている高齢者が多いことが挙げられていました。ですから年老いて働けなくなると、自分は役に立たない人間、駄目な人間だと自分で思い込んでしまう。みんな冬場は働かないし、家にいるのでいいのです。しか四月に雪どけして、周りの若い人が働き始めると、若い人のように働けなくなった高齢者が、うつ病になって最終的に自殺することがあるというのがわかったんです。
 それを十年以上かけて、「働くだけが人間の生き甲斐ではないんですよ」ということを説いて、少しずつ老人達の考えを変えていったことが、実は、うつ病になる人を減らして、自殺を減らしたという結果に現れたのです。-略-」

震災の後でも……。下「」引用。

「その手法は、急激に自殺者が増える震災のあとでも応用できるのではないかということで、阪神大震災や、中越沖地震などの際、自殺予防には、心のケアをしっかりすることが重要だといわれるようになりました。-略-」

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検死、江澤庸博。下「」引用。

「私は、宮城県歯科医師会身元確認班の班長です。身元不明の検死には、歯科の所見が欠かせません。これまで大規模災害対策本部身元確認班班長を務めていたことからこの未曽有の大災害に身元確認班の実質上の責任者ということになりました。
 遺体の収容人数が一日で最も多かったのは災害から数日ほど経過した頃です。一日で千体以上ものご遺体が検案所(遺体安置所)に運ばれました。-略-」

「事務局長が守ってくれた衛星電話」 下「」引用。

「それまで携帯電話も不通だったけれど、衛星電話だけはつながっていたのです。その電話は病院の一階事務室にあり、津波が来るので三階に上がる際に、私が事務局長に「衛星電話を持って上がってきてください」と頼んでいたもの。事務局長が慌てて取り外すと傍にいた事務の人に渡したそうです。彼は衛星電話を受け取ると、「事務局長、一緒に上がりましょう」と声をかけたけれど、後を振り向いたらその姿はなかったと言うのです。
 病院の一階に給食室があり、事務の管轄になっていました。そこには食事を作る人たちが四人いましたが、扉で隔絶されて周りの声も聞こえない状態でした。事務局長はおそらくそちらへ声をかけに行ったのではないでしょうか。津波が来るまでには、そのくらいの余裕しかなかったのだと思います。それきり行方もわからなくなったのです。
 事務局長が津波から守ってくれた衛星電話は、震災の翌日から通じ始めました。それまで何度も試してもつながらなかったけれど、避難先に入って誰かが動かすと、「あっ、通じた」と。それを使って、皆で家族に連絡を取り始めたのです。-略-」

テレビで首都圏震度7というのに変わったけれど……。

やはり、甘いです。

このような文献を読んで、そなえてほしいものです。

テレビでは、津波の被害など含まれていないという……。

いろいろなものが含まれていない。

テレビで放送するのは、行政が税金をつかうための目録にしかすぎないという。

ここでも、大本営にしかすぎない大手メディア。

東京と神奈川をわけて、地震がくるわけでないというのは納得ですね。

それは行政の縦割りの影響だという……。

関東大震災をきちんと学んでほしいものですね。










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