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証言・731部隊の真相-生体実験の全貌と戦後謀略の軌跡-

2010年09月08日 | 読書日記など
『証言・731部隊の真相-生体実験の全貌と戦後謀略の軌跡-』
   ハル・ゴールド(著)/浜田徹(訳)/広済堂出版1997年

原書名 Unit 731 testimony



印象に残ったこと……。
「真の友好」茨城大学名誉教授。下「」引用。

「日本が過去に中国やアジアで行った戦争での残虐行為について知っているのは、被害を受けた国々の子供だけです。加害者である日本の子供たちは、何も知りません。これでは将来、日本の子供たちは、アジアの子供たちと真の友好はできません」と。」

自殺者なし……。下「」引用。

「ヨーロッパや米国の映画は、ベトナム戦争に参加した兵士が精神的な障害に悩まされてノイローゼになり、自殺したことを取り上げています。しかし、戦時中残虐行為で有罪になった日本人で、自分の犯罪を後悔して自殺した人はいません。大衆文学でも、こういうことは取り上げません。日本では、法を侵すことは犯罪とは考えておらず、こういうことを気にせずに生活できるからです。このような状況のなかで、経済が成長しました。これが日本なのです。」

もくじ

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「-略-著者ハル・ゴールドは丹念に集めた資料にもとづいて本書第一部で大日本帝国のもっとも有名な医療部隊の歴史を概観し、きわめて衝撃的なその活動を跡づけ、部隊の真相を解明した。本書の後半は、一九九四~九五年に日本全国で開催した七三一部隊移動展示会における元隊員自身の証言等で構成している。彼らは証言で生体解剖台に寝かせた妊婦の体を切り開く、健康な農夫に伝染病菌を注射する、廊下を通って指定場所に採取したばかりの血液と臓器を入れたバケツを運ぶなど実験活動に生々しい記憶をたどって、その全貌を詳細に明らかにした。」

責任をあいまいにし、「なかった」と……。下「」引用。

「日本は過去の責任をあいまいにしたまま、他の国々との友好関係や通商関係を求めていると批判されている。日本は国際的な通商関係や友好関係が拡大していると喧伝しているが、一方で最近明らかになった戦時の事実についての人々の関心も高まり、再調査が求められている。
 学校では、歴史の真実が教えられていないといえるだろう。研究部隊の活動の実際の歴史と日本の公式の姿勢との間の落差は拡大している。長い間、このような部隊は、「存在したことはない」とされてきた。補償の要求だけでなく、歴史の認知と謝罪の要求は、「補償問題は政府レベルで解決済みである」として拒否されてきた。他方、日本は「世界平和」に貢献したいと意欲を示している。」

「日本の軍事医療・戦争細菌学は、今世紀初めの世界の最高水準にあった。」

トラックに窓なし……。下「」引用。

「憲兵隊は、七三一部隊とその関連部隊のために人間試料を調達する役割を担っていた。大連出身の元憲兵隊員三尾豊は、捕虜がどのように扱われたかについて語った。
「私たちは憲兵隊の特務部隊で、七三一部隊の実験のため捕虜を確保する任務をもっていました。私ちは捕虜が実験に使われて、帰って来ないことを知っていました。縄で腰をで縛って両手を背中の後ろに縛りつけると、彼らは動けませんでした。彼らを列車の密閉車両に乗せて運ぶと、七三一部隊のトラックが駅に来て引き取りました。トラックには窓がなく、黒塗りで、異様なかたちをしていました。」

胡桃沢正邦の短いビデオ証言が残されているという。

定期便と国策的事業……。下「」引用。

「当時の状況を知っている医師らによれば、この平房・東京便は定期的に運行された。新種細菌またある範囲の人工的に引き起こされた病理条件を原因として死亡した被検者の保存試料が実験の成果としてこの航空路で日本に運ばれ、軍付属病院だけでなく、日本中の研究者たちに利用された。そのおかげで、大学はペスト、コレラ、流行性出血熱など当時日本に存在しなかった病気の研究を行う機会に恵まれたのである。こうして、七三一部隊は、日本の医学界全体のために、人体実験サービスを提供した。」

シンガポールでも。下「」引用。

「一九九一年九月、シンガポールの「ストレイト・タイムス」紙の記者、パン・ミンエンは、日本軍の細菌戦設備が、シンガポールでも稼働していた事実を確認したことを明らかにした。それは存在したとする噂はあったが、確認されていなかった。彼は、青年の頃実験所で働いたという男を捜し出した後、この事実についての記事を発表した。」

大久野島も政府は認めなかった……。下「」引用。

「また、日本政府はこの島で醜悪な活動が行われていた事実を認めようとせず、長期にわたって元工場労働者に援助を与える責任を拒否してきたが、最終的に一部の人たちを毒ガス傷害患者と認定して補償金を与えた。」

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逃げる政府……。下「」引用。

「日本政府は問題が通り過ぎるのをひたすら待っているように思える。第二次世界大戦が終了しておよそ五丸年後の現在、日本は圧力に抗、時代の流れに逆行して、好景気の中国との良好な関係から利益を得られる可能性からも遠ざかっているように思われる。しかしついに、放置された毒ガス兵器は、不活性化処理を行う予定になった。」

圧力をかけた教授たち……。下「」引用。

「教授から、石井組織で研究するよう圧力をかけられた学生もいた。日本の学会の厳格な階層社会において教授の意向を無視することは、研究者としての自分の将来を抹殺することを意味した。」

戦後、吉村寿人博士。下「」引用。

「吉村は、戦後、極地人類生物学の著名な権威になった。彼は大学のポストを得て、後に京都府立医科大学の学長に就任した。新聞に人体実験を行ったとして彼はを非難する記事が掲載されたが、彼はこれを否認した。さらに、一九八二年、ある新聞は、吉村が日本生理学会に発表した論文についての記事を掲載した。-略-」

披露したA(吉村)。下「」引用。

「Aは昨年四月、徳島市内で開かれた第五八回日本生理学会大会で「私の研究遍歴」と題して講演し、そのなかで「局所耐寒性(寒冷順応)の比較民俗学的研究」という七三一部隊での研究成果を披露した。-略-」

吉村は、人体実験のせいで、議長の座を追われる。
学生から追九され、大学学長辞任させられた吉村。

獣医若松を非難。下「」引用。

「一方、だまされて石井の研究網に組み入れられていた研究者たちからは、匿名の報告書や書名入り報告書が東京の米軍当局に到着した。少数の人たちは身元を明らかにして、石井と新疆(シンキョウ)一○○部隊の指揮官だった獣医若松を非難した。」

「主なメンバー、ビデオ『侵略--細菌戦部隊・七三一』より」というのが、掲載されていました。まさに日本の医療の中枢にいる……。

朝鮮戦争で使用された爆弾のモノクロ写真があった。

ハイラルのピー屋。下「」引用。

「ハイラルには「ピー屋」(慰安所)が三棟あって、第一が将校用、第二が下士官用、第三が軍属や兵卒用でした。ハイラル支部のあった東山地区には三カ所ありました。二三師団で二万人の兵隊がいたのだから、もっとたくさんいたでしょう。-略-」

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