磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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脱原発年鑑96

2009年09月17日 | 読書日記など
『脱原発年鑑96』
   原子力資料情報室・編/
     高木仁三郎、他・著/七ツ森書館1996年

核の百年……、高木。下「」引用。

「-略-1995年は、レントゲンのエックス線発見から100年、また1996年は、ベクレルの放射能発見から100年で、「核の100年」を問い直すための、まさに大きな節目である。
 その歴史的な1995年に、偶然かある種の必然か、日本で大きな出来事が起った。年のはじめに阪神大震災があり、年のおわりに「もんじゅ」の事故があった。この二つは、多くのちがった性格をもつものであったが、同時に多くの共通点をもって、チェルノブイリの衝撃をそろそろ忘れて「安全神話」の亡霊を復活させつつあった日本の人々を痛撃した。-略-」



チェルノブイリ事故隠し。下「」引用。

「-略-事故の4か月後、IAEA(国際原子力機関)主催ウイーンでの専門家会議において、ソ連政府は、事故は運転員の「6つの規則違反」を中心とする人為ミスを主因として起こったとする報告書をまとめ、各国政府から派遣された専門家もほとんど厳しい議論もなくそれを受け入れた。日本の原子力安全委員会が事故の1年後の1987年5月に出した「ソ連原子力発電所事故調査報告書」でも、おなじ「6つの規則違反」説をとっている。
 ところが、これがまったくのまやかしであることが、数年たって明らかになった。-略-」

その後に書かれてある構造的欠陥が原因なのか? 

IAEA重松1991年。下「」引用。

「IAEAは、1991年に「国際チェルノブイリプロジェクト」の報告書を発表して、ほとんど現場の緻密な調査をやることなく、「チェルノブイリ事故による健康被害は、主要には人びとの心理的なもので、実質的な放射線被害はない」と、今後は被害の隠蔽をしたのである。-略-
 ちなみに、国際的な顰蹙を買った1991年の事故の影響調査に関するIAEA報告のリーダーは、原爆の影響調査の中心的機関「放射線影響研究所」(広島)の所長の重松逸造氏であり、この報告書は、いわばヒロシマ・ナガサキの名において、チェルノブイリの被害者を切り捨てようとしたのである。-略-虚偽の上には、もはや科学や技術は成り立たないのだから。」

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その後のWHOの報告……。下「」引用。

「-略-もっとも深刻で顕著なのは、悪性腫瘍=ガンである。IAEA報告書はこれすらも否定していたが、その後もWHO(世界保健機構)の調査ではっきりした影響が確認されたことにより、いまや事実が確定した。-略-」

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「崩壊寸前の石棺」、再臨界あり? 下「」引用。

「事故炉の封じ込めのために作った建物「石棺」が危機的状況にあると言われてから久しい。建物の支柱が倒壊寸前と言われ、また巨大な原子炉の蓋は事故でいったん持ち上がり、反転した中途半端な形のままで、いつ崩落するかもしれない。建物は密閉構造のはずだったが、大きな穴があちこちにあき、開口部の総面積は、1000平方メートルとも言われる。事故炉心の直下では、燃料の残骸が発熱を続け、最悪の場合は再臨界(再び核反応を起こすこと)の危険すらあるという。現場に大量に残っている放射能が地下水汚染で生じるのは、時間の問題だ。-略-」

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美浜原発、三菱製といっても……。下「」引用。

「輸入された蒸気発生器は、その後になって改造工事が行なわれた。三菱重工製といっても部品をアメリカのウエスチングハウス社から輸入して神戸造船所で組み立てたもので、ウエスチングハウス社から「改造したい」と連絡があったもの。アメリカ国内で使われている同社製の蒸気発生器の二次系蒸気に、当初の設計に比べて湿分が多く含まれ、配管の腐蝕などを誘発しやすいことがわかった--として、約1カ月がかりで改造された。交換は12月25日に終了したが、ご難つづきの新蒸気発生器に不安が残る。-略-」

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