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巨大地震権威16人の警告 文春新書 819

2012年04月01日 | 読書日記など
『巨大地震権威16人の警告 文春新書 819』
   『日本の論点』編集部・編/文藝春秋2011年



『日本の論点』 下「」引用。

「本書は、かねてからその発生かせ叫ばれている巨大地震の可能性と備えついて、年間誌『日本の論点』に掲載された斯界の知見を再構成したものである。
『日本の論点』は論争誌ではあるが、未来予測も重要な柱の一つである。東日本大震災の襲来を受けた直後、私たちの編集部は、これらの論文をもう一度読み返してみた。ひょっとして予測が的中していたのではないか、と思ったからだった。しかし、地震の規模と被災の深刻さが明らかになるにつれ、予知の当たり外れはあまり意味をもたないことがわかった。地震列島に住む私たちにとって、地震は避けることのできない天災であり、被害をいかに最小化するかが、もっとも大切な問題意識だからである。これらの論文には、その点がはっきりと指摘されていた。論文が発する貴重な忠告を今後の防災に活かせないか。書名にあえて「警告」と銘打った理由である。」

「長周期の揺れによる超高層ビルへの影響とは」 下「」引用。

「「さざ波」のように伝わる短周期の地震動はすぐに弱まるが、海の「うねり」のような長周期の地震動は、何百キロ伝わっても減衰しない。そして、平野の柔らかい堆積地盤で強く増幅され、内部に閉じ込められて長時間大きく揺れる長周期地震動が生まれる。関東平野ではおよそ六~一○秒、大阪平野や濃尾平野では三~六秒の周期を持つ長周期地震動が強く発達する。」

平屋と超高層ビル。下「」引用。

「こうした長周期の揺れは、木造家屋などの低層建築には何ら影響を与えず震度にもカウントされない。しかし、数十階建ての超高層ビルや大型の石油備蓄タンクなどの長大構造物は、長周期地震動に共振を起こし、被害が起きる危険がある。」

「【原発の耐震性】原発の耐震指針と審査の体制を抜本的に見直せ」石橋克彦(神戸大学名誉教授)。下「」引用。

「●起きて当然だった柏崎刈羽原発事故
 -略-
 既存原発の耐震設計と安全審査の拠り所だった耐震指針は古すぎて、地震と地震動に関する考え方が根本的に間違っていた。過去の大地震の痕跡である活断層の確認できなくてもM7級の地震が起こりうるのに、M6.5の直下地震を考慮すればよいとしていたし、活断層からの地震動の見積もりも過小評価だった。要するに、既存の全原発の基準地震動は非常に甘く、耐震安全性は虚構なのだ。それが柏崎刈羽原発事故で、白日のもとに曝された。
 多少の放射能漏れがあったものの原子炉が無事に停止したことから、原発の耐震性の高さが証明されたという人もいる。しかし、この被災は地震学的にみて奇跡的とも言える幸運だったことを忘れてはならない。地震の震源域がもう少し南西に寄っていたり、一九六四年新潟地震並みのM7.5だったり、大きな余震の続発があったりしたら、もっと強烈な揺れ(地震動)に襲われて「原発震災」が生じていたかもしれないのである。」

「●原子力産業の問題ではなく、人間の命の問題だ」

「■「原発老大国」になった日本」 下「」引用。

「見回してみれば、福島第一原発のような原子炉の運転歴三五年を超えるものが一一基もあり(原発先進国フランスはゼロ)、発電量が一○○万kWh以下の小型原子炉が半分以上を占めている。わが国は「原発老大国」になっているのであり、これら原発の安全性を高め再生していく道は、国民の同意を含め険しいものといえよう。」

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「●たった一○秒間で大都市圏が壊滅した」三木康弘(元神戸新聞論説委員長)。下「」引用。

「「大空襲」で焼け野原にされ、ほぼ空白となった跡地に、戦後日本の都市が五○年の歳月をかけ営々と、戦後復興や高度経済成長、オイルショックやプラザ合意などの時期を経験しながら築いて来た「まち」の高度な集積を、再び、「瞬時に」破壊されたら、いったいとんなことになるだろうか。
 都市のいっきょの破壊、というのは、どこかSFじみたイメージだが、そんなことが現実に起きたのが、阪神・淡路大震災だった。
 一九九五年(平成七年)一月一七日未明、直下型活断層の激震が、「たった一○秒間」で、ズタズタにしたのは、一五○万人の政令指令都市・神戸市を中心に、淡路の北部十町から、洲本市、明石市、芦屋市、西宮市、尼崎市、宝塚市、伊丹市、川西市、三木市と続く、総人口三百数十万人を持つ大都市園だった。-略-」

「【最終処分場】核廃棄物の捨て場所は日本にのどこにもない」広瀬隆(ノンフィクション作家)。下「」引用。

「原子炉一基分の死の灰が、このように、時には数百万人をがんで死亡させる可能性があるのに対して、六ヶ所村がかかえようとしている死の灰は、その一○○○倍という想像を超える量だ。人類の何分の一かを、たちまちこの世から消してしまう量である。この事実は、誰にてもわかっている。-略-」











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