磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマの朝 そして今 被爆者として 母として 人間として

2006年07月06日 | 読書日記など
『ヒロシマの朝 そして今
  被爆者として 母として 人間として』
      山下会・著/稲沢潤子・編/あゆみ出版1982年

地道な活動あってこその平和運動ですね。
人間性を抜きにした平和活動もないと思うんです。
こういうことが大切かなあと思います。



裏表紙に書いてあります。下「」引用。

「すいせんのことば
    五十嵐 顕
     (教育研究家)
この本の著者たちは原爆が広島市民をおそったとき、若いお嫁さんか娘さんかであった。彼女たちは手をたずさえて学習するようになり、熱い思いを綴ってくるなかで、8月6日のむごい運命を自分の人間的成長と平和のための働きかけとの原動力にかえてきた。年々の文集『あさ』は戦後とは何かを私に考えさせてきた。溢れる悲喜の推移をとおして、「人間をかえせ、くずれぬへいわをかえせ」というかわらぬ訴えを、読者はききわけられることであろう。」


軍需工場に勤務されていたことが書かれてありました。
寄付をしたところで、罪はぬぐえないと僕も思います。下「」引用。

「すでにかつての旭兵器会社社長は、平和産業に転身し、名士としての地位を獲得しています。戦犯にならず、贖罪だといって、原爆孤児救済に三十万円の私財を投げだしたとしても、わたしには売名としか受け取れないのです。」


兄が峠三吉の知人の方が思い出を書かれていました。

昭和21年夏、中国新聞の「ユートピア広島の建設」懸賞論文に、峠は一位入賞。

峠に輸血が自慢という。
見舞いに行くと、「僕は危険人物とマークされているからね」と話すが、おだやなか表情だったという。

故人である潤子さんは、幼い頃、世界的に有名なバレリーナー、森下洋子さんと踊ったという。
その時にはいた潤子のトゥシューズは、涙の遺品。

原爆研究会のことが書かれありました。
部員がなかなか集まらなかったこと。
文化祭では、「気持悪い」と入口で帰る人もいましたが、反響はあったという。
被爆者にカンパをお願いしたところ、一度は断れるが、
「おじさんたちみたいに苦しむ人を二度とつくりたくないからこんな運動をしているんですよ」
 と言うと、カンパ箱の中に千円入れてくださったという。

東京の小平養護学校の人たちとの交流。

“アキバ・プロジェクト”で来た三人の記者との交流、その一人であるパーカ氏は“原爆乙女”二人の民泊を引き受けた家庭に育ったという。











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