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慰安婦たちの太平洋戦争-秘められた女たちの戦記-

2009年04月23日 | 読書日記など
『慰安婦たちの太平洋戦争-秘められた女たちの戦記-』
    山田盟子・著/光人社1991年

女性が書いたものですが、エロ・グロな表現もとっています。
--事実として、そんなことがあったのだろう……。
寒気がするものでした。



「大日本婦人会のタスキをかけた娘子軍。スマトラの慰安所の女たち。」

ピーというのは、中国語で女性性器を指しているという。

憲兵の任務。下「」引用。

「また特異な存在は『特殊慰安所』で、現地人に対しては部隊はもちろん、領警の警察権もおよばないので、軍の唯一の警察権保持者たる憲兵のみが、晴れの任務を受けて、営業、衛生にいたるまで管理していた」

資格は……。下「」引用。

「資格は有夫と十五歳以下は駄目である。未成年のみ親権者の同意書、戸籍抄本がいるが、戦地では省略された。推定で軍兵百人に対し、慰安婦は一、二人とみていた。(『憲兵士官』鈴木卓四郎)」

軍医が書いた本『戦線女人考』。下「」引用。

「戦中において兵站で慰安婦の検黴(けんばい)を行なったのは、自分が最初であったという麻生徹男がいる。
 麻生は、自家版の『戦線女人考』を出版した。その記録をたどると、明治四十三年(一九一○年)に福岡市で生まれた彼は、昭和十年(一九三五年)に九大を卒業し、昭和十二年十一月、久留米第十二師団歩兵第四十八連隊と応召となり、その月末には上海に上陸した。
 勤務は上海派遣軍の第十四号兵站病院外科病棟である。その彼に「軍特務部」から呼びだしが来た。婦人科医が要るという。-略-」

創設者の一人……。下「」引用。

岡村寧次の軍風紀所見その三に、慰安婦問題を考えるとあって、
「昔の戦役時代に慰安婦などはなかったものである。かく申す私は、恥ずかしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき、二、三の強姦が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣(なら)い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後まったく強姦罪がやんだので喜んだものである。
 現在の各兵団はほとんどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。
 第六師団の如き慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」(『岡村寧次大将資料』稲葉正夫編)」

無法地帯? 下「」引用。

「また六十一師団東部第六十三連隊などは、一コ大隊が約十五人から二十人ずつの慰安婦を抱えて戦闘もしていたが、第十一軍隷下のなかには、四、五十名の小隊でも、中国ムスメを狩りこんで、ひそかに自前の慰安所を持つところもあったりした。-略-」

強姦したのなら、殺せという命令……。下「」引用。

「ビルマでは某兵団は強姦事件が絶えず、内々に強姦をみとめた。ただし犯した相手をその場で殺せと。……兵長ら三人が強姦し、しかし女を殺さず、女のうったえで犯人が判明した。三人は降等され内地に送還された」(『兵隊たちの陸軍史』伊藤桂一)」

朝日新聞支局……。下「」引用。

「「作戦の途中、二人の姑娘がやっている慰安所へと寄った。
 表の看板は朝日新聞支局だった。女は二階に佐々木をあげると、股を開くなり、
『イッパッ、ハヤク、キメロヨ』
 と、何度も叫んだ」という。(『軍医従軍』佐々木一夫)」

七三一部隊「性病人体実験」 下「」引用。

「ハルビン七三一部隊の防疫実験は、“マルタ”をマウスやモルモットがわりにした。ここの部隊はマルタが材料であって、人間ではない。何もきくな、答えるなと、兵隊を教育していた。性病実験では若くて美しい三人のロシア女マルタが、黴毒を植えつけられ、顕微鏡検査に使われ、猟奇的な検査をされ、解剖され、殺されて局所はホルマリン漬けこまれ、生首や他の臓器とともにの陳列館にならべられた。(『日の丸は赤い泪に』越定男)」

そのほかにも、すさまじいことが書かれてありました……。






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