磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【原爆の図】関連本

2008年12月17日 | 読書日記など
『原爆の図-描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉-』
   小沢節子・著/岩波書店2002年

「伝える人はいない」と帯や本文にも……。
--2002年でも伝える人は本当にいないといえるのか?

社会主義運動の活動家であったという。下「」引用。

「社会主義運動の活動家としての位里の名前は、山本茂の労作『広島県社会運動史』のなかに見出される。そこで彼の名が最初に現れるのは、一九二九年二月に結成された中国無産党についての記述である。」

写真から絵をかいたという。 下「」引用。

「次に述べるように『ピカドン』にもこの母子像をモデルにしたと思われる図像が、母親の着物の柄もそのまま描かれている。また後述するような理由から、夫妻がこの写真を見たこと、そしてこの写真が夫妻の脳裏に深く刻み込まれたことはまちがないと思われる。」








『普及版完本 原爆の図 The Hiroshima panels』
    丸木位里、丸木俊・制作/小峰書店2000年

『原爆の図』その他共同制作作品小史:p174~177
丸木位里・丸木俊略年譜 石川保夫 鈴木茂美年譜編纂:p178~183
抄録 15枚の連作「原爆の図」をはじめ、南京大虐殺、沖縄戦、三里塚、水俣など、戦後日本人の回避できない主題をまっこうから描いた丸木位里・俊共同制作の絵画を収載し、俊による「絵とき」を付す。英文併記。




『原爆の図 新版 The Hiroshima panels』
   丸木位里、丸木俊・制作/小峰書店1988年改定新版

英文併記『原爆の図』その他共同制作作品小史:p164~166




『IWANAMI GRAPHICS 26 鎮魂の道 原爆・水俣・沖縄』
   丸木位里、丸木俊(著)/水上勉(解説)/岩波書店1984年

米兵の死について。下「」引用。

「俊 「米兵捕虜の死」を描くために広島へ行っていろいろ聞いて歩いたら、1人の青年に会いました。」

「丸木位里、俊の芸術」水上勉・著が掲載されています。




『記録集 原爆の図展』
   「原爆の図」展記録集編集委員会・編/
     「原爆の図」展・記録集編集委員会1982年

展示が全国各地でおこなわれようである。
その記録などがかかれてある。




『不戦のちかい-大阪・「原爆の図」展の記録-』
   丸木位里・俊「原爆の図」展実行委員会(編)/
     丸木位里・俊「原爆の図」展実行委員会1982年

大阪での展示の記録。




『THE HIROSHIMA MORALS-原爆の図-』
   丸木位里、丸木俊・著/講談社インターナショナル1985年

ほとんど英文です。

帯は日本語。下「」引用。

「「原爆の図」は人の子に戦争を呪わせる百里の理屈よりも数分の観賞で戦争のおろかさを教える。--水上勉」




『こみね創作児童文学6 原爆の図物語』
   宇佐美承・作/丸木位里、丸木俊・画/小峰書店1985年

以前出版された本の改訂版で、タイトルをかえられたようです。下「」引用。

「この本は、七年まえ『ルルの家の絵かきさん-原爆をかきつつげる丸木夫妻の物語』という題で偕成社から出版されたものをすこしかきなおし、また最後の一章をかきたしてできた。」




『世界のこどもノンフィクション2
   ルルの家の絵かきさん-原爆の絵をかきつづける丸木夫妻の物語-』
    宇佐美承・著/偕成社1979年

「流流(ルル)」とは茶室の名前。
東京オリンピックで道路拡張のため元海軍大将の仲良しおじさんが東松山に引越すというので、丸木夫妻も引越しし茶室を作ったという。




『原爆の図展感想文集-いまこそ、語り継ぎたい原爆の恐しさ-1981.7.11-7.19』
   「原爆の図」展実行委員会・編/「原爆の図」展実行委員会1981年

感想文が掲載されています。




『講談社文庫 原爆の図』
   丸木位里、赤松俊子・著/講談社1980年

ページ数 126P
大きさ 15cm
カラー、第五福竜丸に関する絵もあり。




『原爆の図』
   丸木位里、丸木俊・著/労働大学1978年

カード式になっている。
表に絵、裏に文字での説明。
小さいので、紙芝居のようには多くの人には見せられないだろう。
モノクロが主であるが、多色刷りもある。




『原爆の図』
   丸木位里、丸木俊・画/角川書店1974年

うすい冊子です。いつもの絵があります。





『幽霊-原爆の図世界巡礼-』
   丸木俊・著/朝日新聞社1972年

シドニーの市立美術館で。
--「チョンギ」シンガポールの近くの捕虜収容所のことを言われたという。

ニューヨーク・タイムズは悪口雑言の批評をされたという。
……内容はわからない。

永井隆について。下「」引用。

「もし、永井隆先生の原爆禁止のサインをいただいていたら、永井隆先生は原爆は運命、仕方がないなどと思ってはいない、あの映画は真実を伝えていない、先生は原爆禁止を叫びたかったのだ、とわたしは言いふらして、永井隆先生の本心を人びとに伝えることができたのでした。」

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『美術グラフ-作意を訊く-第21巻・第10号』
   時の美術社1972年

綜合美術雑誌
内容 「原爆の図」第十三部から第十四部へ 丸木俊(語る人)

南京の図について。下「」引用。

「「原爆の図」に従いてアメリカに行った時「原爆の図」を担いでくれたアメリカ人の大学教授は、「もしも中国人の絵描きが、南京の虐殺という絵を描いて、日本で展覧会をさせてくれと言って来たら、日本人はどうするか?」と私に言いました。なるほど、私たちがアメリカへ「原爆の図」を持ち込んだことは、それと同じことです。そして、「原爆の図」を担いでくれているそのアメリカ人の教授は、平和のために命がけで、アメリカの行なった虐殺の絵をアメリカで展示することに力を貸してくれているわけです。」

差別がつくられ、戦争へ。下「」引用。

「広島にフクシマ町という所があって、そこがいわゆる“”だったのですが、「チャンコロ」とか「半島」とか言って白眼視し、侮蔑した。それがまた「鬼畜米英」の精神につながるわけで、そういう風邪に他民族を差別することがまた戦争につながってゆくということになるのだと思うのです。」




『臥龍-丸木位里墨画集-』
   丸木位里・著/造形社1970年

--原爆の図、モノクロで掲載。




『画集 原爆の図』
   丸木位里、丸木俊・著/田園書房1967年

ページ数 104p,図42枚




『青木文庫38 原爆の図』
   丸木位里、赤松俊子・著/青木書店1952年

ページ数 130p
大きさ 16cm
モノクロの写真。


【丸木夫妻・関連本】

ピカドン&ひろしまのピカ








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