磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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幕末・男の決断

2010年02月06日 | 読書日記など
『幕末・男の決断』
   会田雄次、他・著/三笠書房1986年

いろいろな幕末の人のことが書かれてある。



■目 次■
概説 会田雄次  7
井伊直弼 井上友一郎  17
徳川斉昭 左方郁子  65
勝海舟 勝部真長  111
坂本竜馬 坂本藤良  157
福沢諭吉 飛鳥井雅道  191
徳川慶喜 綱淵謙錠  233


十四男だった井伊直弼。
「想像を絶する惨めな境遇の第十四男」
--長男でない限り……。下「」引用。

「-略-第一子の長男でないかぎり、その立場の惨めさは後世のわれわれの想像以上のものであった。
 しかも、そういう惨めな境遇というものは、自分の努力や才能によって、生涯、いささかなりとも改まるというわけのものではない。そこで、この時分の大名の子は、正当の嗣子ででもないからには、どこかの小藩の大名の養子になるか、ときには家来筋の養子になるのがわずかに生き延びていく道であった。」

「勝の恫喝」は生きる術。下「」引用。

「ただ海舟のように幕末の動乱のなかで、たえず刺客(しかく)にねらわれ、生命の危険を冒しながら生き抜いた人には、剣や禅の気合いで、相手を一喝(いっかつ)し、度肝(どぎも)をぬいて、その本音を吐かせ、真相を看破するという技術が身についてしまっているために、明治時代にはいって、平和な日常生活にもどっても、とかく初対面の客にはこの一喝を食わせるのが常套手段になってしまっていたため、いわゆる「勝の恫喝」といって世間にきらわれ、評判が悪い面もあったのである。人の意表をつくということが、勝負師としての身についたコツであるが、意表をつかれた側からすれば、おもしろくないにきまっている。」

パリ人と同様の勝たち……。下「」引用。

「江戸っ子の海舟が、つねに平和的で、戦争回避の努力をつづけたのは、なんといっても江戸文化の目に見えない伝承があったからである。それは文化的に洗練されたパリ人が、戦争したがらないのと同様な事情によるものである。」

目次

ヒトラーと全面戦争しなかったからこそ、パリの文化財は生き残ったという人もいるが……。
ナチス占領下のパリにはすさまじいものがあったようだ……。

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「龍馬にもあった? 暗い「殺しの哲学」」
龍馬の死後出された『英将秘訣』、『藩論』。

英将秘訣』……。下「」引用。

「-略-『英将秘訣』は龍馬びいきの人はあまり触れたがらない。この本は、文久三年(一八六三)二月二十二日、足利尊氏などの木像の首が切り落された事件で、勤王の志士が逮捕されたとき発見されたものである。龍馬が書いたとしてはおかしい点が多く、歴史学者の故平尾道雄氏や井上清氏らは平田鉄胤(かねたつ)の述作と推理しておられる。
 しかし、佐々木高行は「いかにも龍馬が言ひさうな事」としているので、その意味では龍馬の発想研究のために一見の価値はあろう。-略-」

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